母の足の再手術があったり

配偶者の叔父がなくなったり ここ10日ばかり 忙しかった。

実弟が 飼っている犬を 母に見せたいと言うので 病室から車椅子で 病院玄関まで 今昼 連れて出た。

50日ぐらいの再開であった。お互い 嬉しそうにしていた。

このワンちゃん 近く 獣医学部で手術の予定である。


夕刻 川沿いに散歩に行った。

日曜日の夕方 父子が釣りをしていた。

成果が上がらないからだろう。子どものほうは退屈して 釣竿を川の中に突っ込んだまま

泥遊びをしている。


川辺を鴨の親子がおよいでいた。

近所の人が一眼レフをもってきて 盛んにシャッターを押している。

母親の後につづく6羽ほどの小鴨は 本当に愛らしい。

心 救われるようだった。


上空は 羽田行きのB787が飛んでいた。

北からは 関空行きのB747が 高度を捨てていた。

何度 再発して寛解への往復をしたのか 回数は忘れた。それほどそれは多い。

若い頃の夏場の 再発の一因は アルコール過多だった。

暑い。ストレスがたまる云々 アルコールを煽る。

一時の開放感 人生を制覇できたような 昂揚感。

呑みすぎが続いて 今宵は呑むまいと思いながらも 思った瞬間にはボトルにもう手が伸びていた。

酩酊中は現実から開放されて天国ようだった。


そのうち 就労と重なり 蛋白の試験紙は 陽性の色へ

だが 「まあ 量を減らせば 大丈夫、来月は暇な月だ。」と自分に言い聞かせた。さらに

「自分に限っては・・・!。」と弱い人間に限って そんな身勝手なことを願ってみるものなのだ。


だが現実は はめを外したぶんの咎めは 必ず来る。

過労も重なり受診。「一過性かな・・・?」と問われても、不摂生の極みであった。

それを思うと そう願いたいが そんな筈はないことは、 経験上 本当は自身が一番よく知っていた。

今さら 安静にしても 節塩しても スイカを食べても ステロイドはかわせなかった。       ネフローゼ=そんな甘い病いではないことは自身が一番よく知っていた。

すべて自己責任だった。


ステロイドの投与開始は 淀みもなければ躊躇いもなかった。

逆に 離脱は ティッシュを1枚ずつはがす様に慎重であった。


梅雨時をふくめ 体を必要以上に冷やさないようにしてください。



Harunから蛋白がとめどなくでるように 胸中不安がとめどなく溢れ出てしまう夜 多々ありましたよ。

人間 生きているだけで崇高なのだろうが 

屈託なく学校に通う友人達、 残業しても翌日 平気で早朝出勤してくる同僚達、

 自身にとり付いた病気の質とその日の体調をベースに比較していたからでしょう、 その日の病状によって 落ち込んだり 僻んだりの自分でしたよ。

ネフローゼに対しての 心的スタンス?。 どんな意識レベル?。

世界1 日本1 明確に意識し それを目指す 毅然たるスタンスとレベルならいいのですが凡人クラスの自身にとってはなかなかです。

毅然たる覚悟を持とうとするのですが 先日の検査結果が思わしくないと知ると 舌の根も乾かないうちに その覚悟は 悲観に様変わりをしていましたよ。

どうにかならないのか このひびのはいった我が腎臓。

そして どうしたものか 我が心 そんな日々も多くありました。

PS 広島カープの選手だった小早川氏確か ネフローゼ症侯群だったと思います。

  同病でも 完全復帰の好例と思っています。こんな例を知った時 思い返した時 人の心というもの 生きる勇気がわいてきます。正しい方向に 心が向いている証拠でしょう。


明日からの研修に向けて また資料を作成といきましょうか。

さて今日はどうかな?。

夕刻 ドーハからのカタール航空 B777、直ぐ後アラブ首長国連邦ドバイからのエミレーツ航空B777 その後 チンタオからのANA B737観えるかな?