無理を強いたのでしょう・・・!。

病んだ腎臓に配慮が必要なときに 逆に無理をしなければならない事柄が 生活においておありになったのでしょう・・・。

短い文章のなかに 後悔と無念さに溢れていました。


社会 否、学生時代にあっても上伸を決すれば 無理はいけないと分かっていても ブレーキがなくなってしまうことあります。

 安静 自己管理をしなければならないタイミングに 無理を重ねると その咎めはある日を境にして

ダムが決壊するかのように増悪化してきます。

私自身にも経験があるだけに身をもって言い切ることが出来ます。

「いまさら 自己管理しても・・・。」実際 遅いかもしれませんが しないよりはまし。

これだけは 断言できます。


梅雨の合間の 晴れ間。

父が死んで36年。その父が着ていたスーツが2本。共に冬用をみつけた。

45年以上も前のものだろうか・・・?。  

1本は虫食い部分ありだが もう一本はクリーニングすれば着ることできそうである。

生地も良質、いたみもない。

脳梗塞になって7年の母 きちんとしておいた賜物かと感心したとことである。

ナンバーディスプレーが 薄くなっていたFaxつきの電話

新しいものに代えてみた。


大人の病気

社会復帰 経済力 家庭への影響力等 片腹痛い部分あること 自身にも記憶があるため

お察しします。

他方 子どもたちの病気

自身と同じ病気になっていること ブログで観るたび 何の罪もないのに 何故?!。

憤りに近い想いになってしまいます。

子も辛いだろうし 母親も救いようのない姑から 嫌味の1つも余計に言われ 辛い時間帯あるとお察しします。実際

病の中 心にゆとり 顔に微笑みを持って生きていくこと凡人には至難の技とかんじます。

私の場合 検査結果が良好なときに限っては そうできましたが、それが悪いと 一転不機嫌ぽくなり 投げやり的にもなっていました。


経済的 肉体的 社会的 いずれの事由であっても 心底 病気の快復・安定を望み願っているいる人たちが 1人でも多く 社会復帰されること 望んでやみません。


長くて しわくて いかんともし難いネフローゼではございますが 

病いに正対していこうとする気持ち

病いを受容しそれを織り込んで 一歩でも改善していこうとする気持ち等が

一瞬でも 病身の胸中に吹走したなら幸いです。




私は西洋医学のほうである。

入院中 医師には内緒で漢方薬を呑んでいたことがあったが そのうち止めていった。


なかには 漢方 宗教 民間療法等へと替わっていった人もいた。

「よくなった!。」と病床に報告に来た人もいた。

退院の目途もなく 入院の日数がただ々 長引く自分には 眩しくも羨ましくも映えていた。

「現状の治療方向ままでいいのだろうか・・・?!。」と本気で悩んでいた日々もあった。

「もっと 他にいい治療法はないものなのか!」、と医師に対しての疑念も抱いていた時もあったと記憶する。


振りかえって 思うに

治療方法をどんな方向に変えようとも 食事 生活 薬剤すべてが 現状より緩和されうることは少ないのではなかろうか!。

どの部分かは 窮屈になったり 厳しくなったりする部分が出てくるのではなかろうか?!。


治療は自己選択だが そういった部分もよくチェックしてからの方向転換がいいと考える。

「よくなった!。」

唯 そのひと言のみでの方向転換は 不安と後悔のみになってしまうこともありうるのだ。

「よくなった。」その言葉の下面深部で その人は 従来よりも 厳しい自己管理と制限を強いられていたのかもしれないのである。そのあたり看破する必要あるのではないか。

方向転換 深い納得と強い自覚が 必要となったりするのである。


                                         以上 私見。


バイクの後方に籠をつけた。格好はいまいちなのだが必要なのである。