明朝の体調を 第1に考えるのなら 今宵の飲む量 食べるそれも節制しなければなるまい。

理屈では判っていても ついつい もういっぱいとなるのが 人の常。


「イカの燻製 鯨肉の缶詰 食べていいですか?」

腎臓病にあっては避けるのが賢明な食べ物であっても 恢復期にさしかかって 時かなり経過していれば

聞いてみたくなるのも 病人の常か?。


その深心には 健常な頃食べていたものを食べてみたいという気持ちもあろう。

だが もう1つ ここまで恢復したのだから 医師たちから「適量なら構わんでしょ。」その一言を聞き出し、自身の恢復を確認してみたいとたいう 思いも強くあるのだ。


一方問われる側

「適量ならOK」という医師は 少ないと思う。医師が思う適量と病人側の思うそれには ギャップがあるからだ。


さらに栄養士サイド 治療 食事管理等を継続して 結果 これだけ恢復したという医学的ものさしが見える位置にいない場合が多い。

よって 余計 原理原則論しかいえないと思う。「適量ならOK]といって 病状悪化にでもなったら折り返す言葉もない。


どうしても食べたいのなら 塩分等しっかりチェックして 食べる量を自己決定すればいいと思う。

様々な管理要素を求められるのがネフローゼであろう。

嫁という立場を除き 成人の場合 食事管理はもっとも 自身の裁量権に依存される部分が多い。

逆にその分 節制を求められる管理分野でもある。


以前にも書いた記憶があるのですが


このネフローゼという病い 


就労管理 学業管理 食事管理 根気ある治療 精神力等 総合的対応が必須と痛感しています。


これらの中の ひとつだけに集約しすぎて 他の管理をおろそかにし続けることについては 私見になりま


すが賛成しかねます。



法事に納涼祭


必要以上にのむまい 食べまいと決していくのですが やはり つい々 のみすぎ 食べ過ぎになってしま


います。


翌日 ゆっくりできる日ばっかりならば いいのですが、なかなかとなれば就労日に響きます。


芳しくはないですね。


「今日の病状を確認し 自己の向かい合う。」そんな時間を持っておくべき類の病いだとも感じています。

筋肉を動かすと クレアチニンリン酸が クレアチニンに変化する。

クレアチニンは糸球体から濾過され 殆ど再吸収されないらしい。

したがって 血液中のクレアチニン値によって 腎機能を判定するとのことです。


クレアチニンが上昇 腎機能低下 となるようです。



ワン太郎は 舌を出し 陽のあたらないところに寝そべっている。

にゃん太郎も 陽のあたらないところで丸くなっている。

ともに 毛皮を被ったままである。

せみが鳴いていても 2人とも反応はない。

ヒヨドリが せみを獲るべく舞い降りてくるとき にゃん太郎の眼が鋭くなるだけである。


以前この2人に じゃんけんをして見せてくれと頼んだことがある。

にゃん太郎は 前足をひろげ ぱー。 前足を閉じて グー。自慢のつめを伸ばして チョキとやるのだが

ワン太郎は それらができかった。

勝負は一方的になって ワン太郎は拗ねた。


仕方ないので ワン太郎の場合 舌をそのまま出したら パー。右に曲げたら グー。左に曲げたら チョキというこのにしておいた。


その後2人 時折は やっているのかもしれない。