昨夕 ちょうど今頃の時刻

岡山発羽田行きのB777

いつもなら 旧吉永町の八塔寺へと向かうのだが 低い雲の中を北へと向かっていった。

彼女は 北上し 右に旋回し 舞鶴 そして 岐阜県関市の北あたりまで 東進して そのあと 南下して 浜松。そのあと 大島上空で待機し羽田へと向かった。 

そうでなくても 混雑する羽田空港。天候によって さらに混雑度は増していく。


そして今日も午前中

広島発羽田行きのB737 岡山県へとはコースを取らず 今治へと南下して 四国上空から和歌山そして 羽田へと向かっていった。

パリ シャルル ドゴール空港発関空行きのA330

いつもなら 米子あたりから岡山県へと入って来るのが 鳥取 兵庫を さらに東進 舞鶴あたりから右に機首を変針。 高槻市上空へと南下 大阪伊丹空港R/W32 ILSによる進入コースの上を横ぎり 関空へと向かっていった。


昼過ぎ 函館発関空行きB737

通常は 鳥取県香美上空から岡山県へと入ってくるのだが 米子 弓ヶ浜あたりまで西進。

そのあと 広島・府中 岡山・笠岡に出てきて 関空へ。


土曜 日曜と Resumeに注力しすぎたのが祟った感じである。

さすがの 今日は 眠いばかりだった。そんななか

今日 聞かせれて成る程と感じたことがある。

タブレット端末は 無線LANの環境でなくては 余り効果がない。

マイクロソフトの Officeをインストールしなければワード・エクセルは入っていない。






発病して3~4年間ほどは 離脱したときもあったのですが

ほとんど入院していたので 大半ステロイド服用時期だったと思う。

そしてこの間は 服用しても服用しても 効果がでてくるまでに長い月日を要したと記憶している。

両眼の下に 膨らんだ頬が見えていたのもこの頃だった。辛かった。格好悪かった。


高校時代にも 時おり 蛋白尿=陽性。  ステロイド服用していたが 入院せず 学校休んで

自宅療養だった。

発病4年をこえ 最悪期を脱し切っていたのか 旺盛な生命力のせいか ステロイド服用すれば副作用は頬に出てきたが 蛋白尿は やがて陰性になっていきました。

恢復して 学校に戻ると よく皆から 言われたものだった。

「病気で休んでいたのに 太ったな」


学校の時なら 学業とネフローゼ 。 社会人になると 就労とネフローゼ、優先順位の決定につき

どちらがより 大切かは 解っていても 私は・・・・・だった。


今日も 明日からの Resumeに  朝から夕刻近くまでかかってしまった。

夕食後 もう一踏ん張りとも思ったが 止めた。


岡山発 羽田行きのB737

いつもより 高度の上げ方が急だったようにも観えた。

同じようなコースでも 高度が異なると その横顔が 異なって観えた。


件の鮨屋で 時おり 高校時代のクラスメートに遇っていた。

Aいわく「おれの頭がざるなら お前の頭は あみ。共に抜けていた。」

正解なので 折り返す言葉はなかった。


ところでこのA の体型は 太った狸に どてらそして その上にダウンジャケットを着させた様になっていたが よく喋るのは 以前と同じだった。

授業中 教師が 「A 隣と喋るな」といえば Aは 斜め前と喋る。ここらあたりまでなら 私と同等だが

彼は違った。「A  後ろに立ってろ」 といわれれば 今度は 最後列の人に話しかけていく。

「A 廊下にでろ」といわれると 彼は 廊下へ出て行く。

教師が 「これでやっと 少しは静かになる」と 授業を再開し始めると 間もなく 廊下から声が届きだしたことがあった。

「次は カーブでこい・・・」

なんだろうか?と思い 皆が窓を開け 廊下を伺うとAは なんと 隣の隣のクラスで やはり廊下に立たされていた者と シャドウーピッチングをやっていたのである。自身 キャッチャーになりきり

「よし 今度は インコース」は その声だったのである。

「隣の授業の邪魔になるから 入って来い」と 教師はAをクラス内に戻した記憶がある。


Aが静かなのは 授業中居眠りをしている時 授業中エロ本を読んでいる時 あと 弁当の時ぐらいであったことを記憶している。


夕刻 岡山発 羽田行きの B787がゆっくりと 上昇していくのが観えた。

薄い墨絵のような雲のなかを 上昇していった。