本当に根深い病であります。


それゆえ 私 時おり 自身のネフローゼ腎に話かけてやる時があります。


「心底 根深い存在ではあるが ネフローゼ君 一体 君の 根の深さはどれぐらいあるのかね?病んでいるにも拘らず 我慢強く働いてくれてありがとう。」


すると ネフローゼ腎が 微笑がえししてくるような そんな思いに 一瞬 なるときがあります。


憎み 忌み嫌ってしまう時間等のほうが 断然長いのですが たまのたまには


そんな 呼びかけも必要な気もします。


人間 嘘でもいいから 「よいしょ」されるとうれしくなってしまうのと同じように 病んだ腎臓であっ


ても 否、病み続けているがこそ 「よいしょ」されると 嬉しくなるのではあるまいか。


PS 早く 横になって 腎臓に血液 送ってやってください。

   今日も 忙しかった。

    本当に 人間の口ほど身勝手で 自分本位なものはない、そんな場面もあった今日1日で   

    あった。

季節は 半夏生が近い。

魚屋で 蛸を買い 茹でて食べた。 美味だった。

蛸の足を 薄く 形を整えて切るのは難しい。


懇意にしていた鮨屋の主人が「蛸を切るための蛸包丁というものがある。」 さらに

「家で柔かく茹でようと思ったら ぬめりを取ってから 大根で叩いて茹でればいい。」と教えてくれた記憶がある。

カウンターに座ると「皆 回るすし屋に行く。うちに来ても から揚げはないのか ケーキはないのか?と

真顔で聞かれることがある。おかげで 暇だ。 ネタが痛んできて 捨てるより  久し振りに来た客に

こうやって出すほうが 気分は楽だ。」

そういって やたらネタを大きくしてのせてきた。

ネタとシャリは バランスだと感じるが 力いっぱい頬張っていた記憶がある。


このすし屋の主人

高校の時マラソンの選手であった。

「よく走っていたもんだ。 養子に行って ギャンブルと酒のため家を追い出されたときも タッ タッ タッ

と走って出て行ったものだった。」 鮨を握る傍ら まな板の端においてある冷酒を口にする度

よく言っていた。

昔の嫁さんがよかったのか 養子先で嫌味を言い続けられていたのか 聞かされた記憶はない。

次の嫁さんとの関係が 前より良かったのか 悪かったのかも知らない。聞きもしなかった。

だが 次の嫁さんとの間にできた子ども 薬剤師になったことだけは 文句なしに自慢のようであった。

この主人も 対岸にいってしまった。

鮨屋は 跡継ぎのないままとなっている。

嫁さんの方が今更のように言っていた。

「頑張って薬剤師になってくれたより やっぱり 店の跡継ぎが欲しい。」

27日 夕刻 庭の木を切っていた時 右まぶたの上を 虫に刺されてしまった。

チクッとした痛みに耐えかね まず真水でよく洗った。が 見る間に腫れてきた。


28日 皮膚科に行った。

  ステロイド軟膏を処方された。軟膏にも 眼 耳用があること初めて知った。


29日 腫れたままだった。なぜかこの日も 眠くて仕方なかった。


30日 AMまでは まぶたが重いままのような感じだったが PMからは快方感を感じた。

  休日 アルコールとも思ったが 明日からの仕事を思うと 止めた。

  意思のコントロールができるということは 体調はいいのだろうか!。これが不調だと 何ゆえか

  呑もうか 飲むまいか迷うのである。


それにしても 軟膏といえば 息子がサッカーをやっていた頃 小学校の時のエピソードであろう。

監督から「オロナミンを買って来い。」と 頼まれた子は 「オロナイン」を買って帰ってきた。

名称が似通っているため「ドリンクと軟膏」を間違えてしまったというエピソードである。


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故 遠藤周作の作品のなかの一文だったと記憶する。

「鏡の中の自分に向かって 言い聞かせていたら 本当にそうなる。」そんな内容だった。

心静かに かつ祈るように言い聞かせていたら 本当にそうなっていく部分が出てくるかもしれない。

昭和50年再発入院中にであった小説であった。