年末年始 健常者は呑んで食べての繰り返しであろう。


おせち料理は 全般的に味が濃く 我々腎臓病の者にとっては さらなる 自己節制を強いられる時でもあろう。


それにしても 我が家もよく食べる。

雑煮 鰤 ハンバーグにみかん・・・etc。包み紙と皿以外は何でも食べる。


少々退屈して 散歩に出かけようとしたとき

配偶者が「 夜 何食べたい?」ケーキを食べながら問ってきた。

私は「・・・・」で 答えず 外へ出た。

帰ってくると

配偶者は「 何食べたい?」 豆餅を食べながら また問ってきた。

私は「おせちの残りと鱧かまぼこがあればそれでいい。」と答え そのあと 

「むしむし もぐもぐ 食べてばっかりしないで お前も少し歩いてこい。」と 促したが 

つんとして またTVのほうへ 視線を変えた。

豆餅の枚数は減っていく一方の様だった。


息子は小学校時代の同窓会があるという。

連絡の何割かは Mail だったという。





年末娘が持ち帰った ワインを Boxingを観ながら 家族で呑んだ。


ささやかだが人並みの幸福感を感じていた。


だが呑み過ぎは 元旦に来た。当たり前だが 自身の腎機能の許容量を超えると その皺寄せはくる。


私のネフローゼには 盆も正月もない、 融通が利かない、正直者である。


元日は 集中力がなく 精彩に欠いていた。


呑まない時でも 大ごとを言いまくり、呑むとさらに 大ごとを言っていたころが懐かしい。


検査数値は 20年以上横ばい程度だと勝手に思っているのだが 昔日の勢いはない。



それでも 元日 


大本家に挨拶。集まっている頭数 24を超えていたと思う。


砂利まみれであった。


用意していったお年玉の袋は 瞬く間になくなり 早めに自宅に戻った。


この出費を なんとしよう!


TVで白い巨塔の再放送を観た。

同作品 30年?前にもあった。


財前 里見 東 財前の愛人 大河内教授等々

この役は 前作品のほうがよかった。存在感に欠く。

手術シーンは 今回のほうがリアルだ。

「東教授の総回診です・・・・」 「財前教授の総回診です・・・」

このシーンは 前回・今回に限らず本当によくできている。

このシーンを超える場面 はたして 他にあるだろうか?!。


人は どうしても 初めて見た時の作品のほうを 応援しがちである。

新しい作品を観ながらも 前回の作品を観ていた頃の自身の可能性・志し等を 同時に思い出しているからかもしれない。


前回は胃癌 今回は肺癌。手術の後 Prof財前が 民間の病院に移った里見医師に診察してもらう時

の会話も よかった。

傍らで一緒に見ていた配偶者も涙ぐんでいた。納得である。

だが 番組が終わると立ち上がり「 お腹が空いてきたわ。何食べたい?」といった。

このデジタル的感覚はすごい

同時に これくらいの切替えができなければ 他家に嫁ぎ 食事 入浴等できないとも思ってみた。


長男は 大阪へ遊びに行った。

長女は明日帰ってくるという。

私は 出来上がった眼鏡を取りに行く予定である。

エクセルとワードの調子が良くない。

入力は当該PC一本化か。