STAP細胞が発表されたとき ipS細胞の時同様 何かしらの期待感を覚えた。


一般の病院に治療が普及し なにがしかの治療効果の恩恵を受けることができるのは 私の世代ではな


い。次の世代の人かとも感じたが それでも 嬉しかった。言いようのない可能性を感じた。


マスコミは Unit Leaderを褒めた。割烹着まで称賛は及んだ。


だが 今は周知の通りである。


思うに 研究者は 研究により 成果を上げれば 官軍の将


それにより 成果が出なければ 敗軍将。スポーツ選手と同等とも感じた。


同時に一方的に 勝者の位置にいることができるのは マスコミかとも思ってもみた。


マスコミは 自身は真実を伝えることが職務と言いながらも 変化して表れてくる方向にペン先を合わせ


躊躇うことなく情報を送ってくる。


その左右のぶれが 今回もあまりに大きい。


STAP細胞が 存在するのか否か 私は 分からない。


だが 体内にネフローゼという病をもって生きている人間の感情からいうと 存在していてもらいたいと思


う。いや それは願いにも近い思い でもある。


とりあえず 今夜は温かくして NHK第2ラジオ 9:00~聴いてみようと思う。


今週は 先週より忙しくないことを願う。


先週は 酷かった。その疲労が昨日もろに来た。


先週は 休む者あり 研修に行った人ありで 嘱託等へのしわ寄せが酷かった。



















そう 「幸せは心で感じるもの」というが 私の場合 眼前に客観的な回復数値が無ければ


それで 感じることはできなかった。


数値が悪いと 失望と吐息のほうが先立って 心で感じようなんて思いもしなかったように記憶している。


寝台特急「あけぼの」が 姿を消していった。


客車を牽引している彼が 上野駅を発するときにかかる曲がいい。


故郷から東京に降り立った日 決して生涯忘れてはならない決意が この曲の中には


明確に織り込まれている、


何度聞いても 心にしみる。 名曲に値すると感じる。


「あけぼの」 


EF65 1000番台だと思っていた。 ニュースには EF64 1000番台が牽引していたか?。


青の電気機関車から 赤のそれに交代 直流から交流に交代するのが 栃木県黒磯駅だったか、


ニュースで流れていたが 交流のEF81が 雪の中を疾走する姿は 一見に値すると感じた。


電気機関車が 夜の闇に発する汽笛 哀愁に満ちている。心のしみ込んできた。








何気なく 古い新聞をめくっていたら


春山満氏が死去していたことを知った。進行性筋ジスだったという。

思うに 故 氏の言葉は 「むき身の日本刀」のように感じた様に記憶している。

「なくしたものを 100回悔やんでも 何も建設的なものは産まれない。自身に残っているものに

全力を尽くせ。」

私のネフローゼよりも さらに壮絶な病状に見舞われ その中で 私の何倍も 悩み 落ち込み

考え抜いた末 心の深淵から出てきた思いが 結晶化されそんな言葉となって出てきていたのかもしれない。


故春山氏のそんな言葉 自身の病状が安定しいるときに出会えば 自身にとって追い風となろう。

だが 疲労時に出会えば 負担ともなろう。自身のその日 その時の 体調によって 同じ名言であっても

異なって聞こえてくるのでないか、それが正直なところである。


もし彼が私のような者と会い 病の話になったなら 故 氏からは

「何を甘えているのか。ネフローゼという根深い病になったのなら その根深さ以上の生き方を

模索すのが 第1ではないか。何を 嘆いているのか 嘆いているだけの時間が余分にあるのか!」

そんな叱咤激励が飛んできたに相違ない。 合唱である。


過日 主治医からの 無言のMessageを記したら

偶然 その主治医の開業医院に勤務していた看護師さんに会う機会に恵まれた。

主治医は亡くなった事は 私も知っている。

「息子さんがいたはず。帝京大学医学部に進んだと聞いたことがあるが・・・?」

彼女は知らないといったが

「娘さんはいましたよ。」と言葉 折り返してきた。


そう 私が入院していた昭和42年の師走 

主治医の奥さんは 小児科病棟の隣の産婦人科病棟で 女児を出産した。

回診時も 主治医はやけに 嬉しそうだったことを 折り返してきた言葉と同時に思い出すことだ出来た。