「君も出世ができる」「すべてが狂ってる」を観て | パンクフロイドのブログ

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神保町シアター

女優は踊る 素敵な「ダンス」のある映画 より

 

君も出世ができる

 

製作:東宝

監督:須川栄三

脚本:笠原良三 井手俊郎

撮影:内海正治

美術:村木忍

音楽:黛敏郎

出演:フランキー堺 雪村いづみ 高島忠夫 中尾ミエ 益田喜頓 有島一郎 浜美枝

1964年5月30日公開

 

出世のためならどんなことでもするモーレツ社員の山川(フランキー堺)に対し、後輩の中井(高島忠夫)はのんびりとサラリーマン生活を送るのが性に合っている社員。この二人の勤める東和観光は、ライバル会社の極東観光を押えて、オリンピックムードに便乗しようと、外国人観光客の誘致合戦を繰り広げています。

 

山川と中井は、外国人旅客課に所属しており、片岡社長(益田喜頓)が、世界最大の観光会社と提携のため外遊するという話を聞いた山川は、早速景気の良い歌と踊りでもって見送るアイデアを出して、社長の心証を良くします。一方中井は、社長から愛人の紅子(浜美枝)のアパートに小切手を届ける役目を仰せつかいます。中井は社長の愛人とは露知らず、恩人の娘という社長の言葉を鵜呑みにしてしまうほどのお人好しです。やがて中井は山川と行きつけの居酒屋で合流し、先輩からサラリーマンが出世する三箇条を伝授されます。

 

第一条:社長の娘と結婚すること

第二条:労働組合の幹部になること

第三条:社長の弱味を握ること

 

山川は中井が紅子から受け取った小切手の領収書を目ざとく見つけ、早速第三条を手の内にします。そんな折、社長と一緒に娘の陽子(雪村いづみ)が帰国します。アメリカ流の合理主義を説く美しい陽子が東和観光の重要ポストに就任すると、山川は彼に惚れている良子(中尾ミエ)をそっちのけにして、陽子の御気嫌とりに終始します。一方中井は、出張先で外国人に無報酬で観光案内をするほどのマイペースぶりで、陽子から考えを変えろとばかりに尻を叩かれる始末。しかし陽子は中井に反発する一方で、ビジネス中心主義の自分にないおっとりさを持つ彼に惹かれてもいます。

 

やがて、外国人観光客の誘致に影響力のあるマクレガー(ジェリー伊藤)が来日し、東和観光も極東観光も接待攻勢をかけます。しかし山川の奮闘も空しく、マクレガーとの契約は極東観光に攫われ、中井は陽子から紅子との仲を誤解された上に、片岡社長が紅子との関係が娘にバレるのを怖れ、中井を建設現場に左遷してしまいます。

 

東京オリンピックを目前に控えた高度経済成長期の日本を舞台に、風刺を込めて描いた和製ミュージカルです。フランキー堺が活躍するコメディかと思いきや、高島忠夫と雪村いづみのラヴストーリーを主軸に据え、フランキーは高島の引き立て役に徹しています。そもそも彼の演じるサラーマンが、出世欲のあるモーレツ社員である上に、要領よく立ち廻ろうとするところがあり、主役として振る舞うと、観客から反感を買いかねない人物設定なのです。

 

無責任シリーズの植木等ならば、調子の良いキャラがモーレツ社員へのアンチテーゼとなって面白い面を引き出せますが、本作の山川の場合、真面目な分、サラリーマン社会を皮肉な目で眺めて同僚から反感を買っていた平均(たいらひとし)に比べると、主役で引っ張っていくには中途半端なキャラで苦しくなります。そこで山川を補佐する役目を担うのが、高島忠夫演じる中井となります。背丈はありますが宝田明ほど二枚目ではなく、のほほんとした風貌に育ちの良さが窺え、適度にボンクラ感もあり、合理主義が身に着いている陽子の相手役に相応しいですし、彼女が中井に惹かれてゆく動機づけにもなります。

 

映画は話が進むにつれ、東和観光がアメリカの大企業と大口の契約ができるかという点と、中井と陽子が結ばれるかという点に絞られていきます。ミュージカル映画としてみれば、オフィス内での大掛かりな群舞はなかなか頑張っている印象を受ける反面、空港での歌と踊りのシーンは、野外ロケを生かした見せ方にもう一工夫欲しかったです。その一方で、歌える役者を揃えた事が、この映画の強みになっています。雪村いづみ、中尾ミエは本職だし、フランキー堺はシティ・スリッカーズで、益田喜頓はあきれたぼういずで歌の素地はありますし、高島忠夫も声の良さは歌手向きです。ちなみに本作には大物ゲストが特別出演しています。東宝のサラリーマンものという点を考えれば必然とも思えますし、誰なのかは映画を観てのお楽しみです。

 

 

すべてが狂ってる

 

製作:日活

監督:鈴木清順

脚本:星川清司

原作:一条明

撮影:萩原泉

美術:千葉一彦

音楽:三保敬太郎 前田憲男

出演:川地民夫 禰津良子 奈良岡朋子 芦田伸介 宮城千賀子 中川姿子 穂積隆信 初井言栄

1960年10月8日公開

 

高校生の不良グループの一人・杉田次郎(川地民夫)は、母親の昌代(奈良岡朋子)と二人で生活していました。しかし、次郎にとって家庭は居心地の悪い場所でした。昌代が南原(芦田伸介)という男の世話をうけていたからです。彼には不良グループにいる敏美(禰津良子)という次郎を愛している少女がいます。しかし彼女の愛にも、次郎はこたえられません。

 

一方南原は、昌代から次郎の荒れた生活を聞くと、自分たちが決して不純な関係で結ばれているのではないことを話すため、次郎を捜し歩きます。やがて南原は、不良少女グループの一人悦子(中川姿子)から、次郎が逗子海岸に行くと聞いて、彼女とそこに出かけます。しかし、悦子から聞いた別荘に次郎はいなく、悦子は南原を誘惑します。彼女は同棲している小野(伊藤孝雄)の授業料を工面するため、体を売ろうとしますが、南原は彼女の事情を察し、金だけ置いて出て行こうとします。

 

ところが、敏美から話を聞いた次郎が、母を連れて逗子にやってきて、ベッドのそばに下着一つでいる悦子と南原の姿を見てしまいます。南原のあとを追う母の姿に次郎は絶望し、オープンカーを盗むと、次郎と敏美はあてのないドライヴに出かけます。その途中、南原が二人の姿を目にして車に乗り込みます。三人はホテルの一室で向き合いますが、話のもつれから次郎は南原をスパナで殴り倒してしまいます。

 

開巻早々、いきなり戦争の実写や戦闘描写が映し出され、そういう映画なの?と思って観ていると、実は映画館で上映されていた映像だったというオチになります。確か、クロード・ルルーシュの1970年作品「流れ者」のオープニングも、同じような手法が使われており、鈴木清順監督の先取りにニヤリとさせられます。本作は変幻自在なカメラワーク、ジャズ主体の音楽、無軌道な若者の行動など、ヌーヴェル・ヴァーグと同時代の映画であることを、否応なく意識させられます。次郎と敏美の傍若無人の振る舞いは、正に「俺たちに明日はない」におけるボニーとクライド。この作品がヌーヴェル・ヴァーグやアメリカン・ニューシネマに連なる映画であることを実感できます。

 

また、坂本九や吉永小百合が僅かな時間ながらチョイ役で出演をしており、1960年の映画なのに、髪を洗うシーンでは一瞬、敏美を演じた禰津良子のビーチクが拝めるのも大いによろしいです(笑)。次郎を始めとする若者たちの言動は、現在の大人たちから見ても、あまりにも子供じみて馬鹿馬鹿しく思え、当時の大人たちは余計困惑したでしょう。南原は誠意をもって次郎との関係を構築しようとしますが、次郎は聴く耳を持っておらず、誠実な南原が気の毒に思えてきます。また、伊藤孝雄演じる小野が悦子を妊娠させながら、中絶費用を工面しようとした彼女に対して、あまりにも冷淡な態度をとるため、彼の級友ならずとも辟易させられます。敗戦から15年、安保闘争で日本が揺れ動いていた時代に相応しく、“すべてが狂ってる”ことを象徴した映画でした。