さてこの村、名前はそれなりに名が通っていると思うが、ではその村がどこからなのか?となるとちょっと迷ってしまう。一応、村の入り口に当たるところに標識?はあるが、数戸の集落があるだけで、しばらくは家は見えなくなってしまう。この小集落を過ぎると、アグリツーリズムセンターと書かれた建物がある。しかし、何度行ってもここが開いているのを見たことがない。その側には農業センター?なんてものもあるが、事務所だけで要領を得ない……道はさらに続いている。ここはこのコース最大の難路(もっとひどい道はだいぶ改善されたので)かもしれない。砂地で、ところによってはまだ岩と言ってもいいような石が数多く転がっている。しかも、ずっと登りである。友人と行ったときは埃まみれになったものだ。ここを登りきるとようやく「村」と言える規模の集落に遭遇する。しかし、国境の辺鄙な土地になぜこんな大きな村が……と思えるような大集落である。しかも、けっこう裕福そうである。少なくとも1時間前に通り過ぎた大きな街を過ぎてからは、こんなに大きな、そして発展している集落は見かけなかった。衛星アンテナでテレビを見ているし、電気も普通に通っているようだ。公衆電話もある(知人の話では衛星電話だと言う話だが未確認)。学校もかなり大きな規模なものがある。また、あるときは多数の軍人がロバ?の世話をしていた。なんのため?これまた未確認情報で恐縮だが、村人はミャンマー領で農作業をしているらしい……見所は特にない。村外れにいくつか滝があるくらい?それでもテントを張るエリアはある。屋外トイレのようなものも確認できた。なぜか中国語で……また、確認できなかったがバンガローもあると聞いている。このように、観光客を受け入れる下地は整っているようだが、旧正月にタイ人観光客を見たことがあるだけ。いわゆる外国人旅行者は皆無の秘境と言ってもよかろう。

基本的にはリス族が多いと思うが、旧正月の祭りを見ているとアカ族も結構住んでいるようだ。一度、リス族の老人と話す機会があった。当然タイ語は話せないので、中学生くらいの少女が通訳になってくれた。彼女もNativeではないので、非常に聞き取りやすい丁寧なタイ語を話してくれたのはありがたかった。ただ、ある程度の大人はタイ語を話すことができると思うので、話せる人にとっては問題ない。また、老女はいまだに普段から民族衣装を着ている方が結構いるようだ。

私がこの村を気に入っている(実は相性の悪い村だと思っているのだが)理由は、初めて来たときに見たリス族の祭りが忘れられないからだ。旧正月、タイミングがよければ、リス族の娘たちが民族衣装をまとっている姿を数多く見ることができるのだ。

ミャンマー国境にあるリス族の村。すでにリンク先ではその名前も公表されているけれど、個人的にはあまり有名になってほしくないので、自分のブログでは固有名詞は控えさせていただきます。

チェンライから普通の人だとバイクで3時間(でも休憩無しだとちょっときつい?)、私の運転で4時間ちょっと、5時間を見ておけば大丈夫かな?道のりはアップダウンの繰り返し。嫌気の差す道……私にとっては壁のような坂が数ヶ所ある。それでもここ数年で道はずっと良くなっている。最後の30キロくらいまでは初めて行ったときから全線舗装(一部滑落?)していたが、最近ではその先も工事中だったり、土でもかなり踏み固められた道路状況となっている。初めて行ったときは岩だらけと言っても過言ではないところもあったくらいだ(しかも急な登り)。30キロ手前にはこの一帯では最も大きな街?があるが、この先になると途端に車やバイクの行き来が少なくなる。車の行き来は以前より増えているが、セダンタイプはほとんど見かけない。ほとんどがピックアップだ。基本的には住んでいるのは山地民だ。年配者には英語はおろかタイ語も通じるかどうか……だからトラブルになった場合が非常に怖い。パンクしても直すところはないだろうし、人の行き来も少ないから、殺されて埋められても発見されにくいだろう……と少し秘境雰囲気を醸しだしておこう。実際、この大きな街?より先、外国人旅行者の姿を見たことはない。一応検問らしきものが2個所ある(なにを調べているかはご想像にお任せいたします。推測で書いちゃまずいし。)が、ここはタイ語も通じるし、不審な行動をしなければ問題なく通り抜けることができるだろう。途中には場違いな建物(田舎を馬鹿にしすぎ?)があったり、大規模なビニルハウスがあったり・・・・・・当然景色もいいけれど、運転に必死なのであまり覚えていない・・・・・・さて、そんな苦労の末に着いた村はどんな村?

旅に出るとき、一眼レフとコンパクトカメラ(結構高級)を持って行く。以前はコンパクトカメラだけだったが、一眼レフカメラを買ってからは両方持って行くようになった。コンパクトカメラはオートフォーカス、一眼レフはマニュアルフォーカスだ。そのせいか、コンパクトカメラで撮った写真の方が気に入ったものが多い。気合の違い?そのときの気分の違い?やっぱり腕の違いだろうな……少なくともレンズは一眼レフの方がいいはずなんだけど……

一番最後に撮影したときは、一眼レフを使った。久々にそのときの写真を見ると……コンパクトカメラを使わなかったことが悔やまれる。そろそろデジカメだよな……今度はデジカメとコンパクトカメラにしよう!

電気が通じるようになってから2ヶ月が過ぎたころ、この村を久々に訪れた。まず夕食の時間が遅くなった。食事の準備が短時間で済むようになったせいか、農作業から戻ってくるのが遅くなったのが理由だろう。テレビのある家はこの家だけらしく、食後に村人が集まってくるのは以前と同じだった。だが、その数は以前ほど多くない。テレビが以前ほど珍しくなくなったのもそうだろうが、家に蛍光灯程度の明るさは確保できるようになったので、家でなにかしらやっているのだろう。もしかしたら、所得格差が生じたことによって、多少の軋轢も生じているかも知れない。この点は、長く住んでいてもよそ者にはわかりにくい(わかった気にはなれる)ことだと思う。

4年も経てば住民も多少入れ替る。幸いにも亡くなった方はいないようだが(なんせ村とは言えない集落レベルなので、人口もたかがしれている)、見知らぬ顔の住人が増えている。「あれ、あんな子いたっけ?」と知り合いに聞くと「ああ、最近移ってきた家の子供」という答が返ってくる。中には「いたよ、この前写真撮ってやったじゃない!」と言われることもあるが……さらに子供が生まれた家庭もある。学校に入るために村を出た子もいる。もともと同じ顔に見えてしまうので、何度行っても覚えられない子供がほとんどだが、さすがに4年も経つと顔立ちが変わってくる。心の成長も感じられる。以前は「ピー○○○」とよく声をかけられたものだが、最近は恥ずかしがってきたのか、声をかけることをためらうようになった子が多い。以前はよく話し掛けてきた女の子も、年頃なのかあまり顔を出さなくなってきた。


思いつくままにこの村の変化を書き綴ってみた。このような変化はどこの村でも起こっていることだと思う。しかし、電気が常時使えるようになったのは、本当に大きな変化だと思う。それについてとやかくいう資格はよそ者の自分にはない。こういった村社会に入り込むのは容易ではないことも承知している。だからあくまでも部外者として、この村をいつまでも見守っていたいと思っている。


今回はこれで終りますが、後日、この村に行く機会があればまた書いてみたいと思っています。

この手の文章を書くと、文化人類学の素養のない自分が腹立たしい。まあ、アカデミックな世界が自分に合っていないことは身をもって体験しているのだから諦めるとするか……親戚はタイ人さんのおっしゃるとおり、自分の言葉で表すしかないだろう。

最初に行ったときと比べて最初に気がついた変化は、住民が増えたと言うことだ。友人に聞くとキリスト教への改宗が上手く行ったせいか、他のアカ族の村よりも治安がいいという評判が立っているとのことだ。来るものは拒まずという姿勢なのか、最初に行ったときと比べて住人は2倍程度に増えていると思う。(もちろんきちんと確認したわけではないが)また、生活水準の向上も著しい。まず、以前はほとんどの家になかったバイクが、一家に一台程度あるようになった。恐らく、最近移住した家以外は、最低1台はあるだろう。さらに車を買った家が出てきたのも驚きだ。この家は、以前から養豚を営んでおり(かなり小規模だが)、ずっと車を欲しがっていたようだ。多少の頭金でもできたのだろう、中古のピックアップを購入し、豚の輸送に使っているそうだ。ただ、車を買ってから知人に運転を教わったと言う笑えるオチもあるが……近くの村でイベントがあったとき、バイクに乗り切れなかった住人はこの車で移動した。さぞかし遠くへ行くのが楽になったことだと思う。また、村人特に子供達の着ている服がきれいになった。多少なりとも現金収入が増えたのだろう、いつまでも古い服を着ていたころと比べて、買い換えることができるようになったのだろう。

だが、最も大きな変化は待望の電気が通じるようになったことであろう。村で最も裕福(だと思う)な、お世話になっている家には、元々テレビは存在していた。だが、アンテナがないので電気が来ていたとしても、海賊版のVCDなどを見る程度しか使えなかった。電気が通じると同時に、この家ではアンテナとチューナーを購入した。衛星をアンテナで追いかける仕組みらしいが、詳しいことはわからない。チャンネルを変えるたびに、アンテナが動くのはちょっと驚いた。そのため、300(そう話していた)前後のチャンネルを見ることができるらしい。さらにこの家では、冷蔵庫、洗濯機、温水器や炊飯器も買った。冷蔵庫や洗濯機、炊飯器は家事を楽にさせた、食生活を少しづつ変えていってるようだ。山の夜は冷えるので、温水器があると夜になっても多少は温かい湯でシャワーを浴びることができる。これまでは夕方のうち、日の出ている時間に浴びてしまうのが習慣だった。これはたまに行く私にとってもうれしいことだった。

電気が通じるようになったとはいえ、家電製品をここまで揃えているのはこの家だけらしい。ほとんどの家は蛍光灯程度と聞いている。それでも村の生活は目に見えて変わってきている。