今回の杉屋佐助さんは、『尾張名所図会』に載っている長谷院の詩についてです![]()
※『尾張名所図会』より引用・加工
『尾張名所図会 後編 巻3』の「中河原桃林 長谷院」の絵図です。
絵は小田切春江さんによるもので、景観から恐らく嘉永年間から明治初期あたりの様子でしょうか。
刀を差した人が何人か描かれていますが、明治9年(1876)の廃刀令によって一般の「帯刀」が禁止されたので、嘉永~明治9年の間と思われます。
※本の出版は明治13年(1880)
さて、絵図には3つの詩が掲載されています![]()
上の二つ(①と②)は中河原の桃林(絵図の右上部分)について、下(③)は長谷院について詠まれています。
「中河原」という地名は長谷院から南東の新川を越えた場所にあります。
今は住宅地となって面影はありませんが、かつては桃の木がたくさんはえた長閑な風景だったようです。
最初に絵図を見てからずっと、このブログでも何回も出てきた絵図ですが、3つの詩の意味をわからずにいたので、AIの力を借りて現代文に訳してもらいました![]()
※AIなのであくまで参考程度に!![]()
①澤田眉山
沢田眉山(さわだ びざん)
江戸後期の儒者。名は師厚、字は天爵、号は三堂、通称は三郎・良蔵。永井星渚に師事する。
また丹羽盤桓子に学び、四天王筆頭として名を馳した。明倫堂教授。嘉永6年(1853)歿、56才。
※weblio『美術人名辞典』より引用
麦浪會風緑
桃花羅日紅
鶏声啼人語
摠在彩霞中
澤田眉山
[AI訳]
風にそよぐ麦の波は緑一面に揺れ、
桃の花は日差しを透かして鮮やかに紅く染まり、
鶏の鳴き声や人々の話し声が聞こえてくる。
それらすべてが、美しい朝焼けの彩雲の中に包まれている。
細野要斎さんと同じ明倫堂の教授です![]()
この詩は、春の朝ののどかな農村の風景を色彩豊かに描いているとの事です。
②野口道直
野口 道直(のぐち みちなお)
尾張国の青物問屋商人。八代目野口市兵衛にあたる。号に梅居・汲古堂・全花楼・継志軒がある。
春日井郡枇杷島にあって枇杷島橋の橋守役を務めていた。
『尾張名所図会』の執筆に岡田啓・小田切春江らとともにかかわり、自費出版をする。
同書の出版に際して、財産の大半を費やしたとされる。
文久3年(1863)、野口姓を名乗る許可を得る。天明5年(1785)~慶応元年(1865)。
※Wikiより引用・加工
色深き 桃の
はやしの
中河原
よそめ奥ある
花の夕榮
道直
[AI訳]
色の濃い桃の林が広がる中河原に、他人には伺い知れない奥深さを秘めた花のような夕暮れの輝きがある。
この詩は先ほどの春の朝ではなく、春の夕暮れ時の幻想的な風景を詠んだものだそうです![]()
『尾張名所図会』の作者ですね!
③芝丸
詠み人の芝丸は、杉屋佐助さんです![]()
長谷院にある「佐助塚」の裏面には佐助さんの辞世が刻まれており、最後に「芝丸翁」となっています。
慈悲深う
花も見ゆるや
堀江山
芝丸
[AI訳]
観音様の慈悲深いお心によって、お寺に咲く美しい花々もいっそう尊く見える。
上の2つは「中河原桃林」の情景を詠んだのに対し、佐助さんは長谷院の様子を詠んでいます![]()
仏教的な感謝と感動を表現しているそうです。
ちなみに長谷院の住所は愛知県清須市桃栄です![]()
新発見を求めて、佐助さん探しの旅はつづく。
またねー!


















































































