江戸時代末期に学者の細野要斎が執筆した『名古屋叢書三編 第二十巻 感興漫筆』。
日記調で書かれたこの文献のp304に、杉屋佐助さんと思われる記載があります
この情報もフォロワーさんより教えて頂きました!ありがとうございます
『感興漫筆』は前回のブログ記事の上長瀬の茶所(安政5年)でも引用しましたが、今回は安政4年の寺社参詣の話です。
ここに「杉屋佐助」さんの名前が登場します。
丁巳四月廿日、一徳と共に登詣せんと、巳の刻過る頃より家を出、
出来町を出はなれ鉈薬師堂の前を過、末森村古城趾の傍を過、高針村に至て小憩し、
午の半刻頃岩崎村に至り、まづ六坊が滝を見る。
瀑布の高さ七間許、東向に下る岩角に不動の小石像を置く、近来新に彫刻すと見ゆ、
基石に 松屋久左衛門 杉の屋佐助 と彫たり、六坊が池その西にあり。
池心に小嶋ありて樹木生たり、景色よし、矚目了りて古城趾を尋ぬ。
<意訳>
安政4年の4月20日、長男と一緒に参詣しようと午前10時頃に家を出発。
出来町を出て鉈薬師堂と末森城址の傍を通って高針村で休憩、13時頃に岩崎村に着く。
最初に六坊が滝(現:菊水の滝)を見る。
滝の高さは12mほど、東に下る岩角に新しい不動明王像があり、台座には「松屋久左衛門 杉の屋佐助」と刻まれている。
滝の西側に六坊が池(現:弁天池)がある。
池の中に小島があって景色が良い。
堪能したので古城趾(現:岩崎城)を訪ねる。
という事で、
※GoogleMapより引用・加工
行程を地図にマッピングすると上記のようになりました。
往復20Km以上の道のりを普通に出掛けて行く感じが凄い
ちなみに
「松屋久左衛門」
「杉の屋佐助」
と刻まれているようですが、これは
「松野屋久左衛門」
「杉屋佐助」
と考えて良さそうですね!
「野」を入れる位置が逆でしょ!とツッコミたくなりますが、当時ではよくありそうです。
という訳で、六坊が滝に来てみました!
現在では菊水の滝と言われています。
奥まで入っていくと、細~い滝がありました!
しかし、高さは12mもありません
これは『尾張名所図会』 前編 巻5に描かれている「六坊が滝」です。
ここでは「岩崎瀧」と名付けられています。
水の量も景観もずいぶんと変わってしまったようで残念ですが、残っているだけ良かったとすべきでしょうね
滝のある方向が北です。
滝には4基の石造物を確認できました。
先ずは滝の傍にある2つの石造物から見ていきましょう。
<1つ目の石造物>
右側の小さな石造物です。
『感興漫筆』には「小石像」とあるのでこれかもしれません。
「三体八王龍王」と刻まれているような気がします。
「八大龍王」という不動明王の化身と関係があるのでしょうか。
台座に何か刻まれているような気がしますが、彫が薄く全く読み取れませんでした
<2つ目の石造物>
左側の少し大きめの不動明王像です。
台座にビッシリ何か刻まれており、もしてかしてコレ!?
10名ほどの商人(屋号)と思われる名前が刻まれています。
近寄れないためズームで狙いますが、薄暗さもあってなかなかくっきりとした写真が撮れません
暗いのでシャッター速度が稼げず、息を止めないとブレてしまいます。
撮影設定を変えたり、動画で撮ったりして、画像を解析してみたところ、なんとかこれだけ解読できました。
平松屋□□
□子屋(?)□□
□□屋松助
□□屋久七
□□市□門
□□屋利助
林仙吉
袋屋兵七
亀田屋弥七
平野屋吉助
加(?)藤秀秋
この滝の近くにあるお寺「妙仙寺」の文字が刻んであるように見えたのですが、よくよく見ると「林仙吉」でした
また、台座の左側面には年号または2名の名前と思われる文字が刻まれていましたが、解読は難しかったです。
ただ「杉の屋佐助」「松屋久左衛門」は無いと判断しました。
<3つ目の石造物>
滝の西側の中程に不動明王像がありましたが、これは台座が薄くて何も刻まれていませんでした。
<4つ目の石造物>
3つ目の像の上には、顔が取れた不動明王像がありました。
ちょっと触ったら落っこちそうです。
取れたと思われる顔は、台座の上に立て掛けてあります。
その台座の右側面に何か刻まれています。
位置的に正面から撮れないため、文字判別が難しいです
なんとなく尾州の「尾」と「□町」という文字が刻まれているような気がしますが、どうなんでしょう
少なくとも見えている範囲で佐助さんや松野屋さんの文字は確認できませんでした。
うーん、厳しい
※2024/07/05追記
「菊水の滝」がある場所は尾州のようなので寄進物に「尾州」とは刻まないと思います。なので「尾」は尾州ではなさそうですね~。
という事で、残念ながら佐助さんの不動明王像を確認する事はできませんでした
ところで、なぜ滝のところに不動明王像があるか不思議に思って少し調べてみました。
大日如来でお馴染みの密教や御嶽信仰など山岳信仰で行う修行の一つに「滝行」があり、滝に打たれながら唱えるのが不動明王(大日如来の化身)の教えのため、滝と不動明王の関連性が高いようです。
確かにここの岩崎山には岩崎御嶽社がありますね
少し時間が余ったので観光がてら周辺を散策してみましたよ
復元された岩崎城。
織田信秀(信長の父)が建てたそうです。
併設された資料館の壁に置かれた「御嶽信仰」と思われる瓦。なぜここに?
さらにその横には岩崎城古墳。6世紀前半の円墳だそうです。
石室は復元です。
見晴らしの良い高台にある古墳です
最後に岩崎御嶽(おんたけ)社。
ここにはビックリしました
拝殿。
不動明王と龍。
区画毎に石碑が所狭しと並ぶ。
山全体が完全なる異世界!
山岳信仰の凄さに感銘を受けました。
伊藤萬蔵さんが大正元年に寄進した香台を発見
萬蔵さん、コンニチワ!
残念ながら、佐助さんの不動明王像は見つかりませんでしたが、興味深い歴史探訪となりました
新発見を求めて、佐助さん探しの旅はつづく。
またねー!