今回は長瀬村の北にある岐礼(きれ)を散策します
※GoogleMapより引用・加工
岐礼村は横に長いですが、ほとんど山で根尾川沿いと谷沿いに集落がある感じです。
最初に訪れたのは「稲荷神社」です
見るからに神聖な領域を感じさせます。
大垣藩主より本殿を奉納されたという。
拝殿前の大きな常夜燈です。
江戸時代かなと思いきや、「紀元二千六百年」記念行事で建立したようです。
紀元二千六百年記念行事とは、昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事で、当時盛大に行われたようです。
神社を10カ所ぐらい巡れば1つは出会うというぐらい
次の紀元二千七百年記念は2040年。あと16年後です。
続いて「新宮神社」にきてみました
火袋以外は自然石で造られた燈籠。
絶妙なバランス!
無骨なところがカッコイイ!
なんとも良い味を出していますね~
新宮神社の御神木であり、岐阜県天然記念物の「伊野一本スギ」。
樹齢は1000年以上らしく、平安時代に木の芽が出たというから凄い
木にはモミジやネムの木が宿っているそうです。
いやはや、木って地球上で一番不思議な生物かも。
なお、この新宮神社の「伊野」地区にも根尾川に渡船場があったそうです。
少し戻って岐礼谷方面へ向かいます。
岐礼観音堂入口の少し先に大きな常夜燈を見つけました!
なんと嘉永年間の常夜燈です!
岐礼では初の江戸時代の寄進物!
[正面]
萬民安全
大神宮
左 谷汲道
[右面]
嘉永三庚戌年
三月吉旦造立
[裏面]
現住梅翁□
[左面]
右 ゑちぜん道 十り
嘉永三年(1850)に建てられた石燈籠です。
左 谷汲道、右 越前道と道標も兼ねています。
こちらもほぼ自然石で造られており、非対称感がなんとも良い感じですね
「大神宮」と刻まれていますが、この理由について『谷汲村 ぶらり歴史散歩』によると、
当時、お伊勢参りが大流行しましたが、誰もが行けるわけではなかったため、この燈籠を建てて伊勢神宮の仮の宮としてお参りするようになったそうです。(大神宮=伊勢神宮)
※GoogleMapより引用・加工
谷汲から伊勢神宮までのルートは、大垣まで徒歩、大垣から桑名までは大垣市内を流れている水門川を船で下り、桑名からは伊勢湾を二見浦まで船で行って伊勢に上陸したそうです。
伊勢街道を使ってないのは意外でした
ちなみに片道一週間ほどだそうです
そして「岐礼観音堂」へ向かいます。
動物除け柵を越えていきます。
観音堂の寺標でしょうか。
参道には西国三十三所札所の石仏が並んでいました。
やはり注目するのは八番札所の長谷寺。
長谷院の三十三所燈明は杉屋佐助さんの銘がありますからね
しかし、施主は確認できず...残念
本堂です。静かな佇まいです。
少し休憩させて頂きました
続いては「法雲寺」です。
が、ここでトラブル発生!
ヒルにやられました
岐礼観音堂の参道でやられたのかな。
力強くしがみついているヒルをはがすと血が出てきました。
ティッシュで押さえますが血が止まりません。
道端は暑いので法雲寺の山門の日陰をお借りして、処置と休憩。
持ってて良かった絆創膏
いやはや参りました
はじめてヒルにやられました。
みなさんも注意してください
という所で、これにて岐礼散策は終了です。
散策の締めとして最後に「華厳寺」にやってきました
杉屋佐助さんと佐太郎さんの供養碑。
佐助さん、佐太郎さん、コンニチワ!
もちろん、伊藤萬蔵さんの寺標と柴山藤蔵さんの常夜燈も見てきましたよ!
と、そういえば行ってみたいところを思い出しました。
佐助さんと佐太郎さんの供養碑から「ため池」の方に降りていくと「妙法ヶ滝」があり、そこに不動明王が祀られているそうなので来てみました。
しかし、杉屋佐助さんかどうかは確認できず...。
杉屋佐助さんの大黒様から始まった謎解き散策
次回は最終回、まとめ編です。
つづく。