前回の記事で林政治郎さんが名古屋旭廊で2つのお店をやっていた事がわかりました。
そして、大正12年(1923)に街中にあった旭廊が風紀上の問題等から中村遊郭へと移ることになります。
移転に伴ってお店を辞める人も居た中、林政治郎さんはどうしたのでしょうか。
※今昔マップから引用・加工
これは大正9年測図の地図です。
密集地帯にある旭廊に対して移転先の中村遊郭は周りに何もない僻地です![]()
ちょうど大正9年から移転の為の整地が始まったため、中村遊郭の場所には更地と区画を表す堀だけ見えています。
これから大正12年にかけて徐々に独特の雰囲気のある建物が建てられていくことになります![]()
まだ名古屋駅から近いのが救いでしょうか。
※GoogleMapより引用・加工
こちらは現在の地図です。
旭廊より中村遊郭の方が面積が少し大きくなっているのがわかります![]()
移転の理由に旭廊が手狭になったというのもあったそうです。
そして名古屋駅は若干北に移動しました。
※GoogleMapより引用・加工
中村遊郭の拡大地図です。
遊郭の4つ角の入り口は斜めの道となっており、中の様子が見にくくなるよう配慮された設計と思われます。
町の名前がより縁起の良いものになっていますね![]()
さて、林政治郎さんのお店「中嶋楼」と「政中嶋」はどうなったのでしょうか!?![]()
『歓楽の名古屋』という本に載っていた中村遊郭の地図です。
年代は恐らく本が発行された直前の昭和12(1937)年頃と思われます。
中村遊郭が誕生して約14年後の地図ですが、ちゃんと「中嶋楼」と「政中嶋」がありました!![]()
林政治郎さんは無事中村遊郭へ移転できたようです![]()
良かった良かった![]()
※『名古屋・愛知県・岐阜県・三重県職業別電話名簿 大正12年版』国立国会図書館デジタルコレクションより引用・加工
こちらは大正12(1923)年版の電話帳で、中村遊郭移転の年の情報となります。
ただ、店名が「中島楼」が「新加島楼」、「政中嶋」が「加島楼」に変わっています![]()
両店舗とも町名は羽衣町と賑町で同じです。
オーナーも「政中嶋」の方が変わっていますね。同じ"林"姓なので親族でしょうか。
それで、なぜ電話帳と名前が違うのかという理由ですが、移転する時は心機一転で新しい屋号にしようと電話帳に登録したけど、お客さんから前の馴染みのある名前のがいいと言われて、もとに戻した...とか?
憶測です。
次回は、現在の中村遊郭を見に行った様子です。
はたして遺構は残っているのでしょうか?![]()
以下、余談です。
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昭和12年の名古屋
『歓楽の名古屋』という本は昭和12年(1937)3月に発行されています。
時は中村遊郭の最盛期(貸座敷138軒、娼妓2000人)で、花魁道中が開催された年でもありました。
名古屋駅が北側へ少し移動したのもこの年です。
本の内容は前半は昼間のデパートや寺社などの名古屋観光、後半は夜の観光...という構成となっています。
これは丁度この年の3月から「名古屋汎太平洋平和博覧会」が熱田神宮の南側で開催されるため、来場客を取り込めるよう観光ガイドブック的な本にし、博覧会に合わせて発行したようです。
持ち歩きしやすいよう、本のサイズも小さめに作られています![]()
当時の遊女名鑑も掲載されており、『吉原細見』ならぬ『中村細見』![]()
林政治郎さんの中島楼は14人、政中嶋は19人の遊女が紹介されています![]()
しかし、「平和博覧会」とした平和の願いも届かず、この年の後半から日中戦争が始まり、いよいよ日本は戦争一色に染まっていく...。
昭和12年はそんな年だったんですね。
またねー!































































































