今ニュースを見ているのだが・・・
国土交通委員会のシーン。
ここまでくると、人というのはああも醜くなれるもんなんだね。
たとえば、これで責任を全て他になすりつけて、一切無実という作られた事実を手に入れたとしても、そのあとの残りの人生、間違いなく誰の信用も受けられなくなる。
たぶん、罪を認めてもそうだろう。

だとしたら、どうしたらいいんだろう・・・?

過ぎ去った時間は巻き戻せないんだよ。
日本全国に醜態を晒し、無関係の者にまで怒りの念を呼び起こさせるようなことをしたって、どんどん未来が閉ざされていくだけだと思うのだが・・・
今期限りで反町監督がアルビレックス新潟の監督を退任するそうな。。。
五輪代表のコーチに就任するという噂があったからなあ・・・
ああ・・・・ショック。。。(死
何か事を成した人物ほど、得るものが多い。失うものも多い。縛られるものも多い。

敢えて言おう。

衝動だったっていい、夢・理想だったっていい、大義だったっていい。

自慰的な民衆のためにまとった衣を全てを脱ぎ去った後に残るのは、紛れもない人ひとり。

ひとりの人間は決して強くない。広げた翼は人ひとりを飛ばす力すら無いことも多い。

ましてや幾重にも衣をまとった体で飛び立とうとは、何をか言わんや・・・



私を含め、民衆はこれ以上愚民に成り下がらぬためにも、そのことを知り、真摯に受け止めねばならない。


何か事を成した人物ほど、その世界から身を引く時に求められるものがある。

それは本人が欲するのではなく、周囲が欲するもの。

その事実に対し己を納得させることができるような、筋の通った理由、いわば大義。



ここでひとつ考えてみて欲しい。

人間の行動には全て意志がこもっているとはいえ、全ての行動に大義があるだろうか?

ましてや、身を引くという行動に際し、大義を胸にそれを実行する人間はどれほどいるのか?

大義といわずとも、夢や理想を胸にそれを実行する人間は多いだろう。いや、理由付けされるものの大方はそれだ。

しかしなによりも、ある時一瞬に生じた衝動を行動に移す覚悟こそが一番の行動の理由になっていないだろうか?

衝動では許されず、覚悟でも許されない。夢・理想という不確かなものは拒まれ、後づけであっても大義を求める民衆。


見た・・・見てしまった。。。。。

今まで、化粧やひげそり、朝食は見たことがあったのだ。

まさかねぇ・・・

歯磨きですよ、歯磨き。

クルマ運転しながら歯磨き。

で、ご丁寧にも、赤信号で止まったときに用意していたペットボトルの水で「ブクブク」

と口をすすいで、ドアを開けて外へ「ペッ」。



この女性、かなりのツワモノ・・・(^^ゞ


<制度利用者少なくフレックスタイム運用停止…三洋電機>

 経営再建中の三洋電機は、本社(大阪府守口市)や東京製作所(群馬県大泉町)、洲本工場(兵庫県洲本市)の管理部門などを中心に、出退社の時間を社員が自分で決める「フレックスタイム制度」の運用を停止した。

 停止期間は1年がめどで、将来は廃止も検討する。業績悪化を背景に、業務を効率化するのが目的だ。

 三洋電機は1989年12月にフレックス制度を開始し、製造現場を除く大半の職場で導入している。ただ、管理職が部下の勤務の実態や時間を把握しにくく、定時に社員がそろわずに会議が開けないといったマイナス面がある。本社では利用者が少なく、形骸(けいがい)化していたことから、労働組合側と協議し、停止を決めた。

 同社は停止の理由を「生産性の向上や、上司と部下とのコミュニケーションの活発化のためで、賃金抑制が目的ではない」と説明している。



[記事]:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051112-00000314-yom-bus_all
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フレックス・・・
以前勤めていた会社にもこういう制度があった。
でも、それを使う人はいなかったね。
なぜかって?
それは、使おうとすると上司に拒否されるから。
ま、そういうもんですよ。制度なんて。
表向きは云々と言ってるけど、結局は意図的に形骸化させられるんです。
てか、会議が開けないって、そりゃ前もって告知して日程調整しなければ、真っ昼間の2時だって会議は開けないよ。
スケジュールなんて余程のことがなければ、みんながそこへむかって各人が調整していくものだから。
フツーの社会人ならそこら辺をちゃんと調整していって当たり前じゃない?
σ(^-^)が思うに、この件、表向きはそうはいっていても・・・・邪魔になったんだろうね、制度が。

<新手のスキミング被害か カード挿入口で読み取り>

 十六銀行(岐阜市)は11日、岐阜県羽島市のコンビニ駐車場に設置された現金自動預払機(ATM)を利用した2人の顧客のキャッシュカードが偽造され、9月から10月にかけ、別の金融機関のATMから計約41万円が引き出される被害があったと発表した。
 ATMのカード挿入口に装置を設置し、カード情報を読み取る新手のスキミングとみられ、愛知県安城市の碧海信用金庫のATMでも3月と4月、同様の手口で現金計約17万円が引き出されていたことが分かった。
 全国銀行協会では「ATM自体に仕掛けられたのは聞いた事がない」としている。
 岐阜、愛知両県警はATMに設置された防犯ビデオを解析するなどして関連を調べている。いずれの被害も、スキミング装置そのものは確認されていない。



[記事]:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051111-00000215-kyodo-soci
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この手口、中国っぽいよね。。。

とにかく、これだけ次々と犯罪が行われ、猫も杓子も詐欺に手を染める世の中になってしまったのは、一体なんでなんだろう。
こういう犯罪者を見ていると思うんだよね。
もの凄く幼稚だし、甘えてるって。
いや、甘えてるって言うか、甘やかされてるんだろうな。
それを周りが許してるんだよ。
人は弱いから、許されれば増長するからね。どんなに突飛なことでも、それが普通になってしまう。
叱ったりね、注意したりね、罰したりね、そういうこと、ちゃんとできる世の中じゃなくなってるんだな。
叱られたくないから、注意されたくないから、罰せられたくないから。。。。だからそれを許すことで、もしもの時の免罪符を手に入れようとする。
結局自分が逃げるため、許されるために他人を堕落させる。

汚いよね・・・

罪深いよね・・・

ニート。
「Not in Employment, Education or Training」の頭文字をとったもので、元はイギリスの労働政策に用いられる語だそうだ。
日本では、失業者でもフリーターでもない、つまり、働いているでもなく、勉強しているわけでもなく、そして家事労働をしているわけでもない、産むものもなく、ただ消費をするだけの人をさしてそう呼ぶ。


私の従兄弟に、俗に言うニートという生活を送っている者がいる。

夢、理想・・・そういうもののない人生はつまらない。
己の能力を安売りせず、昨日より今日、今日より明日、夢・理想の名を借りた進化を遂げる己を思い描きつつ、現実を夢思う。
誇り高いし、人の生としての高み。

総じてニートと呼ばれる人たちはプライドが高い。
理想を思い描く妄想力にも長けている。
しかし、私が敢えてここで妄想力と称したのには意味がある。
どんなに気高い理想があろうとも、そんなに大きな夢があろうとも、現実を正確に見つめる目、見極める力、受け入れる心が養われていなければ、それは夢でも理想でもない、全てただの妄想なのである。

世の中は己の力で回すことはできても、己を中心に回っている訳ではない。
己の意に介さぬことは五万とあれど、それをかわすなり、昇華するなり、受け入れ改善するなり、己にとって負の流れを正の流れに変えていくことこそ、成長というもの。
その歩みを自ら止めた者には、成長という言葉自体がタブー化し、そこがはき出せぬ憤りのはけ口となる。

「自分を正当に評価してくれない」

「自分にはもっと能力に見合った生き方があるに違いない」

「己を見つめ将来を決断するには、時には歩みすら止め熟考せねばならない」

彼らはそういうだろう。
でも、よく考えてみて欲しい。
評価なんてものは100人いれば100通りある。
今、自分で自分を評価しているその評価も、1/100の評価に過ぎない。
能力に見合った生き方・・・それが出来ないから今こうして世間から認められない生活をしているのではないか?
そこに見合うための努力は成されたのか?
歩みを止めて熟考している間にも、立ち止まっているそこは過去、既に今ではなく過去になっているのだ。
歩みを止めない流れの中に生きている者として、歩みを止めることこそ致命傷になるということ。
それは常に他よりも一歩先へ歩んでいかねばならない経営者やベンチャーと呼ばれる生業に就く者にとっては、至極当たり前に染みこんでいる考え。
苦しい? 歩きながら考えるのは苦しい?
たとえ今苦しくても、時間が経てばそれが自分の息になる。

甘やかしてはいけない。

一時の感情や己の中にある弱さで、その人の人生を堕落させてはいけない。

言葉には魂が宿る。
厳しい言葉を発すると言うことは、発した者がその言葉に魂を込め、また魂のこもった言葉に己も縛られると言うことだ。
だから、厳しいことを言うには、覚悟がいる。言葉をぶつける相手が、それを受け入れるために覚悟が必要なのと同様に。

でも、多くの人は解ってはいても、己に対する甘えがあるからその言葉が言えないのだ。
私もそうだ。
己に甘えがある。

難しい・・・厳しい・・・

カノジョが不可抗力とはいえ、職を失った時、私は私が経験した職のない時の厳しさを全て教えた。
最後まで一緒に苦しむ覚悟で全てを教えた。
カノジョは徐々にではあるがそれを理解し、今理不尽に厳しい環境でありながらも、生活と自分の将来のためのスキルを得ようと頑張って働いている。
歩きながら考えてるんだよね。
歩きながら後ろでもなく、足下でもなく、少しだけど先を見て考えてる。

私もまた甘えが出てきたのかな・・・
こうやって文字は書けるけど、言葉はでない。
魂がこもらないね・・・・

私も頑張らないと・・・・





ここのところ、紅葉を求めて西へ東へ南へ北へ、これぞ東奔西走の見本のように走り回っているσ(^-^)。
10月だけで2千数百キロの旅をした。

旅を始めた頃は、まだ道中は色づく木々も少なく、目的地で紅葉を愛でるのが精一杯だったのにもかかわらず、それが秋が深まるにつれ、徐々に道中の木々も色づき始め、旅の行程全てで色づいた景色をみることができるようになってきた。

そして始めに訪れた山々では初雪の便りも聞かれるようになり、今まさに雪の白、紅葉の赤黄、針葉樹の緑、三色の見事なコントラストが、我々を楽しませてくれている。

こんなふうに外の世界だけを追ってきた一ヶ月間だったが、σ(^-^)が忘れている間に内側の世界、つまりσ(^-^)の生活空間も変わりつつあるようだ。

春、σ(^-^)の目を楽しませてくれたジモトザクラは、既にこんなふうに色づいている。
いつも通っている道沿いにある木なのに、なぜか気づかなかったσ(^-^)。

相当気持ちが外の世界に向いていたんだろうな・・・

痛いところがあったり、苦しいところがあったりしたとき、よく人は「さする」という行為をする。
そうすると不思議と安らいだ気持ちになれる。
これは人の手のひらから出るパワーが痛みや苦しみを和らげるのだそうな・・・

むずがっている赤ちゃんをリズミカルに軽く叩いて声を掛ける。
そうすると赤ちゃんは泣くのを止め、微睡む。

手を繋ぐという行為もそうだね。なにか不安な事があったり、ちょっと淋しかったり、そんなとき手を握ることで手のひらからでるパワーを分かち合い、力や安らぎを得ることができる。

手のひらから伝わる愛。

パワー=愛なのかな。。。?