我思う。しかし、我なし。
「頑張る、頑張るっていつ頑張るねんな?」
そう自分を鼓舞し、一時は頑張るのだが、大概長続きしない。
それは、自分に覚悟がないからだ。
つい先日まで、そんな風に思っていた。
でも、ふと思った。
大体、頑張っているとかいないとかの基準ってなに?
寝食を惜しむほど動くことか?
僕が育った世代は、何事も根性論だった。
クラブ一つをとっても、練習中に水分補給をするなんて考えられなかった。
兎に角、より多く練習すれば強くなると教えられた。
確かに忍耐強さはつくが、理論的ではない。
僕の仕事の仕方というのも、それが根底にあるのだと思う。
当たり前だけど、そんな事が通用するのは一時的なものだ。
勿論、物理的に動くという事も大切だろうけど、
思考を練る事に時間を使う事も大切だ。
要はバランスの問題なのだ。
物販をしていると、目の前の商品を片付けると仕事をした気になる。
これが曲者だ。
輪の中のハツカネズミのように、同じ所をぐるぐる回っている。
疲れ果てて立ち止まり、ふと周りを見渡すと、
そこは走り出す時と同じ景色だと気づき唖然とする。
また、慌てて走り出す。
輪の中にいることに疑問を抱かない。
ひょっとすると、輪の中にいることさえ気がついていない。
それが僕だ。
知人が言う。「僕の仕事はパソコン一台あれば、事足りる。そういう時代ですよ」
続けて言う。「世の中にはメーカーになるべき人間とそれを売り買いするバイヤーがいる。
kenさんはメーカーになるべき人だと思う。早く僕のいる側にシフトしなさい。」
それは、思いもしない言葉だった。
大体、僕に何が出来るのか検討もつかない。
何らかの技術を持っている訳ではない。
言葉巧みな話術を持っている訳でもない。
何ぞのセミナーに出席しても、そのエネルギーに圧倒されて戻ってくるのがおちだろう。
僕には与えられた部品を根気強く組み立てるくらいしか出来ない。
そう思ってきた。
人には向き不向きというものがあり、
それは自分の目と他人の目では180度違う事もある。
今の自分にしっくりこないなら、他の目を信じて動いてみるしかないかとも思うのだが、
はて、何から始めてよいのやら・・・
そう自分を鼓舞し、一時は頑張るのだが、大概長続きしない。
それは、自分に覚悟がないからだ。
つい先日まで、そんな風に思っていた。
でも、ふと思った。
大体、頑張っているとかいないとかの基準ってなに?
寝食を惜しむほど動くことか?
僕が育った世代は、何事も根性論だった。
クラブ一つをとっても、練習中に水分補給をするなんて考えられなかった。
兎に角、より多く練習すれば強くなると教えられた。
確かに忍耐強さはつくが、理論的ではない。
僕の仕事の仕方というのも、それが根底にあるのだと思う。
当たり前だけど、そんな事が通用するのは一時的なものだ。
勿論、物理的に動くという事も大切だろうけど、
思考を練る事に時間を使う事も大切だ。
要はバランスの問題なのだ。
物販をしていると、目の前の商品を片付けると仕事をした気になる。
これが曲者だ。
輪の中のハツカネズミのように、同じ所をぐるぐる回っている。
疲れ果てて立ち止まり、ふと周りを見渡すと、
そこは走り出す時と同じ景色だと気づき唖然とする。
また、慌てて走り出す。
輪の中にいることに疑問を抱かない。
ひょっとすると、輪の中にいることさえ気がついていない。
それが僕だ。
知人が言う。「僕の仕事はパソコン一台あれば、事足りる。そういう時代ですよ」
続けて言う。「世の中にはメーカーになるべき人間とそれを売り買いするバイヤーがいる。
kenさんはメーカーになるべき人だと思う。早く僕のいる側にシフトしなさい。」
それは、思いもしない言葉だった。
大体、僕に何が出来るのか検討もつかない。
何らかの技術を持っている訳ではない。
言葉巧みな話術を持っている訳でもない。
何ぞのセミナーに出席しても、そのエネルギーに圧倒されて戻ってくるのがおちだろう。
僕には与えられた部品を根気強く組み立てるくらいしか出来ない。
そう思ってきた。
人には向き不向きというものがあり、
それは自分の目と他人の目では180度違う事もある。
今の自分にしっくりこないなら、他の目を信じて動いてみるしかないかとも思うのだが、
はて、何から始めてよいのやら・・・