Cleo Abram
クレオ・エイブラム
transgender women

 

 

私の名前は、クレオ・エイブラムです。米国ロードアイランド州の・・・

小さな田舎町のセントラルフォールズに住んでいる。28歳の・・・・
トランスジェンダーの女の子です。私は、幼い頃から自閉症に悩まされて、

トランスジェンダーの女の子になって、自分らしくいられて幸せで、・・・

生きていることに恍惚としている。

 


 

私が18歳の時に発達障害と診断されました。それまで上手くいかない・・・
ことがあると髪の毛を引っ張ったり自分の腕に爪で引っ掻いたり・・・
激しく暴れ、死にたい!何で生まれてきたのよ!生きて行くのが辛い!

死にたい!と毎晩、枕元で泣き叫び、自分自身が毎日、おかしくなりそう!

と辛い日々でした。

 

 

 

アメリカのロードアイランド州に生まれたクレオさんは、幼いころ、・・・・

クイズ番組や地図といった風変わりな対象に興味を持っていたという。

いつも飛んだり跳ねたりして手をバタバタさせる、他人の頭を触るなどの

変わった行動も見られた。小学校では、独特の動作や不器用さを周囲から

からかわれ、友だちができなかった。

 

 

思春期を迎えたクレオさんは、さらに深刻な混乱に陥る。中学校で女子との

関わりはあまりなかったが、男子数人からゲイと呼ばれたり、性的なからかいを

受けたりした。同性愛への偏見が強かった当時、クレオさんは、女子に興味が

あることをアピールしようとグラビア雑誌を買ったり作り話をしたりするが、

これらも失敗に終わる。

 

 

女の子に魅力を感じないのも困ったことでしたが、もっと困ったのは、・・・
同性のクラスメート数人に心惹かれたことでした。これは私にとって、
理解不能でした。おまけに、ぼくが惹かれたクラスメートというのは、
よりにもよって、ぼくをいじめていたやつらだったのです。

 

 

どうして? これって、何かいまだけの一時的な気持ち? それとも・・・
いや、そんなはずは……ほんとうにゲイ? このことだけは、どうしても
受け入れられませんでした。私がゲイのはずがありません。
私には、変なところやみんなとちがうところがすでにいっぱいあるんです。

 

 

そもそも、奇妙に聞こえるかもしれませんが、自分自身のなかに性的な
面があるということ自体を受け入れることからして困難でした。自分が
ゲイかもしれないと考えるだけで気分が悪くなるほどでしたが、・・・
問題はそれだけではありませんでした。

 

 

私は性と無縁の存在になりたかったんです。別の言葉で言えば、・・・
私、自分自身を、それからすべての性的な衝動を否定したかったんです。
こういった衝動は私を混乱させるだけでした。ふつうに社会生活を送る
だけでもじゅうぶんたいへんなのに、性という、よけいに厄介なものを
さらに上乗せされるなんて。/だけど、私は性をもった存在であり、
いろんな空想や関心をもつことは否定できません。

 

 

私が18歳になった頃、性的指向に関する悩みを両親に打ち明け、性科学の

専門家に相談することにした。性的経験がないのだからゲイかどうかは・・・
わからないとの回答を得て、クレオさんは、一安心する。ただ、・・・・・
一般的な対人関係すら築けない彼にとって、実際に経験しなければならない
ということはハードルが高すぎた。

 

 

性別を表す言葉として「ジェンダー」という言葉が近年ではよく使われる
ようになりましたが、ジェンダー(Gender)は社会的、文化的な性を
表します。一方、生物学的な性を英語ではSexと言いますが、・・・・
単に「性別」という言葉がこのSexを表す言葉と理解する見方が・・・
一般的でした。

 

 

従来は生物学的性別を「男性」と「女性」だけに分けてきましたが、・・・
近年はそのどちらにも属さない性があることも明確になり、社会的にも
認知されるようになりました。

 

 

以前、自閉症の私は、目立たないように隠れて暮らすしかないと思って
いました。幼い時からの知人や友人たちとは、次第に連絡が途切れました。
その当時の私は、女の子の格好が自分自身にやすらぎを感じていました。

 

 

私は「自閉症」を患って18年間生きており、常に誰からも敬遠され、
嫌われているという感覚があります。「私の父でさえ私を嫌っている
ようです。父親は私が同性愛者だと思っていました。」・・・・・
父親は、息子の私が不甲斐なさに失望していました。

 

 

「私自身は、また、自分に違いがあることを知っていましたが、・・・・
真実を知りたくなかったので、自分の本当のセクシュアリティを認め
たくなかったので、違いに触れませんでした。

 

 

幼い頃から自分の性別の違いを知っていたクレオさんは、常にそれを
隠す方法を見つけなければなりませんでした。「中学時代は男子の
同級生が好きでしたが、あえて告白することはありませんでした。
その初期の片思いは非常に強烈で、また非常に苦痛でした。
当時、私は病気に違いない、私は世界で唯一の変質者に違いないと
思いました。

 


 

彼女の性的指向は早い段階で明らかにされたので、彼女は女の子のように
服を着たり化粧をしたりしませんでしたが、クレオさんは、また友人に
からかわれ、「馬鹿にされたくない、からかわれたくない」という
とても悲しい気持ちでいっぱいになります。

 


クレオさんは、友達にいじめられたり、殴られたりすることがよくあります。
「私は孤独で、周りに誰もいません。私は彼らとは違うからです。」
その頃の私は、苦しみの地獄の底に住んでいるように感じました。

 

 

「自分の本当のセクシュアリティを見つけるための私の旅は、・・・・・
自分の違いに気づいたときに始まりました。」奇妙な病気にかかっている
と思ってから、クレオさんは、女の子として、生きるのが幸せではないかと
気付き私は、徐々に性別適合手術について学びました。

 

 

クレオさんは、医師の指示を受けて、ホルモン療法を始めた。
ホルモン療法を受けて約2年の歳月が過ぎた。私が女性とし生きる事は、
とても幸せを感じましたが、「本当の自分の心の声」を聞くことができれば、
人は幸せになれます。「本当の自分」を知ることは、自分を好きになる・・・

ステップ。

 

 

私は、高校を卒業後、社会人になって娘のように服を着て化粧をし始めました。
友達の中には私を理解してくれているので、少しずつ人生が明るくなって・・・

きました。子供の頃の悲しみを徐々に取り除き、よりオープンに生活する

ようになりました」。

 

 

私は、思い切って自己流でお化粧方法をマスターしました。
そして今、メイクは私の強力な味方です!もっとキレイになれるのにな〜と、
こっそり思う事、多いです。しかし、彼女は女の子として外出しても常に
怯えていたと言います。

 

 

クレオさんによると、アメリカ人はトランスジェンダーの人々を認めて
いますが、彼らの中にはごく一部、性別適合手術を受け女性として・・・・
生きている。「したがって、私のように完全な手術を受けていない人々は、

まだ多くの困難に直面しています。社会は今や偏見が少なく・・・
なっていますが、私たちがもはや精査され、嫌われていないわけでは
ありません。

 

 

しかし、クレオさんは本当の女性になれる事を熱望しています。
「性別適合手術を受ける余裕があるのは人生の終わりまでかも
しれませんが、それがいつであろうと、たとえそれがほんの一瞬の
女の子であっても、20年以上にわたって多くの憧れと期待を抱くのに
十分であるように感じます。

 


 

彼女は有名なトランスジェンダーのインフルエンサーでもある。
誰もがそうであるように自分がいる場所で、自分の幸せのために・・・
一生懸命頑張っているのか? ... 人と比べながら生きるのではなく、
自分らしく焦らず進むことが大切だと思う。