学生の頃、学校の講義内で「整形外科理学療法の理論と実技」や文献などでインソールというものを知りこんなことにも自分もしてみたいと思い、整形外科に特化した職場に就職しました。PT3年目の海の日に初めて「足と歩きの研究所」に行き「入谷式足底板基礎コース」を受講しました。固有筋やテーピングなど受講生ひとりひとりに丁寧に熱心にしかもユーモラスに教えてくれました。「だからテーピング引っ張るなってあれほど言っているのにひっぱるよねみんな~」とか大声で言いながら受講生の距骨下関節に誘導テープを張って首をふって「あ~こっちがいい。はい。もういいよ」「こっちのほうが楽だろ!。グフフフフ」
動作を診るという姿を目の当たりにして床にあぐらを書いて骨盤の振りを自分の首をふってリズムをとる姿をみて衝撃を受けました。そして、ただならぬ職人気質を感じました。臨床3年目で学生の頃から遠い存在であった入谷先生に半分ビビリながら、でもこんな機会はないだろうと出来るだけそばにいったり質問したりしてドキドキした一日を過ごしました。本当に夏の熱い日で帰りの江田の駅で「この先生が鹿沼整形の近くで仕事していたら患者ぜんぶ奪われるな」と思い驚異に感じました。でも充実感にあふれた日でした。
それから半年後に中級編を受講できました。セミナーのなかでなんかやたらと目が合うなぁと思いました。
一回目の休憩の時に、「せんせい。どこのだけだっけ?」と聞かれて、僕は緊張して「鹿沼整形の山田です。」「あーそうだ。そうだ。だから見たことあるんだ!」と豪快に笑い、「タバコ吸い行こう!」と控え室に連れて行ってくれました。その時初めて、(だからみたことあるんだって中級ってことはみんな基礎うけてるから全員見たことあるのに。きっと天然なんだな。でもなんとなくでも覚えていただいて光栄だな)って思いました。それ以来、先生の中では私は「鹿沼」になりました。
セミナー中「かぬまぁ~。わかるか~。」「かぬまぁ~。どっちがいいと思う?」ペアになった受講生から「鹿沼さん」といわれ「いや、俺の名前山田だから。鹿沼って地名ですから」っと説明したほどでした。当時先生は地名で人を覚えていたようです。ちなみに沖リハ同期の川端さんは「おきなわぁ」だったそうです。
講義のなかで脚長差の症例の話しがでました。6センチ脚長差があったそうです。それを入谷式足底板でスムーズに歩行させた話しです。その時5センチの脚長差がある症例さんを担当していました。私はその患者さんに先生の存在を話すと非常に興味を持ち、FAXで予約でお願い致しました。すると、その日の夕方に先生から職場に電話を下さり、予約をとり、僕が車で連れて行き実際の臨床を見せて頂きました。患者さんも感動。見学させてい頂いた私も感動。何よりビビったのは何日かしてから足のむくみがスッとしてました。
「やまだ。変わってきたら調整頼むな。」ぶっちゃげ完成した入谷式足底板をいじることなんてできませんでした。もったいなくてできませんでした。
何日かしたら、また先生が職場に電話して下さいました。「お~あの患者さんどうだ?」
「いや。喜んでで。行きの歩きと帰りの歩きが全然違くてびっくりです。ありがとうございました。」
「あーそうか。そうか。じゃがんばって。はぁーい。また。はぁーい失礼します。」といってあんなに忙しいのにわざわざお電話いただいてすごく律儀な方という印象を受けました。
上級でも相変わらず「かぬま~」でした。「か~ぬま~」「か~ぬま~」っと良くしていただきました。
埼玉医科大学で現職者講習会に参加し一番前に座り、デモで使ってもらって「今日懇親会あるけど来るか?」っと言われ埼玉医科大学の先生や岩永さんや大平こうちゃんとかと居酒屋に行かしていただきました。その時、「足と歩きの研究所の忘年会、5周年のやるんだけどお前来るか?」って言われてすごく光栄だったのを覚えています。
12月の足と歩きの忘年会に参加させていただきました。着いたら、何やら貫禄のある人たちが刺身を食べていました。当時亀田総合で働いていた柴田さんが、地元の漁師に頂いた天然のぶりをさばいていた刺身です。その貫禄のある人というのは福井勉先生です。あの歩行路のところに、刺身をおいて、あぐらをかいて座って刺身をたべていました。明らかに俺と柴田さんが一番下であとは人生の先輩方いっぱいいました。千葉先生。山本先生。宮城さん。小森さん。入谷先生に挨拶にいくと「おーやまだ~。ビールでいいか~」といってはじめて一発目からやまだと呼んでいただきました。この時から私は鹿沼から山田と認識されたようです。
その日は皆さん相当飲まれ、先生は2時~3時まで色んな話しをされて、特に悩み相談を受けていてその姿をみて後輩の面倒見が良いスケールの大きい姿を目の当たりにしました。
しかも、その日はなんと、自分の自宅が徒歩一分のところにあるにも関わらず、先生は「じゃーここで俺も寝る」といって、小森さんと柴田さんと俺と先生がそれぞれ部屋の4すみに別れ就寝しました。その時「やまだ寒いからこれかけろ」っといって自分の臨床で着ている白衣を俺に貸してくれました。そんな優しい人でした。
全国学会で入谷式固有筋について発表させていただきその許可や報告のためPCのアドレスで連絡させて頂きました。すると、メールで携帯電話の番号が記載されていて、ワン切りでいいから電話して下さい。とあったので、即座に「ワン切りなんてできませんので自分から掛けます。と返信メールに自分の携帯番号を書き送信と同時に書かれていた電話番号にかけました。多分日曜日の午前中だったと思います。
初めて電話したとき和室で窓に向かって正座して15分ぐらい会話させて頂いたと思います。決まって切るときは「じゃーま~ま~ま~ そうゆうことで。じゃぁ お疲れ。はーい失礼します。」といって自分の話したいことだけ言って切っていきます。でもそれがすごくありがたいことでした。
ブログに先生のことを載せさせて頂きました。しかも、あのおっさん呼びで。でもオチはいつも尊敬していますというオチをつけて。先生はそのブログを読んでいました。しかも、セミナー受講中にみんなの前で「こいつ。俺のことブログでおっさんとか書いてやがるの!いーよ、いーよ悪いようにはとっていないから」と笑顔で接していただいて、その日はセミナー中 集中砲火でした。「どうですか?やまださん。少しは驚いていただけましたか?」テクニックを見せつけ、どんどんちっちゃくなる私をみて豪快に大笑いする入谷先生。あの時の私の心境は「象に踏み潰されるアリ」でした。その出来事が2008年の8月3日でした。その日以来一週間に5回ぐらい電話があるようになりました。学会がある時は朝待ち合わせをしたり、講習会とかでも付き人のようにさせてくれたり、EXILEのライブにも連れて行ってくれました。入谷先生が可愛がってくれるから私はブログにも先生のことを書きました。そのおかげでお知り合いになれた人が多くいます。今ある理学療法の繋がりは入谷先生がきっかけをつくってくれたものです。
先生は最期の最期まで臨床家でした。12月まで臨床を終え、1月にはPTジャーナルの論文を書き上げてから1月12日にお亡くなりになりました。
1月14日に最期のご挨拶をさせて頂きました。なんとも言えない感情が沸き起こってきました。
でも、我々弟子達は前を向いて行かなくてはいけません。入谷会長がつくった「身体運動学的アプローチ研究会」の研究会員、つまり弟子達はあの先生が命懸けでつくった入谷式足底板を後世に伝えなくてはなりません。あんなすごい技術、評価方法など先生以外には体系できなかったと思います。でも、それを見せてくれました。そして、教えてくれました。また、臨床家としての背中を我々に見せてくれました。
僕たちは入谷先生ではありません。完璧に真似をすることはできません。でもあの姿は心に生き続けています。あとは一生懸命やるだけです。
きっと天国からも「もっとしっかりやれ~ぃ」とか「お~っ だいぶ、せいちょうしたな~」とかいつも見守ってくれてると思います。
きっと天国でも、人の動作見て、身体いじって、足の裏にペタペタ貼って観察して、
「はーい。いいでしょう!」って仕事ばっかりしていると思います。そして、緑茶ハイのんでガハガハ笑って「あ~腹いて~」とか言っていると思います。
入谷誠先生! 本当にありがとうございます。いっつも最高に本当に最期までかっこいい誰からも尊敬される臨床家でした。
そんな入谷先生が大好きです。みんな大好きです。
矛盾しますが、ご冥福をお祈り申し上げます。そして、また、今後とも宜しくお願いいたします。
鹿沼整形外科 山田 裕司