国民の声に規整される民主党
衆議院選挙に向けて、各党とも論戦を繰り広げているところであるが、2大政党である自民党も民主党も、子の養育費の手当てをするとか高校を無償化するとか、全体としてみれば福祉国家路線をアピールしているように思われる。このような状況をポピュリズム=大衆迎合主義とする見方もあるが、私は、少なくとも国民の方を向いて票稼ぎをしようとする姿は合理的で、本来の政党の姿であり、好ましいと感じている。福祉予算を充実させるにしても「財源はどうするのか」という声も聞かれるが、富裕層が「税金をたくさん取られるのではないか」という意味でこういう心配をするなら分かるものの、一般庶民がこのような心配をするのは滑稽である。一般庶民は増税より給付の恩恵のほうが大きいからだ。他人の財布より、自分の財布を気にしたほうがよい。
ただ、民主党が自民党に対抗姿勢をアピールして福祉国家路線を掲げるのは理解できても、自民党・公明党が福祉国家路線を今ごろ急に標榜するのは、寒々しいだけだ。これまでさんざん医療や雇用を破壊し、財界のイヌとして各政策を繰り広げてきたのであるから、急に福祉国家を掲げられても、詐欺まがいで腹立たしいだけである。企業献金で成り立っている自民党なのであるから、「これからも財界のために力を尽くします」と選挙で述べなければ、国民に真意=自民党の本来の姿は伝わらないであろう。それにしても、かつて自民党が何度も導入を試みていた小選挙区制により、自民党自身が一気に議席を失おうとしている姿は皮肉なものだ。
これまでも何度も述べてきたが、民主党はいわゆるタカ派からハト派まで、そして市場原理主義者から福祉国家主義者まで、雑多な政治家の集まりである。しかし、面白いことに自民党に対抗しようとすれば、必然的に福祉国家路線を標榜しなければならないわけで、民主党は、民主党幹部の真意とは裏腹に、国民から「福祉国家政党」の期待を背負わされている。そのため、そのイメージを崩さないように努力しなければならない。この事態は非常に興味深い。政党が国民を引きつけるのではなく、国民の声のうねりが政党を形作っている状況である。今の状況とはまったく逆に、自民党と民主党が企業献金を互いに求めて「いかに財界に尽くすか」という競争を繰り広げないことを祈るばかりである。その危険性は常にある。
民主党が政権をとれば当面は、国民の支持を失わないようにするため、福祉国家路線を歩むしかなくなるであろう。安易にバラマキを行うのではなく、まいた種が将来芽を出すような政策を期待している。
憲法9条の改正は、自民党も民主党の主要幹部も狙っているところであるが、これは民主党の支持者のことを考えればすぐに着手できないであろう。9条をむしろ看板に掲げて平和外交を展開することが、日本の平和にとって重要であり、かつ国家予算節減・経済発展につながるという考えが広まることを願っている。
これまで掲げられてきた「事前規制から事後救済型社会へ」といったスローガンは捨て、必要な事前規制を復活させるべきである。例えば詐欺まがい・博打的な金融商品は禁止すべきであるし(この点では国際協調が必要)、保育園の設置基準など国民の安全に関わる規制も緩めてはならない。事前規制を緩めてトラブルが発生したら個別に対応すればよい、と述べる者は、そのトラブルが被害者の人生も変えてしまい、大きな時間の損失をもたらし、平穏な生活を破壊することについて想像力を欠く者である。
日雇い派遣の制限・禁止はすでに具体的政策課題に挙がっているであろうが、加えて登録型派遣も禁止すべきである。そしてさらには有期雇用労働も制限すべきである(いわゆる偽装有期雇用の禁止)。そして最低賃金は1000円以上とし、生活保護給付より必ず上回るようにし、勤労のモチベーションを高めるべきである。このように言うと「リアリティがない」と批判する者があるが、企業活動というのはしぶといもので、どのような国家規制があっても、その中で知恵を絞って生きていくものである。賃金規制や解雇規制を緩和していけば日本の企業は経営努力をしなくなり、アジアなど新興国の生産物とダンピング競争を繰り広げるようになって、ますます自分の首を絞めることになる。賃金規制や解雇規制を維持することで、むしろ企業は技術や付加価値の高い生産物に取り組むのであり、規制はむしろそのような経済誘導効果があると考えるべきである。
非正規労働者を正規労働者に近づける・移行させる政策をとった後は、公正・公平な労働社会のため、同一価値労働同一賃金へ誘導していくべきである。それはもしかすると、現在のホワイトカラー正社員の賃金を下げることにつながるかもしれない。しかしホワイトカラー正社員の年功賃金による高所得は、日本の教育・福祉政策があまりに貧弱なため、企業がその費用を肩代わりしてきたという面が非常に強いのである。したがって、まず教育・福祉・住居など、生活基盤に関わる事項は国家が負担するしくみを整えた上で、つまり、生活の安全保障と引き換えに、現在のホワイトカラー正社員の賃金引下げを認めるべきである。
現在の富裕層に子の養育費手当てをする必要などまったくない。現金給付ではなく、各行政サービスの無償化を広げていくべきである。日本の国家予算に対する教育予算の割合が世界の主要国に比べ、際立って低いということは、最近よく知られるようになった。教育予算を多く出すということは将来の優れた勤労者を生み出すということである。富裕層と、利益を上げた企業に対する課税を強化し、再配分を強めるべきである。
以上、思いつくままに福祉国家の理想を述べたが、これらはいずれも国家機能の強化を前提としている。国家機能の強化は、国家権力の濫用の危険性、利権の発生の危険性を常にはらんでいる。そこで、これまで何度も述べてきたとおり、企業献金を廃止し、政党助成を廃止することによって、民主主義のプロセスを健全化・透明化することが必須になる。
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ただ、民主党が自民党に対抗姿勢をアピールして福祉国家路線を掲げるのは理解できても、自民党・公明党が福祉国家路線を今ごろ急に標榜するのは、寒々しいだけだ。これまでさんざん医療や雇用を破壊し、財界のイヌとして各政策を繰り広げてきたのであるから、急に福祉国家を掲げられても、詐欺まがいで腹立たしいだけである。企業献金で成り立っている自民党なのであるから、「これからも財界のために力を尽くします」と選挙で述べなければ、国民に真意=自民党の本来の姿は伝わらないであろう。それにしても、かつて自民党が何度も導入を試みていた小選挙区制により、自民党自身が一気に議席を失おうとしている姿は皮肉なものだ。
これまでも何度も述べてきたが、民主党はいわゆるタカ派からハト派まで、そして市場原理主義者から福祉国家主義者まで、雑多な政治家の集まりである。しかし、面白いことに自民党に対抗しようとすれば、必然的に福祉国家路線を標榜しなければならないわけで、民主党は、民主党幹部の真意とは裏腹に、国民から「福祉国家政党」の期待を背負わされている。そのため、そのイメージを崩さないように努力しなければならない。この事態は非常に興味深い。政党が国民を引きつけるのではなく、国民の声のうねりが政党を形作っている状況である。今の状況とはまったく逆に、自民党と民主党が企業献金を互いに求めて「いかに財界に尽くすか」という競争を繰り広げないことを祈るばかりである。その危険性は常にある。
民主党が政権をとれば当面は、国民の支持を失わないようにするため、福祉国家路線を歩むしかなくなるであろう。安易にバラマキを行うのではなく、まいた種が将来芽を出すような政策を期待している。
憲法9条の改正は、自民党も民主党の主要幹部も狙っているところであるが、これは民主党の支持者のことを考えればすぐに着手できないであろう。9条をむしろ看板に掲げて平和外交を展開することが、日本の平和にとって重要であり、かつ国家予算節減・経済発展につながるという考えが広まることを願っている。
これまで掲げられてきた「事前規制から事後救済型社会へ」といったスローガンは捨て、必要な事前規制を復活させるべきである。例えば詐欺まがい・博打的な金融商品は禁止すべきであるし(この点では国際協調が必要)、保育園の設置基準など国民の安全に関わる規制も緩めてはならない。事前規制を緩めてトラブルが発生したら個別に対応すればよい、と述べる者は、そのトラブルが被害者の人生も変えてしまい、大きな時間の損失をもたらし、平穏な生活を破壊することについて想像力を欠く者である。
日雇い派遣の制限・禁止はすでに具体的政策課題に挙がっているであろうが、加えて登録型派遣も禁止すべきである。そしてさらには有期雇用労働も制限すべきである(いわゆる偽装有期雇用の禁止)。そして最低賃金は1000円以上とし、生活保護給付より必ず上回るようにし、勤労のモチベーションを高めるべきである。このように言うと「リアリティがない」と批判する者があるが、企業活動というのはしぶといもので、どのような国家規制があっても、その中で知恵を絞って生きていくものである。賃金規制や解雇規制を緩和していけば日本の企業は経営努力をしなくなり、アジアなど新興国の生産物とダンピング競争を繰り広げるようになって、ますます自分の首を絞めることになる。賃金規制や解雇規制を維持することで、むしろ企業は技術や付加価値の高い生産物に取り組むのであり、規制はむしろそのような経済誘導効果があると考えるべきである。
非正規労働者を正規労働者に近づける・移行させる政策をとった後は、公正・公平な労働社会のため、同一価値労働同一賃金へ誘導していくべきである。それはもしかすると、現在のホワイトカラー正社員の賃金を下げることにつながるかもしれない。しかしホワイトカラー正社員の年功賃金による高所得は、日本の教育・福祉政策があまりに貧弱なため、企業がその費用を肩代わりしてきたという面が非常に強いのである。したがって、まず教育・福祉・住居など、生活基盤に関わる事項は国家が負担するしくみを整えた上で、つまり、生活の安全保障と引き換えに、現在のホワイトカラー正社員の賃金引下げを認めるべきである。
現在の富裕層に子の養育費手当てをする必要などまったくない。現金給付ではなく、各行政サービスの無償化を広げていくべきである。日本の国家予算に対する教育予算の割合が世界の主要国に比べ、際立って低いということは、最近よく知られるようになった。教育予算を多く出すということは将来の優れた勤労者を生み出すということである。富裕層と、利益を上げた企業に対する課税を強化し、再配分を強めるべきである。
以上、思いつくままに福祉国家の理想を述べたが、これらはいずれも国家機能の強化を前提としている。国家機能の強化は、国家権力の濫用の危険性、利権の発生の危険性を常にはらんでいる。そこで、これまで何度も述べてきたとおり、企業献金を廃止し、政党助成を廃止することによって、民主主義のプロセスを健全化・透明化することが必須になる。
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幸福実現党の日本国憲法試案
宗教法人「幸福の科学」が母体となっている「幸福実現党」の存在感が増している。存在感が増しているというのは、支持者が増えているというのではなく、街頭演説やポスター、新聞広告、チラシ、テレビニュース等で見聞きする機会が増えてきたからである。幸福実現党の掲げている政策について、ここでとやかく述べるつもりはない。というより、あまり詳しく見ていない。ただ、新興宗教らしく、「北朝鮮が攻めてくるぞ!」と分かりやすい「国難」を演出し、票を集めようとしていることだけは分かる。幸福実現党が先般の東京都議選に進出してきたとき、意外に票が集まるのではないかと心配していたが、どうやら公認候補は全員落選したようである。
幸福実現党の母体である「幸福の科学」の教義については、私はまったく関心がないので見聞きしていない。本がよく売れていい商売だな、と以前から見ているだけである。しかし政治団体を結成して憲法試案まで作ったというのであるから、一応試案だけは読んでみることにした。これが近代憲法の体をなしていないことや、「大統領」の権限が強すぎだろ、というような批判は、すでにインターネットのあちこちで見られるようであるから、私は差し控えることにする。いくらこれまでの人類の英知の結果である近代憲法の理念を無視した新憲法であっても、「これが最高法規の憲法だ」と宣言してしまえば、いわば「言った者勝ち」なのであるから、大川隆法・幸福実現党総裁は聞く耳を持たないであろう。
それよりも幸福実現党の日本国憲法試案で気になるのは、7条、8条で「最高裁」という略語(略称)を使っていることである。「最高裁判所」というフルネームは一度も出てこない。普通、法文ではいきなり略語は使わない。略語を使うとすれば、最初の出現時にフルネームを示し「以下○○(略語)という」と断り書きを入れるのが通例である。それでも、「最高裁判所」を「最高裁」と2字だけ節約するために略語を使うなど、現行の法令ではありえないことである。最高「裁」では単独では意味が通らぬ。国家の最高法規たる憲法に気安く略語を使うとは何事なのか。大川総裁のプロフィールを見ると「東京大学法学部卒業」とある。法学専攻だったのか政治学専攻だったのかは知らないが、大川氏はそもそも現行の日本国憲法の条文にあまり接していないのではなかろうか。
いやしかし、ことによると大川氏は「最高裁判所」ではなくそもそもフルネームを「最高裁」とする考えなのかもしれない。また、憲法試案が現行の憲法より条文がうんと少ないこと(16条!)から考えると、大川氏は憲法も法律もすべて簡素化し、略語を使えるところは憲法といえどもすべて略語で統一する考えなのかもしれない。あるいは、これはあくまで「試案」に過ぎないから、将来、実際に憲法改正に着手するときは、内閣法制局ときちんと文言の精査をするつもりなのかもしれない。
そう考えると、やはり私の略語に関する疑問も、聞く耳をもたれないのかもしれない。
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幸福実現党の母体である「幸福の科学」の教義については、私はまったく関心がないので見聞きしていない。本がよく売れていい商売だな、と以前から見ているだけである。しかし政治団体を結成して憲法試案まで作ったというのであるから、一応試案だけは読んでみることにした。これが近代憲法の体をなしていないことや、「大統領」の権限が強すぎだろ、というような批判は、すでにインターネットのあちこちで見られるようであるから、私は差し控えることにする。いくらこれまでの人類の英知の結果である近代憲法の理念を無視した新憲法であっても、「これが最高法規の憲法だ」と宣言してしまえば、いわば「言った者勝ち」なのであるから、大川隆法・幸福実現党総裁は聞く耳を持たないであろう。
それよりも幸福実現党の日本国憲法試案で気になるのは、7条、8条で「最高裁」という略語(略称)を使っていることである。「最高裁判所」というフルネームは一度も出てこない。普通、法文ではいきなり略語は使わない。略語を使うとすれば、最初の出現時にフルネームを示し「以下○○(略語)という」と断り書きを入れるのが通例である。それでも、「最高裁判所」を「最高裁」と2字だけ節約するために略語を使うなど、現行の法令ではありえないことである。最高「裁」では単独では意味が通らぬ。国家の最高法規たる憲法に気安く略語を使うとは何事なのか。大川総裁のプロフィールを見ると「東京大学法学部卒業」とある。法学専攻だったのか政治学専攻だったのかは知らないが、大川氏はそもそも現行の日本国憲法の条文にあまり接していないのではなかろうか。
いやしかし、ことによると大川氏は「最高裁判所」ではなくそもそもフルネームを「最高裁」とする考えなのかもしれない。また、憲法試案が現行の憲法より条文がうんと少ないこと(16条!)から考えると、大川氏は憲法も法律もすべて簡素化し、略語を使えるところは憲法といえどもすべて略語で統一する考えなのかもしれない。あるいは、これはあくまで「試案」に過ぎないから、将来、実際に憲法改正に着手するときは、内閣法制局ときちんと文言の精査をするつもりなのかもしれない。
そう考えると、やはり私の略語に関する疑問も、聞く耳をもたれないのかもしれない。
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資本主義の妙
GDPが5四半期ぶりプラス成長!というニュースがあった。未曾有の世界同時不況とやらで、日本のGDP成長率もこれまで大幅後退であったが、久々の「明るいニュース」として騒がれている。しかし、マイナス続きであった時期でもなお、日本の経済力は大したものであり、別に生活物資が欠乏していたわけでもなく、日本人は日本人に豊かな暮らしをさせるだけの生産力を十分に有していたはずだ。にもかかわらず、不況で失業者が町にあふれる日本というのは、一体どういう国なのだろうか。これが資本主義の「妙」というものか。これまで盛んに「エコ、エコ」と叫んできたのであるから、消費が低迷して生産活動が鈍くなれば、究極のエコであり、めでたいことではないのか…? 私は経済のことはさっぱり分からず、資本主義に代わる計画経済を一気に目指せと唱えているわけでもないが、しかしそれでも、この「回り続けねばならない資本主義」、つまり、生産し続け、消費し続け、破壊し続けねば崩壊する経済社会に、ぼんやりとした疑問を常に持ち続けている。「何かほかにいい方法があるだろ?」と。しかしそれを具体的に考えることもできないし、考えたとしても実践する能力がなく、日々の暮らしに追われているというのが実情である。生産力が向上して仕事が早くすむようになったら、余暇を楽しめるようになるのが未来社会ではなかったのか。どうしてだか、生活が便利になればなるほど、仕事が忙しくなっている。
先日テレビのニュースを見ていたら、ハンバーガーチェーン、ロッテリアの新商品企画の部署の「偉いさん」が新商品の説明をしており、「最近はお客様の要求が高まっておりますので当社としましても云々…」と述べていた。「お客様」といってもロッテリアにハンバーガーを食べに来るような人々は若者中心であり、それこそ昨日はファミレスでバイトをしたような若者が、ロッテリアに来ているのであろう。昨日は低賃金のアルバイト従業員が、今日は「お客様」である。すなわち、ファミレス企業経営者からすれば、いかに賃金コストを安くできるかという検討対象となっているにすぎない若者が、翌日にはロッテリアの一消費者「様」となり、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と「最上級」の待遇を受けるわけである。いや、だからといってどういうこともないのだが、この大量消費社会を象徴しているようで苦笑いではないか。ロッテリアの「偉いさん」も、今日の「お客様」は明日のロッテリアの新規アルバイトかもしれないことくらい、分かっているだろう。そこに「個人」はない。「一労働者」と「一消費者」があるだけである。
以上、新聞の投書欄にも載らないような「ぼやき」を述べた。
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先日テレビのニュースを見ていたら、ハンバーガーチェーン、ロッテリアの新商品企画の部署の「偉いさん」が新商品の説明をしており、「最近はお客様の要求が高まっておりますので当社としましても云々…」と述べていた。「お客様」といってもロッテリアにハンバーガーを食べに来るような人々は若者中心であり、それこそ昨日はファミレスでバイトをしたような若者が、ロッテリアに来ているのであろう。昨日は低賃金のアルバイト従業員が、今日は「お客様」である。すなわち、ファミレス企業経営者からすれば、いかに賃金コストを安くできるかという検討対象となっているにすぎない若者が、翌日にはロッテリアの一消費者「様」となり、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と「最上級」の待遇を受けるわけである。いや、だからといってどういうこともないのだが、この大量消費社会を象徴しているようで苦笑いではないか。ロッテリアの「偉いさん」も、今日の「お客様」は明日のロッテリアの新規アルバイトかもしれないことくらい、分かっているだろう。そこに「個人」はない。「一労働者」と「一消費者」があるだけである。
以上、新聞の投書欄にも載らないような「ぼやき」を述べた。
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