今宮神社 八乙女さん
昨日は今宮神社の還幸祭でした。
5日の神幸祭は雨だったので、晴れてよかったですね。
かなり傷みの目立つ今宮神社お旅所です。
京都一大きいといわれる大宮神輿
下ろすのが大変そうです。
12時から八乙女さんの舞が始まりました。
以前ブロ友さんから聞かれたのですが、浦安の舞なのか、なんなのかわかりません。
検索したら神幸祭の八乙女舞がyou tubeにアップされていました。
http://www.youtube.com/watch?v=yiQO1aQ4US8
どこの神社もなかなか八乙女さん 八人そろえるのが大変そうですが、
今年はちゃんと八人いらっしゃいました。
能舞台がものすごくりっぱです。
大きいおねえさんもいて、踊りもみごたえがありました。
小さいお嬢さんもかわいかったです。
意外と知り合いがたくさんいた今宮神社お旅所よりおおくりしました。
5日の神幸祭は雨だったので、晴れてよかったですね。
かなり傷みの目立つ今宮神社お旅所です。
京都一大きいといわれる大宮神輿
下ろすのが大変そうです。
12時から八乙女さんの舞が始まりました。
以前ブロ友さんから聞かれたのですが、浦安の舞なのか、なんなのかわかりません。
検索したら神幸祭の八乙女舞がyou tubeにアップされていました。
http://www.youtube.com/watch?v=yiQO1aQ4US8
どこの神社もなかなか八乙女さん 八人そろえるのが大変そうですが、
今年はちゃんと八人いらっしゃいました。
能舞台がものすごくりっぱです。
大きいおねえさんもいて、踊りもみごたえがありました。
小さいお嬢さんもかわいかったです。
意外と知り合いがたくさんいた今宮神社お旅所よりおおくりしました。
清水三年坂美術館
This is Kyoto
という京都観光のメッカ三年坂です。
あれ、意外と人が少ない!
この坂を少し下ると、清水三年坂美術館があります。
と、その前にお隣の
お寺のつつじがきれいでした~
ショップが道に面しているので、なかなか美術館だとは気づかないかも。。。
主に明治期の美術品が展示されています。
明治維新で、武士も失業しましたが、
各地の大名に抱えられていた職人たちもまたそうでした。
刀剣やいろいろな細工師たち
海外の人にウケるものを作るようになります。
館長さんの説明によると、
大名家に抱えられていた江戸時代のものは、定番の作品が多いが
明治になるといろんな図柄が面白いそうです。
たとえば薩摩焼。。。
豪華絢爛な派手な図柄は外国人に好まれました。
すると、いろんな窯元がマネをします。
京都では、京薩摩が生まれました。
ウイーンやパリの万博で紹介されると、
日本の工芸品はどんどん欧米に輸出されるようになります。
ここからは、HPからの抜粋です。
館長さんの思いが伝わってきます。
私が初めて明治の美術品と出会ったのは今から20年ほど前のニューヨークでしたその頃はまだ会社勤めをしていたのですが、出張の帰り、たまたま入ったアンティークモールのとある店のショーウィンドウの前で目がクギ付けになってしまったのです。
集めるうちに気がついたことは、幕末・明治の美術品の名品はほとんどが海外に流出していて、日本国内には残っていないし、それらを本格的に展示している美 術館も国内には存在していないということでした。特に金工(金属工芸)、七宝、印籠、根付等はひどい状態だということが分かってきました。これらの名品 が、日本で市場に出れば、海外の業者の手に渡り、たちまち欧米に流出してしまいます。こういう事が、明治以降延々と続いてきた為に日本からほとんど姿を消 してしまったのです。だから一般の人が明治の美術品の名品を見る機会はほとんどないといっていいかと思います。
その館長さんのコレクションは今 三井記念美術館で展示中です。
(その後巡回)
本日放送の日曜美術館でも取り上げられます。
(再放送は来週 夜8時~)コチラ
また三井記念美術館のページでは、村田館長のコレクションは世界一と書かれています。
コチラ
清水寺に行かれたときはのぞいてみてください。
この日は
八坂の塔のあたりも、人が少なくて、 お散歩日よりでした。
という京都観光のメッカ三年坂です。
あれ、意外と人が少ない!
この坂を少し下ると、清水三年坂美術館があります。
と、その前にお隣の
お寺のつつじがきれいでした~
ショップが道に面しているので、なかなか美術館だとは気づかないかも。。。
主に明治期の美術品が展示されています。
明治維新で、武士も失業しましたが、
各地の大名に抱えられていた職人たちもまたそうでした。
刀剣やいろいろな細工師たち
海外の人にウケるものを作るようになります。
館長さんの説明によると、
大名家に抱えられていた江戸時代のものは、定番の作品が多いが
明治になるといろんな図柄が面白いそうです。
たとえば薩摩焼。。。
豪華絢爛な派手な図柄は外国人に好まれました。
すると、いろんな窯元がマネをします。
京都では、京薩摩が生まれました。
ウイーンやパリの万博で紹介されると、
日本の工芸品はどんどん欧米に輸出されるようになります。
ここからは、HPからの抜粋です。
館長さんの思いが伝わってきます。
私が初めて明治の美術品と出会ったのは今から20年ほど前のニューヨークでしたその頃はまだ会社勤めをしていたのですが、出張の帰り、たまたま入ったアンティークモールのとある店のショーウィンドウの前で目がクギ付けになってしまったのです。
集めるうちに気がついたことは、幕末・明治の美術品の名品はほとんどが海外に流出していて、日本国内には残っていないし、それらを本格的に展示している美 術館も国内には存在していないということでした。特に金工(金属工芸)、七宝、印籠、根付等はひどい状態だということが分かってきました。これらの名品 が、日本で市場に出れば、海外の業者の手に渡り、たちまち欧米に流出してしまいます。こういう事が、明治以降延々と続いてきた為に日本からほとんど姿を消 してしまったのです。だから一般の人が明治の美術品の名品を見る機会はほとんどないといっていいかと思います。
その館長さんのコレクションは今 三井記念美術館で展示中です。
(その後巡回)
本日放送の日曜美術館でも取り上げられます。
(再放送は来週 夜8時~)コチラ
また三井記念美術館のページでは、村田館長のコレクションは世界一と書かれています。
コチラ
清水寺に行かれたときはのぞいてみてください。
この日は
八坂の塔のあたりも、人が少なくて、 お散歩日よりでした。
母の日のプレゼント
何も期待していません。。。
うちの子誕生日とか、くれたためしがない。。。
いつだったか
「うちはなにももらったことないなあ」
と、言ったら、末っ子が
「じゃあ、はい」
って、にぎってた百円玉くれた。
「いや、いいし!気持ちだけ受け取る」
(もともと親からもらったもんでしょ?)
って返したけど、やっぱりもらっとくべきだった?
ママ友さんのところの話。
「何年か前の母の日もプレゼントは
鴨川で捕まえてきたヘビだった。
次男が捕まえてきて、長男がさばいて、蒲焼にした。
もう骨が多くて、骨をしゃぶるかんじだった。」
この母にしてこの子あり。
ワタシいくら子供が作ってくれても、食べる自信ない!
「うちの子、鴨川があったら生きていける。
食べていい野草も知ってるし。」
食べられる鴨川の野草たち
このへんなら私も料理できるかも。
うちの子誕生日とか、くれたためしがない。。。
いつだったか
「うちはなにももらったことないなあ」
と、言ったら、末っ子が
「じゃあ、はい」
って、にぎってた百円玉くれた。
「いや、いいし!気持ちだけ受け取る」
(もともと親からもらったもんでしょ?)
って返したけど、やっぱりもらっとくべきだった?
ママ友さんのところの話。
「何年か前の母の日もプレゼントは
鴨川で捕まえてきたヘビだった。
次男が捕まえてきて、長男がさばいて、蒲焼にした。
もう骨が多くて、骨をしゃぶるかんじだった。」
この母にしてこの子あり。
ワタシいくら子供が作ってくれても、食べる自信ない!
「うちの子、鴨川があったら生きていける。
食べていい野草も知ってるし。」
食べられる鴨川の野草たち
このへんなら私も料理できるかも。
油の神様 離宮八幡宮
妙喜庵から歩いて数分のところに
離宮八幡宮があります。
祭神は 第15代・応神天皇、神功皇后、酒解大神(大山祗命)、姫三神(田心姫神(たごりひめ)、湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ)。
えらいちっちゃい神社だなあと思いましたが、
歴史的にはなかなか興味深い神社でした!
平安のはじめ、清和天皇が神託を受け、
宇佐八幡宮より八幡さまを勧請するよう
僧 行教にお命じになりました。
八幡神を奉じて帰京した行教は、山崎の津で霊光を見ます。
その地に水がわいたので、石清水八幡宮が創建されますが、
こちらはその対岸にあたり、元社となったところです。
嵯峨天皇の河陽離宮だったため、離宮八幡宮とよばれます。
もともと山崎は油で栄えたところです。
神官が神託を受け、荏胡麻油の搾油技術を考案し、
日本における製油の始まりとなりました。
朝廷から『油祖』の称号を賜り
離宮八幡宮は油座として専売特許をもっていたため、大いに栄えました。
社殿をのぞくと、油の一斗缶がたくさん奉納されていました。
(火事が心配になりましたが。)
しかし、織田信長の楽市楽座で打撃をうけ、
菜種油の普及により、衰退。
戊辰戦争で長州の駐屯地となったため、砲撃を受け荒廃
さらにJRの開業により、社地を縮小されます。
なかなか神社の歴史をたどると、大変です。
全国的には無名ですが、興味深いところでした。
神社をたどると、歴史がわかる。
ホント奥が深いです。
離宮八幡宮があります。
祭神は 第15代・応神天皇、神功皇后、酒解大神(大山祗命)、姫三神(田心姫神(たごりひめ)、湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ)。
えらいちっちゃい神社だなあと思いましたが、
歴史的にはなかなか興味深い神社でした!
平安のはじめ、清和天皇が神託を受け、
宇佐八幡宮より八幡さまを勧請するよう
僧 行教にお命じになりました。
八幡神を奉じて帰京した行教は、山崎の津で霊光を見ます。
その地に水がわいたので、石清水八幡宮が創建されますが、
こちらはその対岸にあたり、元社となったところです。
嵯峨天皇の河陽離宮だったため、離宮八幡宮とよばれます。
もともと山崎は油で栄えたところです。
神官が神託を受け、荏胡麻油の搾油技術を考案し、
日本における製油の始まりとなりました。
朝廷から『油祖』の称号を賜り
離宮八幡宮は油座として専売特許をもっていたため、大いに栄えました。
社殿をのぞくと、油の一斗缶がたくさん奉納されていました。
(火事が心配になりましたが。)
しかし、織田信長の楽市楽座で打撃をうけ、
菜種油の普及により、衰退。
戊辰戦争で長州の駐屯地となったため、砲撃を受け荒廃
さらにJRの開業により、社地を縮小されます。
なかなか神社の歴史をたどると、大変です。
全国的には無名ですが、興味深いところでした。
神社をたどると、歴史がわかる。
ホント奥が深いです。