烏丸ママのブログ -876ページ目

大山崎山荘

アサヒビール大山崎山荘です。
(近所にサントリー蒸留所があるので、よく間違えられる。)



イギリスの炭鉱主の邸宅をモデルにして、
大正から昭和初期にかけて作られたそうです。
この山の上。。。
水道とか、電気とかわざわざひいてきたんでしょうね。



窓、扉、ひとつひとつとっても素敵です。
ステンドグラス、暖炉みんなすてきですが、撮影禁止。
重厚な造りです。

最上階まであがると、お茶が飲めるようになっていまして、
ベランダにもテーブルがあります。
この眺めです。

桂川、木津川、鴨川の合流する交通の要所。
丘のような山は石清水八幡宮のある男山だと思います。

ベランダからこのあたりは昭和の建物だそうです。
オーナーの加賀正太郎さんはランの園芸家として有名だったそうで、
温室を持っておられました。
これは温室に通じる廊下です。
まどがかわいいですね。

今はここを通っていくと、安藤忠雄さん建築の平成の建物にでます。

この重厚感。。。
この建物が荒廃し、壊されようとしていたとは。。。


平成の建物 地中館には、温室を通っていってもいいし、
エレベーターもあります。
いかにも安藤さんぽい、コンクリート造りです。
まわりの景色にとけこむように、半地下になっています。



円柱状の展示室には、モネの睡蓮が常設展示されています。
たしかMOMAの展示室も壁が円形でしたよね?
ちょうどそんな雰囲気です。

建物だけでも一見の価値がありますし、
企画展を見に、何度も訪れる人も多いと思います。

ちょっと足を伸ばしてみませんか?

さくらんぼ

「さくらんぼはなりましたか?」
と、
ブロ友 み○○んさんから尋ねられました。

なりましたよ~
2年位前に植えて
たぶんなるのは今年が初めてです。(浜松です。)

写真ではよくわかりませんが、市販のものより
ちっちゃいです。
高級ブランドではなく
(高級ブランドは栽培しにくいから高級なんだそうです。)
栽培しやすい品種であるため、小さいのかもしれません。

天敵は鳥です。
ブルーベリーでもネットをかけると
あまりとられなくなりました。
おいしいものは、あれらもよく知っています。
ただ、実というのは豊作の年の次はあまりなりませんね?
来年はどうかな?

浜松は気候も温暖ですが、虫がすごく多いです。
すぐにクモの巣がはりますし、
よく脱皮した殻が落ちています(ノ゚ο゚)ノ
赤ちゃんの手のひらサイズです。
ま、私は全然平気ですけどね。

御霊神社の社標

HGR宮司さんから
「御霊神社の社標はどうして時計がついてるの?」
と、聞かれて見て来ました。

普段私が見ているのは、こちらのほうで、



「え、そんなものついてましたか?」
と、お返事したのですが、
こちらは西の楼門の社標で、
その横にはこういう碑もございます。



ここから長きにわたる応仁の乱が始まったのでございます。
歴史上では畠山義就と畠山政長が戦った御霊合戦 矢印というそうです。
京都のあらゆる堂宇は焼き尽くされ、
今でさえ、ちょっと町外れにある仁和寺や三宅八幡宮も
被害にあったということです。
ちなみに、こちらは東軍の陣があった東陣
対し西の陣があったところは、西陣織として有名です。

南門にまわってみました。
あ、これがHGR宮司さんのおっしゃっていた時計の社標ですね!
今まで気にもとめていませんでしたが、
珍しいそうです。

後ろ側に廻ってみますと、
明治十一年に某家が寄付されたようですが、
昭和五十一年に織元さんが修理されているようです。
おそらくそのときに時計がついたのでしょうね。
時計屋さんの寄付かと思いましたが、
そうではありませんでした!

ちなみに境内をぐるりと囲む寄進者の石標ですが。。
ひとつだけ異質なものが。。。

真如堂突抜○

なんでしょうね?
真如堂は京大の東南にあるお寺なんですけど。。。
またナゾがひとつ増えてしまいました。

以上HGR宮司さんへのご報告でした。
(結論になっていないけど。)


大山崎山荘への道

一応京都なんですけど。。。
京都市内の人が京都というのは、昔市電が走っていた地域で、
たとえば京都市内であっても、
伏見は伏見であって京都ではない。
山科は山科。
当然大山崎は大山崎町なので、大山崎。。。
大阪との府境、天王山のあるところです。

今大山崎町の一番人気観光スポットは大山崎山荘美術館
元はニッカウヰスキーなどの会社設立に関係した加賀正太郎の別宅です。
12歳で家督をついだ正太郎は桂川、木津川、鴨川の合流するこの地に
大正から昭和にかけて、イギリス風の山荘を建てました。
平成になってマンション建築計画が持ち上がったため、
町と協力して、アサヒビールが買取、整備して美術館として開館しました。

山荘の名の通り、山の上にあるので、
駅前からは無料バスが出ています。
バスを降りて。。。
トンネルをくぐります。




切り通しの道を行くと。。。


洋館が。。。
いや、これは個人宅でした!




りらの花が咲いていました。



あ、山荘が見えてきました。



この桜。。。御衣黄です。
こんな色になるんですね!
もとはこんな色でした。。。
だんだん色がかわって、ピンクになるとは聞いていましたが、
見たことありませんでした。。。


って、いったいいつの写真やねん!?
4月24日に行きました。

野口哲哉の武者分類展が開催中でした。(今もやっています。)
鎧武者をモチーフに制作を続ける若きアーチストの展示会です。
解説も作者本人による大変ユニークなものです。
コチラ

つづく

御霊祭 鉾がすごいんです。

午後からちょっと復活してきました。

御霊祭りの最終回です。
京都の神社には剣鉾がつきものです。
神幸列の先をいき、邪気を祓います。
祇園祭の山鉾巡行もこれが進化したもので、
山鉾巡行のあと、神輿が登場します。

御霊神社には15本の剣鉾がありますが、
鉾は対というか、二つ同じのがあります。
一つは巡行に参加し、一つは当家飾りといって、鉾町の留守を守ります。
ちなみにこちら蓬莱鉾
町家がりっぱです。 おそらく市の文化財にはなっているでしょう。



蓬莱鉾 後土御門天皇御寄付(1470年)



そしてこちらが巡行する蓬莱鉾


島津の家紋は篤姫の寄贈だからとのこと。
(すると、隣人が「あら、新しいのね。」って。
鉾は文明2年ということなので、幡はかなり後からということです。)


鷹羽鉾 源昭院御寄付(この方調べてみましたが、みつからないので、
時代的にたぶん中御門天皇あたりの后の一人かと。。。)


矢的鉾 後桃園天皇御寄付

小さい方が巡行用で、大きいのが居鉾とか、留守鉾とよばれ
鉾町に飾られるのです。
巡行は諸般の事情により参加されていません。

龍鉾 後花園天皇御寄付



亀鉾 明正天皇(徳川秀忠の孫娘) 御寄付

この旗のようなものは、巡行で差すときの吹き散りと呼ばれるものです。
御霊祭も昭和30年代までは差していたそうです。

《鉾差し》とは、お借りした嵯峨祭の画像のようなものです。



粟田祭や嵯峨祭では今も鉾差しが行われています。
八大神社では練習会もあるそうです。
人手と熟練がいるので、
同じ人がいろいろな場所で差されているのが現状のようです。

洛中洛外図 上杉本に描かれる御霊神社 鉾のようすです。



これにて御霊祭2014はおしまいです。
おつきあいありがとうございました。