御霊神社の社標
HGR宮司さんから
「御霊神社の社標はどうして時計がついてるの?」
と、聞かれて見て来ました。
普段私が見ているのは、こちらのほうで、
「え、そんなものついてましたか?」
と、お返事したのですが、
こちらは西の楼門の社標で、
その横にはこういう碑もございます。
ここから長きにわたる応仁の乱が始まったのでございます。
歴史上では畠山義就と畠山政長が戦った御霊合戦
というそうです。
京都のあらゆる堂宇は焼き尽くされ、
今でさえ、ちょっと町外れにある仁和寺や三宅八幡宮も
被害にあったということです。
ちなみに、こちらは東軍の陣があった東陣
対し西の陣があったところは、西陣織として有名です。
南門にまわってみました。
あ、これがHGR宮司さんのおっしゃっていた時計の社標ですね!
今まで気にもとめていませんでしたが、
珍しいそうです。
後ろ側に廻ってみますと、
明治十一年に某家が寄付されたようですが、
昭和五十一年に織元さんが修理されているようです。
おそらくそのときに時計がついたのでしょうね。
時計屋さんの寄付かと思いましたが、
そうではありませんでした!
ちなみに境内をぐるりと囲む寄進者の石標ですが。。
ひとつだけ異質なものが。。。
真如堂突抜○
なんでしょうね?
真如堂は京大の東南にあるお寺なんですけど。。。
またナゾがひとつ増えてしまいました。
以上HGR宮司さんへのご報告でした。
(結論になっていないけど。)
「御霊神社の社標はどうして時計がついてるの?」
と、聞かれて見て来ました。
普段私が見ているのは、こちらのほうで、
「え、そんなものついてましたか?」
と、お返事したのですが、
こちらは西の楼門の社標で、
その横にはこういう碑もございます。
ここから長きにわたる応仁の乱が始まったのでございます。
歴史上では畠山義就と畠山政長が戦った御霊合戦
というそうです。京都のあらゆる堂宇は焼き尽くされ、
今でさえ、ちょっと町外れにある仁和寺や三宅八幡宮も
被害にあったということです。
ちなみに、こちらは東軍の陣があった東陣
対し西の陣があったところは、西陣織として有名です。
南門にまわってみました。
あ、これがHGR宮司さんのおっしゃっていた時計の社標ですね!
今まで気にもとめていませんでしたが、
珍しいそうです。
後ろ側に廻ってみますと、
明治十一年に某家が寄付されたようですが、
昭和五十一年に織元さんが修理されているようです。
おそらくそのときに時計がついたのでしょうね。
時計屋さんの寄付かと思いましたが、
そうではありませんでした!
ちなみに境内をぐるりと囲む寄進者の石標ですが。。
ひとつだけ異質なものが。。。
真如堂突抜○
なんでしょうね?
真如堂は京大の東南にあるお寺なんですけど。。。
またナゾがひとつ増えてしまいました。
以上HGR宮司さんへのご報告でした。
(結論になっていないけど。)