大徳寺 総見院
大徳寺2つめの秋の特別公開は総見院です。
総見院というのは、織田信長の法名で
遺骸がないことから、信長の墓所は全国に20箇所以上あるそうです。
(阿弥陀寺は遺骸があるという説明をされています。)
この総見院は豊臣秀吉が大徳寺で信長の葬儀を開いた後、建てました。
総見院は廃仏毀釈で堂宇が破壊されたため、建物は新しいのですが、
織田信長公の木像と織田一族のお墓が見学できます。
今でも使われているこの井戸の枠は、
加藤清正が朝鮮出兵のおり持ち帰ったものです。
ちょうど水を使われた後です。
ここのお水を使って、本堂でお茶をふるまってくださいます。
おいしいお茶でした。
この侘び助椿は豊臣秀吉が千利休から譲られたもの。
弱ってきたため切り詰めたそうですが、
幹を見ると確かに樹齢400年というのがわかります。
墓所を公開しています。
なぜか側室お鍋の方だけが自然石の墓碑でした。
織田信長は死後、朝廷から太政大臣の地位を賜ったそうですが、
勅使はこの総見院に派遣されたそうです。
このお寺にもたくさんお茶室があって、公開されていました。
12畳とか8畳とか、結構大きいお茶室のようです。
各地で海外に流失、廃棄された寺宝の数々を考えると、
本当に廃仏毀釈がなければ。。。
と、思います。
総見院というのは、織田信長の法名で
遺骸がないことから、信長の墓所は全国に20箇所以上あるそうです。
(阿弥陀寺は遺骸があるという説明をされています。)
この総見院は豊臣秀吉が大徳寺で信長の葬儀を開いた後、建てました。
総見院は廃仏毀釈で堂宇が破壊されたため、建物は新しいのですが、
織田信長公の木像と織田一族のお墓が見学できます。
今でも使われているこの井戸の枠は、
加藤清正が朝鮮出兵のおり持ち帰ったものです。
ちょうど水を使われた後です。
ここのお水を使って、本堂でお茶をふるまってくださいます。
おいしいお茶でした。
この侘び助椿は豊臣秀吉が千利休から譲られたもの。
弱ってきたため切り詰めたそうですが、
幹を見ると確かに樹齢400年というのがわかります。
墓所を公開しています。
なぜか側室お鍋の方だけが自然石の墓碑でした。
織田信長は死後、朝廷から太政大臣の地位を賜ったそうですが、
勅使はこの総見院に派遣されたそうです。
このお寺にもたくさんお茶室があって、公開されていました。
12畳とか8畳とか、結構大きいお茶室のようです。
各地で海外に流失、廃棄された寺宝の数々を考えると、
本当に廃仏毀釈がなければ。。。
と、思います。
足利尊氏生誕の安国寺3
綾部にある安国寺です。
仏殿
もう少し近づいてみましょう。
茅葺であるのがよくわかりますね。
1734年 安国寺の伽藍は山津波で埋没し、
そのあとを整地して現在の御堂が1743年に建てられたそうです。
昔も堂宇が埋まるほどの山崩れがあったのですね。
右手には重要文化財の半伽地蔵菩薩がお祀りされています。
お地蔵様で半伽は珍しいと思いました。
中央に釈迦三尊像がお祀りされ、
やさしいお顔でお目めぱっちりの大きなお釈迦さまです。
これらの仏像は国指定の重要文化財で、
庫裏、仏殿、方丈は府指定文化財です。
庫裏もやはり茅葺
山門と鐘楼は府登録文化財
江戸時代の立派な鐘です。
最近の豪雨で綾部市も被害を受け、裏山がくずれていました。
この後ろが崩れているところ。
紅葉がまだ青々していますが
これからの季節、この安国寺も紅葉狩りの人々でにぎわうことでしょう。
貸切状態の安国寺でした。
一休さんに出てくる舞台がこことは知りませんでしたが、
アニメってきちんとスケッチして、作られていることを改めて感じました。
仏殿
もう少し近づいてみましょう。
茅葺であるのがよくわかりますね。
1734年 安国寺の伽藍は山津波で埋没し、
そのあとを整地して現在の御堂が1743年に建てられたそうです。
昔も堂宇が埋まるほどの山崩れがあったのですね。
右手には重要文化財の半伽地蔵菩薩がお祀りされています。
お地蔵様で半伽は珍しいと思いました。
中央に釈迦三尊像がお祀りされ、
やさしいお顔でお目めぱっちりの大きなお釈迦さまです。
これらの仏像は国指定の重要文化財で、
庫裏、仏殿、方丈は府指定文化財です。
庫裏もやはり茅葺
山門と鐘楼は府登録文化財
江戸時代の立派な鐘です。
最近の豪雨で綾部市も被害を受け、裏山がくずれていました。
この後ろが崩れているところ。
紅葉がまだ青々していますが
これからの季節、この安国寺も紅葉狩りの人々でにぎわうことでしょう。
貸切状態の安国寺でした。
一休さんに出てくる舞台がこことは知りませんでしたが、
アニメってきちんとスケッチして、作られていることを改めて感じました。
足利尊氏生誕の安国寺2
綾部安国寺です。
もとは993年に建立された地蔵菩薩を本尊とする光福寺でした。
足利尊氏は夢窓疎石の勧めにより、
戦没者を弔うために各地に安国寺を建てましたが、
その筆頭として光福寺を安国寺に改めました。
当時は塔頭十六、支院二十八の大寺院だったそうです。
昨日 足利家のご紋の門を紹介しましたが、
こちらは足利尊氏誕生の地と言われています。
足利尊氏 産湯の井
ブロ友さんも紹介されていましたが、
足利尊氏というと、私たちはこの画を思い浮かべますが、
実は別人という説が有力になり、
今の教科書はこうなっています。
衣笠にある等持院には歴代の足利将軍の坐像がおさめられています。
ドラマや小説になるのは、戦国時代や幕末が主なので、
私は室町時代の歴史にはとんと疎いです。
開山堂の山門です。
「山家城主谷家の門を移築」とあります。
開山堂
この横には足利尊氏、妻登子、母清子の宝篋印塔があります。
お寺の古文書によると、二代将軍義詮が両親のそれぞれ没後2ヵ月後に
安国寺に奉納されたと書かれているそうです。
つづく
もとは993年に建立された地蔵菩薩を本尊とする光福寺でした。
足利尊氏は夢窓疎石の勧めにより、
戦没者を弔うために各地に安国寺を建てましたが、
その筆頭として光福寺を安国寺に改めました。
当時は塔頭十六、支院二十八の大寺院だったそうです。
昨日 足利家のご紋の門を紹介しましたが、
こちらは足利尊氏誕生の地と言われています。
足利尊氏 産湯の井
ブロ友さんも紹介されていましたが、
足利尊氏というと、私たちはこの画を思い浮かべますが、
実は別人という説が有力になり、
今の教科書はこうなっています。
衣笠にある等持院には歴代の足利将軍の坐像がおさめられています。
ドラマや小説になるのは、戦国時代や幕末が主なので、
私は室町時代の歴史にはとんと疎いです。
開山堂の山門です。
「山家城主谷家の門を移築」とあります。
開山堂
この横には足利尊氏、妻登子、母清子の宝篋印塔があります。
お寺の古文書によると、二代将軍義詮が両親のそれぞれ没後2ヵ月後に
安国寺に奉納されたと書かれているそうです。
つづく





