梅宮大社
桂川に近い梅津にある梅宮大社です。
橘氏の氏神として、
もとは井手町に祀らていましたが、
嵯峨天皇の皇后 壇林皇后により現在の地に遷りました。
本殿には大山祇神、木花咲耶姫命、彦火火出見命、邇邇芸命
相殿には橘清友公、嵯峨天皇、壇林皇后、仁明天皇
がおまつりされ
酒造の神、子授けの神として信仰されています。
一の鳥居
二之鳥居
楼門
お酒がいっぱい奉納されていますね~
楼門には御随身がいらっしゃいますが、かなり傷んでいます。
よーく見ると下張りに古紙がはっていあるのか、見えています。
桃山時代に焼けているそうで、
社殿は江戸時代に建てられたものだそうです。
神苑が思ったよりきれいで、
いっぱい写真撮りました。
またゆっくりアップします~
橘氏の氏神として、
もとは井手町に祀らていましたが、
嵯峨天皇の皇后 壇林皇后により現在の地に遷りました。
本殿には大山祇神、木花咲耶姫命、彦火火出見命、邇邇芸命
相殿には橘清友公、嵯峨天皇、壇林皇后、仁明天皇
がおまつりされ
酒造の神、子授けの神として信仰されています。
一の鳥居
二之鳥居
楼門
お酒がいっぱい奉納されていますね~
楼門には御随身がいらっしゃいますが、かなり傷んでいます。
よーく見ると下張りに古紙がはっていあるのか、見えています。
桃山時代に焼けているそうで、
社殿は江戸時代に建てられたものだそうです。
神苑が思ったよりきれいで、
いっぱい写真撮りました。
またゆっくりアップします~
戦後70年
6月9日の京都新聞
沖縄戦の遺品が遺族のもとに帰ってきた
というニュースが載っていました。
糸満市の壕で見つかった万年筆の所有者が
京都市の中川清さんのものだとわかり、
弟さんに手渡されたそうです。
遺骨はもどらないまま、手紙などが残っているだけで、
手紙には
「帰りを待って居るだろうね。」
「もう夢の如くあきらめて」
「本当にお世話になりました」などと書かれていたそうです。
このとき清さんは19歳
うちの息子と同年代やん!
また沖縄県立高女の女子学生が
従軍看護婦として出陣する前夜にしたためた手紙
「お母様
いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動できますことを
心から喜んで居ります。お母様は女の子を手放して
ご心配なさることではございませうけど、
決してご心配はなさいますな。
散る時には、立派な桜花となって散っていきます。
そのときは、「家の子はえらかった」とほめてくださいね。
以前紹介しましたが、読み聞かせの絵本
小学生が家族を離れて、集団疎開に行く実話を元にした絵本です。
と、小学生のぼくは疎開に出発した。
集団疎開は朝も晩も友達といっしょで
楽しいことも、いやなこともあった。
食糧事情も悪くなり、イジメがあり、
段々家に帰りたくなってきた。
せんそうというものが、
かっこうのいいもんでも、いさましいもんでもなく
つらくて つらくて
しんどいもんであることがやっとわかってきた。
脱走してはつかまって、
「帰りたい」と、家に手紙を書いた。
「オトウチャンセンシ。
カエラナクテヨロシイ」という返事。
待ちに待った面会日。
おかあちゃんが帰ったあとは、
「おかあちゃん はよむかえにきて」
と、毎日おがむようになった。
ところが、大阪大空襲で母も姉妹も死んでしまった。
面会日に会ったばかりだったのに。。。
戦争が終わって、
みんなは家に帰れると喜んだけれど、
ぼくには迎えてくれる家族がなかった。
10分くらいあったのですが、
子どもたちはみんな真剣に聞いてくれました。
太平洋戦争の死者数300万人。。。
そのそれぞれに
それぞれの家族に
いろんな思いがあったはずです。
最近おこるいまわしい事件
戦争で亡くなるのも理不尽ですが、
若い人たちがこんな理不尽な亡くなり方をすることは
本当に残念でなりません。
沖縄戦の遺品が遺族のもとに帰ってきた
というニュースが載っていました。
糸満市の壕で見つかった万年筆の所有者が
京都市の中川清さんのものだとわかり、
弟さんに手渡されたそうです。
遺骨はもどらないまま、手紙などが残っているだけで、
手紙には
「帰りを待って居るだろうね。」
「もう夢の如くあきらめて」
「本当にお世話になりました」などと書かれていたそうです。
このとき清さんは19歳
うちの息子と同年代やん!
また沖縄県立高女の女子学生が
従軍看護婦として出陣する前夜にしたためた手紙
「お母様
いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動できますことを
心から喜んで居ります。お母様は女の子を手放して
ご心配なさることではございませうけど、
決してご心配はなさいますな。
散る時には、立派な桜花となって散っていきます。
そのときは、「家の子はえらかった」とほめてくださいね。
以前紹介しましたが、読み聞かせの絵本
小学生が家族を離れて、集団疎開に行く実話を元にした絵本です。
- お母ちゃんお母ちゃーんむかえにきて―集団疎開の絵本 (日本のえほん (32))/小峰書店
- ¥1,404
- Amazon.co.jp
と、小学生のぼくは疎開に出発した。
集団疎開は朝も晩も友達といっしょで
楽しいことも、いやなこともあった。
食糧事情も悪くなり、イジメがあり、
段々家に帰りたくなってきた。
せんそうというものが、
かっこうのいいもんでも、いさましいもんでもなく
つらくて つらくて
しんどいもんであることがやっとわかってきた。
脱走してはつかまって、
「帰りたい」と、家に手紙を書いた。
「オトウチャンセンシ。
カエラナクテヨロシイ」という返事。
待ちに待った面会日。
おかあちゃんが帰ったあとは、
「おかあちゃん はよむかえにきて」
と、毎日おがむようになった。
ところが、大阪大空襲で母も姉妹も死んでしまった。
面会日に会ったばかりだったのに。。。
戦争が終わって、
みんなは家に帰れると喜んだけれど、
ぼくには迎えてくれる家族がなかった。
10分くらいあったのですが、
子どもたちはみんな真剣に聞いてくれました。
太平洋戦争の死者数300万人。。。
そのそれぞれに
それぞれの家族に
いろんな思いがあったはずです。
最近おこるいまわしい事件
戦争で亡くなるのも理不尽ですが、
若い人たちがこんな理不尽な亡くなり方をすることは
本当に残念でなりません。
石山寺
昨日ちらっと書いたドイツ人青年と
その婚約者の女の子と石山寺に行きました。
すっかりアップを忘れていましたが
桜が終わった頃です。
息子ふたり、カップル、中国人留学生
西国三十三番の札所でもある石山寺は
琵琶湖の近く瀬田川のほとりにあります。
硅灰石という岩盤の上に立つことから、
石山寺という名になったようです。
聖武天皇の発願により、良弁が開山
聖徳太子の念持仏だった如意輪観音を本尊としています。
日本最古の多宝塔です。
天然記念物の硅灰石
本堂は滋賀県下最古の建築として、国宝に指定されています。
多くの平安文学にも登場し、中でも紫式部が源氏物語の着想をえたということで、
正面の花頭窓の部屋は《紫式部》の間として、像がおかれています。
眼下に見えるのが瀬田川
琵琶湖から流れ出る唯一の川
ちょうど新緑も美しく
四季の花々が目を楽しませてくれます。
山をひとまわりして下りてきたところに
竜神さまがお祀りされていました。
雨上がりにちょうど日が差してきました。
手水所の前にある池の横の磐穴
胎内くぐりができます。
足元がすべるなと思ったら、
大理石でできているそうです。
宮中の女性たちも訪れた石山詣でにいらっしゃいませんか。
その婚約者の女の子と石山寺に行きました。
すっかりアップを忘れていましたが
桜が終わった頃です。
息子ふたり、カップル、中国人留学生
西国三十三番の札所でもある石山寺は
琵琶湖の近く瀬田川のほとりにあります。
硅灰石という岩盤の上に立つことから、
石山寺という名になったようです。
聖武天皇の発願により、良弁が開山
聖徳太子の念持仏だった如意輪観音を本尊としています。
日本最古の多宝塔です。
天然記念物の硅灰石
本堂は滋賀県下最古の建築として、国宝に指定されています。
多くの平安文学にも登場し、中でも紫式部が源氏物語の着想をえたということで、
正面の花頭窓の部屋は《紫式部》の間として、像がおかれています。
眼下に見えるのが瀬田川
琵琶湖から流れ出る唯一の川
ちょうど新緑も美しく
四季の花々が目を楽しませてくれます。
山をひとまわりして下りてきたところに
竜神さまがお祀りされていました。
雨上がりにちょうど日が差してきました。
手水所の前にある池の横の磐穴
胎内くぐりができます。
足元がすべるなと思ったら、
大理石でできているそうです。
宮中の女性たちも訪れた石山詣でにいらっしゃいませんか。
かやぶきコンサート
かやぶきコンサートに行って来ました。
京都駅から電車で約1時間のところに
ピアノデュオでおなじみのザイラー夫妻の
かやぶき音楽堂があります。
初夏と秋にコンサートが開かれます。
コンサートにあわせて、普段とまらない特急が胡麻駅に止まります。
こんな道を10分ほど歩きます。
途中カエルが鳴いていたり、タチアオイが咲いています。
からびんくつという名前がついています。
迦陵頻伽(かりょうびんが=美女の顔をした鳥)の住む穴と言う意味です。
こちらがご自宅で
こちらが音楽堂
福井県大飯郡の禅寺を移築したもので、国の登録有形文化財に指定されています。
三階席まであるらしい。
緑をバックに
大変息の合った演奏を堪能しました。
ザイラー氏は80歳だそうですが、
5歳くらいから、兄弟で連弾をしていたそうです。
当時は演奏会もCDもなく、
家族で音楽を楽しむことが娯楽でもあったそうです。
今はそれぞれが個人で楽しむ時間が増えて、
家族で過ごす時間が少なくなってきたのかなあと思いました。
休憩には手作りのお茶とお菓子が振舞われ、
帰りにはザイラーさんの田んぼでとれたお米のおにぎりがふるまわれました。
毎年5月に100人くらい?でボランティアと田植えをするそうです。
そういえば、以前日本語を教えていたドイツ人青年が
日本人の女の子と結婚することになったそうです。
どこで出会ったかと言うと、
そのザイラーさんの田植えで知り合ったそうです!
彼女がドイツに移住するらしいです。
大変だろうけど、がんばってほしいです。
京都駅から電車で約1時間のところに
ピアノデュオでおなじみのザイラー夫妻の
かやぶき音楽堂があります。
初夏と秋にコンサートが開かれます。
コンサートにあわせて、普段とまらない特急が胡麻駅に止まります。
こんな道を10分ほど歩きます。
途中カエルが鳴いていたり、タチアオイが咲いています。
からびんくつという名前がついています。
迦陵頻伽(かりょうびんが=美女の顔をした鳥)の住む穴と言う意味です。
こちらがご自宅で
こちらが音楽堂
福井県大飯郡の禅寺を移築したもので、国の登録有形文化財に指定されています。
三階席まであるらしい。
緑をバックに
大変息の合った演奏を堪能しました。
ザイラー氏は80歳だそうですが、
5歳くらいから、兄弟で連弾をしていたそうです。
当時は演奏会もCDもなく、
家族で音楽を楽しむことが娯楽でもあったそうです。
今はそれぞれが個人で楽しむ時間が増えて、
家族で過ごす時間が少なくなってきたのかなあと思いました。
休憩には手作りのお茶とお菓子が振舞われ、
帰りにはザイラーさんの田んぼでとれたお米のおにぎりがふるまわれました。
毎年5月に100人くらい?でボランティアと田植えをするそうです。
そういえば、以前日本語を教えていたドイツ人青年が
日本人の女の子と結婚することになったそうです。
どこで出会ったかと言うと、
そのザイラーさんの田植えで知り合ったそうです!
彼女がドイツに移住するらしいです。
大変だろうけど、がんばってほしいです。
こんな親になれるといいな。 2
千住三兄弟といえば、
それぞれ芸術家として活躍されています。
この子どもたちにこの親有!
というような記事が
週刊文春《家の履歴書》に載っていたので紹介します。
語り手は作曲家の千住明さん
バイオリニストの妹 真理子さんは12歳でプロデビュー
(かなり世間からいやがらせを受けたそうです。)
お兄さんは画家を目指して、東京藝大の学生。
自分は慶応高校の時代からバンド活動に熱中
自分以外は、ぼろぼろになりながら、世界をつきつめている。
そんな中、軽がるしく音楽をやりたいといえず、
父の後を続くものがいないのもかわいそうだなと
父が教授を勤める慶応大学工学部に進学。
でも興味がないから、勉強に身が入らない。
そんなときライブを聞きにきたお兄さんが背中を押してくれた。
「お前はプロになるべきだ。
隠れてやるんじゃなく、
日なたに音楽をひっぱりだせ」と、言ってくれた。
そして、父に
「音楽家になるために、藝大に行きたい」
と、打ち明けた。
すると父は
「明がやっと自分のやりたいことをみつけた」
と、大喜びして、その日のうちに慶応の学籍を抜いてきてしまった。
僕としては
慶応大学を卒業してからでもいいと思っていたんですけど、
父は「人生には鍵を開けなきゃいけないときがある。
それが今だ」と、家族を集めて乾杯し、門出を祝ってくれた。
父は「才能×努力=結果」
というのが方程式だとよく言っていました。
普通の人の才能が1だとしたら、
才能のある人でもせいぜい1.2とか1.3なのだから、
努力の数値によって結果がかわる。
私だったら、
「おとうさんの後を継ぐあなたは一番親孝行者ね。
芸術家なんて、ごはんが食べられるかどうかわからないのだから、
音楽は趣味にして一流企業に就職しなさい」
と、言って才能をつぶしてしまったことでしょう。
兄弟妹三人が活躍できる環境というものがあったのですね。
うちの子だったら、男二人は確実に今頃サラリーマンです( ̄ー ̄;
このような家庭環境で育ったから、
私たちは千住さんのすばらしい曲を聞き、
美しい画を見ることができるんですね。
まだ読んでいませんが、図書館で借りてみようと思います。
それぞれ芸術家として活躍されています。
この子どもたちにこの親有!
というような記事が
週刊文春《家の履歴書》に載っていたので紹介します。
語り手は作曲家の千住明さん
バイオリニストの妹 真理子さんは12歳でプロデビュー
(かなり世間からいやがらせを受けたそうです。)
お兄さんは画家を目指して、東京藝大の学生。
自分は慶応高校の時代からバンド活動に熱中
自分以外は、ぼろぼろになりながら、世界をつきつめている。
そんな中、軽がるしく音楽をやりたいといえず、
父の後を続くものがいないのもかわいそうだなと
父が教授を勤める慶応大学工学部に進学。
でも興味がないから、勉強に身が入らない。
そんなときライブを聞きにきたお兄さんが背中を押してくれた。
「お前はプロになるべきだ。
隠れてやるんじゃなく、
日なたに音楽をひっぱりだせ」と、言ってくれた。
そして、父に
「音楽家になるために、藝大に行きたい」
と、打ち明けた。
すると父は
「明がやっと自分のやりたいことをみつけた」
と、大喜びして、その日のうちに慶応の学籍を抜いてきてしまった。
僕としては
慶応大学を卒業してからでもいいと思っていたんですけど、
父は「人生には鍵を開けなきゃいけないときがある。
それが今だ」と、家族を集めて乾杯し、門出を祝ってくれた。
父は「才能×努力=結果」
というのが方程式だとよく言っていました。
普通の人の才能が1だとしたら、
才能のある人でもせいぜい1.2とか1.3なのだから、
努力の数値によって結果がかわる。
私だったら、
「おとうさんの後を継ぐあなたは一番親孝行者ね。
芸術家なんて、ごはんが食べられるかどうかわからないのだから、
音楽は趣味にして一流企業に就職しなさい」
と、言って才能をつぶしてしまったことでしょう。
兄弟妹三人が活躍できる環境というものがあったのですね。
うちの子だったら、男二人は確実に今頃サラリーマンです( ̄ー ̄;
このような家庭環境で育ったから、
私たちは千住さんのすばらしい曲を聞き、
美しい画を見ることができるんですね。
まだ読んでいませんが、図書館で借りてみようと思います。
- 千住家の教育白書 (新潮文庫)/新潮社
- ¥529
- Amazon.co.jp