戦後70年 | 烏丸ママのブログ

戦後70年

6月9日の京都新聞
沖縄戦の遺品が遺族のもとに帰ってきた
というニュースが載っていました。
糸満市の壕で見つかった万年筆の所有者が
京都市の中川清さんのものだとわかり、
弟さんに手渡されたそうです。
遺骨はもどらないまま、手紙などが残っているだけで、
手紙には
「帰りを待って居るだろうね。」
「もう夢の如くあきらめて」
「本当にお世話になりました」などと書かれていたそうです。
このとき清さんは19歳
うちの息子と同年代やん!

また沖縄県立高女の女子学生が
従軍看護婦として出陣する前夜にしたためた手紙
「お母様
いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動できますことを
心から喜んで居ります。お母様は女の子を手放して
ご心配なさることではございませうけど、
決してご心配はなさいますな。
散る時には、立派な桜花となって散っていきます。
そのときは、「家の子はえらかった」とほめてくださいね。

以前紹介しましたが、読み聞かせの絵本
小学生が家族を離れて、集団疎開に行く実話を元にした絵本です。
お母ちゃんお母ちゃーんむかえにきて―集団疎開の絵本 (日本のえほん (32))/小峰書店
¥1,404
Amazon.co.jp
「おかあさん、勝つまでがんばってきます。」
と、小学生のぼくは疎開に出発した。
集団疎開は朝も晩も友達といっしょで
楽しいことも、いやなこともあった。
食糧事情も悪くなり、イジメがあり、
段々家に帰りたくなってきた。
せんそうというものが、
かっこうのいいもんでも、いさましいもんでもなく
つらくて つらくて 
しんどいもんであることがやっとわかってきた。

脱走してはつかまって、
「帰りたい」と、家に手紙を書いた。
「オトウチャンセンシ。
カエラナクテヨロシイ」という返事。
待ちに待った面会日。
おかあちゃんが帰ったあとは、
「おかあちゃん はよむかえにきて」
と、毎日おがむようになった。
ところが、大阪大空襲で母も姉妹も死んでしまった。
面会日に会ったばかりだったのに。。。
戦争が終わって、
みんなは家に帰れると喜んだけれど、
ぼくには迎えてくれる家族がなかった。

10分くらいあったのですが、
子どもたちはみんな真剣に聞いてくれました。

太平洋戦争の死者数300万人。。。
そのそれぞれに
それぞれの家族に
いろんな思いがあったはずです。

最近おこるいまわしい事件
戦争で亡くなるのも理不尽ですが、
若い人たちがこんな理不尽な亡くなり方をすることは
本当に残念でなりません。