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歴史ウオークの壬生寺などなど

グループでの歴史ウオークなので、なかなか写真が撮れません。
タイトルを壬生寺としましたが、
よく見たら、1枚しか写真がありませんでした~(;^_^A
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正面が本堂です。
律宗のお寺で、壬生狂言が有名です。
ここでは新選組が武芸の稽古をしたり、
沖田総司が子どもと遊んだという逸話があります。
この右手には壬生塚という新選組隊士の墓などがあります。
今は百円払って入ります。
高校生のときに訪れたときは出入り自由で
近藤勇の銅像と写真を撮りました。
番人のようなおじさんがいて、友達と撮ってもらいました。
「このへんは怖い歴史があったところだから、
ワシは夜通る時は念仏唱えながら歩く」
とおっしゃっていました。

よく考えたら、ホントに京都は血なまぐさいことがたくさんあったわけで、
いつも行く御所なども蛤御門にはまだ弾痕がありますし、
たくさんの兵士が戦死しました。


御霊神社にいたっては、応仁の乱勃発の地ですから。


それから夜なるべく近づきたくないのは、
鴨川の三条河原です。
今は繁華街でたくさんの人が通っていますが、
アベックも鴨川にすわっていますが、
石田三成、近藤勇など多くの歴史上の人物が、処刑されたり、
さらされたりしています。

あと歴史ウオークで通ったのは武信稲荷神社です。
藤原武信という人が崇敬したということで、
そう呼ばれているようです。
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樹齢850年の榎木は縁結びにご利益があるといわれています。
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こちらには、龍馬とおりょうが何度も訪れました。
命を狙われる龍馬はなかなかおりょうと会えないことがあったので、
この榎木の木に『龍』という字を彫り
自分が京にいることをおりょうに知らせたそうです。

倒木で彫られた龍
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またここは一寸法師が奉公した、『三条の大臣』の屋敷があったところだそうです。
いろんな歴史の舞台が京都にはあります。

新選組遺蹟

歴史ウオークで訪れたのは、新選組遺蹟 八木邸
高校生のころ、新選組ブームで友達と訪れた時は、
まだ人が住んでいるので公開されていませんでした。
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この碑も京都市教育会とありますね。
大正から昭和初期に教育会という団体がたくさん石碑を建てました。

京都市指定有形文化財 八木家住宅
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中は撮影禁止です。

ここは新選組が結成された家で、
八木家は壬生村きっての旧家でした。
14代将軍家茂が上洛するときに、その警護を担当した浪士隊は
壬生村に分宿しました。
この八木邸を宿としていた芹沢鴨、近藤勇、土方歳三など13名が
京都に残り、新選組を結成したのです。

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八木家の奥座敷では芹沢鴨ら4人が惨殺されました。
まだ刀傷も残っています。
ガイドのおじさんの説明がリアルで、
「ここで斬られた芹沢鴨は、八木家の家族が寝ていたこの部屋に逃げ込み、
ここでバッタリと倒れた。
そのときの刀傷がここで。。。」
コスプレをしたお嬢さんが二人おられて、
龍馬の格好をしたコに
「あんたここに倒れてみなさい」
って、言われて彼女は倒れてみせました。

思わず芹沢鴨の最期を想像してしまいました。。。
以前島原の角屋を訪れたときに、
「芹沢鴨の最期の夜は、ここでさんざん飲ませて泥酔させた」
という話を聞いていたので、話がつながりました(゚_゚i)

「寝ていた家族はそちらの離れのほうに逃げ、無事でした。
そのとき子どもだった八木家の家人の子ども?に
子母沢寛が聞き取って書いたのが新撰組始末記です。」
そこからですね。新撰組が人気者になったのは。。。

こちらはその側にある旧前川邸です。
公開はされていませんが、土日祝にはグッズが売られているので、
玄関先までは入ることができます。
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副長の山南敬助が切腹したのが、この前川邸です。
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今は当主が変っていますが、
ホームページを見て、興味深いのは、
今の当主は新選組の屯所だったとは知らずに購入したことです。
子母澤寛氏が小説を書くまでは
新選組ってそれほど知られていなかったのですね。

いずれにしても、血なまぐさい幕末の歴史
京都は混乱の中にいたのですね。

しんせんぐみと入力すると、
新撰組って出てきます。
新撰組、新選組の表記
どちらも使われていましたが、
印鑑などは新選組を使っていたらしいので、
最近は新選組を使うのがメジャーだそうです。

大徳寺を通り抜けましたが、

今宮神社をのぞいて、大徳寺を通り抜けました。
毎年11月は前田まつさんの菩提寺 芳春院が一般公開をしているので、
ちらっとのぞいてみました。


公開しているときは、この門の前に看板が立っているはずなんですが、
ない!

公開していませんでした~

でもアプローチはとてもきれいです。



今年は12月のほうがみごろかな。。。
この雨風で散ってしまうのかな。。。
と思いながら、あまり本格的な紅葉狩りはでかけていません。
今年はこれぞ!
というような紅葉には出会えそうにありません。

のどかな時代

同窓会がありました。
2年前に大きい同窓会があってから、
クラス単位、小学校単位の同窓会が続いています。
ちょっと飽きてきた感もありますが、
違うメンバーも来るので、
行ったら行ったなりに楽しめます。
同じところにずっと住んでいたので、
幼稚園からずっといっしょという人もいます。
Aくんとは母親同士が仲がよく
一緒に手をつないで幼稚園に行っていました。
今のような幼稚園バスがないので、
路線バスに乗っていきました。
決まった時間のバスには幼稚園の先生が乗っていました。
母親たちはバス停まで送っていって
先生に渡すというかたちです。
ですが、A君はこう言うのです。
「え、先生なんか乗ってなかったで。」
「乗っていたよ!」
「だっていつも終点まで行ってしまって、
終点でいつも運転手さんに
『なんやまた君か』って言われてたし。。。」
私の記憶では絶対先生が乗っておられましたが、
Aくんが終点まで行っていたことも事実のようです。
今では考えられないことですが、
バスに積み残されていたのですね、きっと。
幼稚園児だけで、アポなしで友達の家に行くことも
当たり前でしたし、
のどかな時代でした。

とはいえ、外国人が日本に来て驚くことのひとつに
小学校低学年の子が電車に1人で乗っていることだそうです。
なんだかんだ言っても、
日本はまだまだ治安が良いですね。

通りすがりの今宮神社

前を通ったので立ち寄りました。
今宮神社です。
どちらかというと地元の神社なので、
今宮神社とは思えないほど人が多かったです。


結婚式の写真を撮っているカップルも。。。


ちらっとのぞくと、あぶり餅屋さんも平日と思えない行列

狛犬さんも紅葉を背負っています。



月読社


神明鳥居です。


風が強いので、落ち葉がどこもいっぱい


あまりこちらに来る人は来ませんが、
時折西日がさしてきれいでした。


今日はとにかく風が強くて
並木道はえらいことになっていました。
空気が入れ替わり、だんだん気温が下がっています。
これでやっとこさ紅葉はすすむでしょうか。
それ以前に風で散ってしまった気もします。
暖かくしておすごしください。