1度行ってみたかった①
夏のこの時期、京都のお寺では暁天講座が開かれています。

朝5時半から受付
6時から座禅
15分×2
6時45分から講演会。
今日の講師は歴史学者の磯田道史先生でした。武士の家計簿やNHKの歴史番組の司会で有名です。
とてもお話が面白く45分の講演はあっという間でした。
近世において、京都で200年大地震がないということは
大変珍しいことなのだそうです。
最近町家をリフォームしてゲストハウスなどになっていますが、
見栄えだけきれいにして、耐震性は大丈夫なのかなあと思います。
この後大書院で、粥座(朝粥)をいただきました。
少し麦が混ぜてあり、ほんのり塩味でした。
おかゆと漬物だけですが、さすが典座料理、おいしくいただきました。
最後はたくあんは一切れ残しておいて、鉢を洗い、飲み干します。
この後、体調がよかったです。
朝がゆは体にいいのかな。
お家元見学会
寺之内通を行くと、ちょっと雰囲気の違う通りにあたります。
小川通です。
最近電柱が地下に埋められてスッキリしました。
白い車の向う側が表千家、さらに奥が裏千家家元です。
その百々橋の礎石です。
この塀の向う側は門跡寺院の宝鏡寺です。
表千家 不審庵を見学させていただきました。
こちら紀州藩からいただかれた武家風の門
工事をされているようです。
中は撮影できませんが、ホームページでご覧になれます。
中の方も順次屋根の葺き替えなどされているようです。
利休さんの祀られた祖堂にお参りできたのがよかったです。
天明の大火でこのあたりは丸焼けでした。
再建後も火事がありましたが、粗堂は焼け残ったとおっしゃっていました。
社寺の庭とは違う空気感、大変お手入れのいきとどいた凛としたお庭です。
まず最初に路地草履に履き替えました。
苔を踏んでは大変ですからね。
その苔がすばらしかったです。
一方こちらが表千家の北隣(裏)にある裏千家(今日庵)です。
こちらは兜門です。2011年のブログからひっぱってきた写真。
今は改修されてもっときれいな屋根だと思います。

早く着きすぎたので、時間までお向かいの本法寺を散歩していました。
利休切腹のあと、連れ子の少庵は蒲生氏郷の会津に身を寄せていましたが、
帰京ののち本法寺の横に居を構えまたのです。
それが現在の千家です。
まだアジサイが咲いていました。 偶然撮れたお気に入りの1枚です。iphoneのわりに光の加減がきれい。 お茶はしていないので、
おそらく一生に一度の御家元見学会でした。
下鴨神社 みたらし祭
下鴨神社の御手洗池に足を浸けて、1年間の無病息災を祈ります。
以前は3,4日くらいでしたが、だんだん人も増えて
今年は9日間。
最終日にすべりこんできました。

三男は冷たいのが嫌だと入りませんでしたが、
昼の猛暑のせいか、人が多いせいか、
切れるような冷たさではなく、心地よい冷たさでした。
出ると、ご神水をいただけます。
健脚祈願。
足が痛いという父の名で納めておきました。
楼門のよこの塀の上にはたくさん植物が生えていました。

今テレビで阿久悠さんの特集をしていますが、
流れている曲はほとんど歌えますね~
また逢う日まで、勝手にしやがれ、
うまいですね~かっこいいですね~
2回ジュリーのコンサートは行きました。
1度は学園祭でしたけれどね。
岩崎宏美だけでも60数曲書いてもらったそうです。
すばらしい作詞家でした。
碧い目の神道学者
下鴨神社一の鳥居付近にある鴨社資料館秋穂舎しゅうすいしゃです。
京の夏の旅とコラボして
碧い目の神道学者
ポンソンビ博士展が行われています。
前回訪れたときに、神職さんが
「神道界でもあまり知られていないポンソンビ博士の功績を
知っていただきたい」
と、熱く語っておられたので、訪問しました。
備忘録代わりで長いですので、興味のない方はスルーください。
12世紀から続く英国貴族のポンソンビ家の当主リチャード・ポンソンビ・フェーン
(1878-1937)
ポンソンビ家は多くの政治家を輩出しています。
ポンソンビ博士ご自身は
当時たくさんあった英国の植民地の総督の秘書官として
世界各国を回ってきました。
明治34年(1901年)に初来日をして以来、
日本をこよなく愛し、1919年には永住を決意されます。
香港の総督秘書をしていたときには、
欧州歴訪の途中に
香港に立ち寄られた皇太子(後の昭和天皇)の通訳をされました。
昭和天皇はポンソンビ博士の日本語を
「xx(東北訛りの侍従)の日本語よりもわかりやすい」
とおっしゃって、まわりを笑わせたそうです。
また京都御所における御大典(即位式)に唯一の外国人として招かれ
建礼門の前では下駄を脱ぎ、頭を地面につけて拝礼されました。
そのことから、碧い目の高山彦九郎とも呼ばれています。
高山彦九郎は三条京阪に銅像がありますね。
ポンソンビ博士は当時英語で出版されていた
チェンバレンの古事記やアストンの日本書紀を読んで
ぜひ原語で読んでみたいと日本語を勉強されました。
蔵書が展示されていましたが、
私たちにも読めない平田篤胤のくずし字の本など
数万冊(もしかしたら数十万?)の蔵書をお持ちでした。
神道について、研究をされましたが、
中で皇室に対する造詣が深く、著書もあります。
(南朝こそが正統であるとおっしゃっているそうです。)
皇室に関係ある全国の神社や
一宮を訪ね歩いたり、御朱印を集めておられます。
鴨社に対する著作もありますが、
カモに対する表記は何通りもあります。
上賀茂神社は賀茂ですが、下鴨神社は鴨と表記します。
その違いについての博士の見解はこうです。
「カモというのはもともとカミで
上とか神という意味であった。
それを祀る人たちがなまって、カモと呼ばれ
賀茂、加茂、鴨、迦毛などと表記されるようになった。」
またヤタガラスについても、研究論文を出しておられるのですが、
当時ヤタガラスの足は二本か三本か、論争があったそうです。
論文を読んでいないので、内容は知りません。
私はヤタガラス=三本足だと思っていたのですが、
そういうわけではなかったのですね。
1銭硬貨 普通にカラスなのか?二本足のヤタガラスなのか。。。
先生は衣食住すべて日本風を通されました。
上賀茂にあったポンソンビ邸です。
(壊されることになっていたのが、引き取ってくださる方が現れたそうです。)
自らを本尊美利茶道(ポンソンビリチャード)と名乗られました。
生涯独身でしたが、それを受け継いだのが秘書の佐藤芳二郎さんです。
佐藤さんはポンソンビ博士の死後、著書を整理して出版されます。
(先生の死後佐藤氏は早稲田大学に入って英語を学んだそうです。)
その本を出版にするにあたり、佐藤氏宛ての吉田茂の書簡が
表装されてお茶室に掛けられていました。
その本を百冊予約するという内容でしたが、
吉田茂は来日する各国の大使たちに
「日本のことを知りたければ、これを読みなさい」
と、先生の著作を渡されたそうです。
ポンソンビ博士はもともと病弱で、60歳でお亡くなりになりますが
神道学者でありながら、宗教はカトリックだったそうです。
だから、比較宗教学者として客観的な目をお持ちだったのかもしれません。
お墓は英国にあるそうですが、
顕彰碑が西賀茂の西方寺にあります。
神社関係者でもあまり知られていないポンソンビ―博士
これを機に知名度が広がるといいですね。
祇園祭後祭 南観音山 宵山から巡行へ
これで祇園祭は最終回です。
南観音山ですが、今日も横を向いています。
下水引は加山又造画伯の原画による飛天奏楽です。
加山又造画伯は西陣織の図案家の子として生まれたのですね。
加山画伯が寄贈された京うちわも展示されています。
そして巡行の日
御神体が楊柳観音様なので、柳の枝が飾られています。
見送り(後ろ)加山又造画伯による龍王渡海
辻回しをして、細い新町通に入っていきます。
この後歩いていると、柳の小枝を持った人に何人か
すれ違いました。
鉾の柳をいただけたのでしょうか。
最近のグループのタレントさんと同じで、
興味がないと同じ顔に見えるんですけど、
山鉾も興味を持つと、
一つ一つ違って奥が深いです。













楊柳観音のご神体を載せて巡行します。



