平和祈念公園
息子と広島に行きましたが、
私は市内を、息子は呉に行きました。
格安新幹線切符はJR西日本の企画なので
在来線で新大阪まで行きました。
ホテルもネットで。
しかし、実は旅行社のパックの方が安いことに
買ってから気づきました。
ホテルはパークザロイヤル広島リバーサイド
開業前にマスカレード・ホテルのロケ地に使われたようです。
川沿いに高級マンションが並びます。
広島駅から市電に乗って、まず原爆ドーム
これだけの家があったと思うと、心が痛いです。
爆心地は原爆ドームから少し離れた島病院
今も診療中です。
外国人一家が銘板を見ていました。
たくさん碑がありますが、
有名な原爆の子のモニュメント
10年後の昭和30年12歳で原爆症で亡くなりました。
千羽鶴を折ると願いが叶うと祈りながら…
平和を祈る運動は全国規模になり
禎子さんの霊を慰めようと、
像が作られました。
内側は折り鶴です。
鳴る仕組みになっています。
そして原爆死没者慰霊碑
内部は石室があり、
亡くなられた方の名簿が納められています。
平和の灯←弥山から火をいただいたもの
この碑文は賛否がありますが、
当時の市長から依頼された碑文に詳しい
広島大学の雑賀教授が考え、揮毫したものです。
しかし、この碑文に怒りをあらわにしたのが、
インドのパル博士でした。
東京裁判で日本人の無罪を主張した博士は
「この私たちは日本人をさしていると思われるが、
(英語では主語が必要なので、
(英語では主語が必要なので、
私たちは過ちを繰り返さない
We shall not repeat the evil.
と訳されます。)
どんな過ちか疑う。過ちが前の戦争なら、
それも日本の責任ではない。
戦争の種は東洋侵略のために西洋諸国がまいたのだ」
と、おっしゃったそうです。
それに対し、雑賀教授の意図は
私たちというのは全人類を意味し、
趣旨を正確に伝えるため、
広島市は新たな説明板を追加したそうです。
資料館も行きましたが、
今本館が工事中で4月にリニューアルオープンします。
ハイテク化されていてびっくりしました。
ここに来ると原爆の怖さを感じ
心が沈みます💦
神の島 宮島の弥山
さ宮島は過去に3回訪問していますが、
宮島の信仰の山 弥山は初めてです。
弥山は1200年前弘法大師が開きました。
厳島神社から15分ほど歩いてロープウェイに乗ります。
途中1度乗り換えがあります。
ロープウェイの終着駅からの風景
隣は江田島らしい
展望台が見えています。
弘法大師が護摩行をした消えずの火が
今も燃え続けています。
平和祈念公園の火はこちらからの
持って行かれたのだそうです。
御釜がかかっていて、霊水を柄杓ですくって
飲めるようになっています。
まだ上がります。
回峰行をされるんでしょうね。
伊藤博文が
日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり
と言ったことがよくわかりました。
神の島 宮島
10年ぶりの神の島宮島です。
昔は九州の沖ノ島のような禁足地で
今でもケガレであるお墓や産婦人科はないそうです。
有名な鳥居
向こうから見ると扁額は厳島神社ですが
こちらから見ると、 伊都岐島神社 となっています。
神の島なので、埋めこまれることなく
鳥居は自重でドーンと立っています。
重さを保つため島木に石がつまっているそうです。
1875年に立てられた8代目だそうですが、
6月から1年余りかけて大規模改修されることになりました。
まっすぐに製材された柱だと思っていたのですが、
よく見ると自然な形をしているんですね。
ホントは満潮を見たかったのですが、
少し潮が引いてきていました。
前回は子供たちと鹿を目的に訪問しましたが、
鹿のえさやりが禁止され、鹿が激減していました。
ここが神社の入り口
昔は出口だったとかで結構シンプル
ご祭神は宗像三女神の 市杵島姫命 、田心姫命、湍津姫
推古天皇元年(593年)地元豪族の佐伯鞍職が神託を受け
市杵島姫命をお祀りしたのが始まりだそうです。
平家一門の崇敬を受け、平清盛によって現在のような
大規模な造営が行われました。
一時は衰退したものの、毛利家や豊臣秀吉も九州遠征のおりに
参拝したそうで、千畳閣(豊国神社)が築かれています。
豊国神社の五重塔が背後に見えています。
どう見てもお寺ですが、明治以降御本尊は
お隣の大願寺に移されています。
市杵島姫命は仏教の弁財天と習合していましたが
お隣の大願寺は日本三弁財天の一つだそうです。
そこにある伊藤博文お手植えの松が
ヤマタノオロチのように面白いのです。
後白河法皇が行幸の際お手植えされた松だそうです。
ここまではるばる来られたのですね。
昨日アップした厳島神社のご神体山である弥山に参ります。



































