広島 頼山陽史跡
広島駅前にはこんなレンタサイクルがあったのですが、
着いたときにすぐ路面電車に乗ってしまい気づきませんでした。
これに乗っていたらもっと楽だったろうに。。。
平和祈念公園から縮景園まで結構歩きました。
途中にあったのが
頼山陽史跡資料館
ここも原爆で壊滅的な被害を受けたそうですが
昭和33年に復元されています。
頼山陽の住んでいた山紫水明処ってところが
鴨川沿いにあるものですから、
ついふらふら入って行ってしまいました。
隣が日本銀行広島支店だったかな。。。
結構町の中心です。
頼山陽は江戸時代の儒学者、歴史家
彼の著した『日本外史』は幕末の志士に多大な影響を与えました。
山陽の父が広島藩に仕え、山陽も江戸に遊学しましたが、
後に脱藩し、連れ戻された後、ここに幽閉されていました。
謹慎を解かれた後、32歳で京都へ
京都で20年を過ごしました。
そのとき住んでいたのが鴨川のほとり
山紫水明処
そして縮景園を出て歩いていると、
幟小学校の前を通りました。
すると平和祈念公園で見た折り鶴のモニュメントが。。。
モニュメントのきっかけになった佐々木禎子さんが
通っていた学校がここだったんですね。。。
歩くと、「あれ!」っていうものに出会います。
そして先週実家に帰ったときのこと、
父の友人が訪ねてきていました。
その友人は広島の郊外の出身で
私も2回訪ねて行ったことがあります。
原爆が落ちたときは中学生だったそうです。
広島市内の知り合いに自転車に乗って
食料を届けに行ったりしたそうです。
米が穫れるとそれを自転車に載せて町に行き
魚などと交換したそうです。
「物々交換じゃないと闇になるからのう」
そういうことを10年くらい続けたそうです。
そこの奥さんは広島市観音町で被爆され
手帳を持っておられますが、
モニタリングポストのない時代
おじさんだって結構なレベルの放射能を受けたのではないでしょうか。
お二人とも健康に生活されていますが、
おばさんだって佐々木禎子さんになっていたかもしれないと
改めて思った広島行きでした。

























