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大塚国際美術館1

明石海峡大橋を渡り、大鳴門橋を渡って
徳島県鳴門市に着きました。
大塚国際美術館はオロナミンⅭやボンカレーでおなじみの
大塚グループが創立75周年を記念して建てられました。
環境保全のために地中に埋まったかんじの建物です。
 
入口からエスカレーターで上に上がるとB3階です
この美術館は系列会社で焼かれた陶板による複製です。
オリジナルと同じサイズで見る事ができます。
触ってもいいし、写真におさめてもいいのです。
その中でも目玉と言えるのはバチカンにある
ミケランジェロのシスティナ礼拝堂

よくここまでというくらいの迫力です。

この階はほぼ環境展示といって、

教会や礼拝堂などをそのまま再現されています。

絵なら持ってくることもできますが、

こういった礼拝堂のフレスコ画は持ってくることは

できませんから、ありがたいですね。

私が一番気に入ったのはスクロヴェーニ礼拝堂
イタリアのパドヴァにあり、ジョットによるフレスコ画です。
(もちろんここは陶板です。)

 

マリアブルーという美しい青色
聖テオドール聖堂はトルコのカッパドキアにあるそうです。
あの巨石群の中をくりぬいてこんなキリスト教会があるんですね。
ここはいったん外に出て見学するのですが、
扉も再現されていて、リアルでした。
フランスの聖マルタン聖堂
破壊されて、もうないものも再現されていますというのは
ここだったのかな???
世界に散らばる至宝を複製とはいえ
一緒に見られるところがすごいですね。
日本の美術館はこういう環境展示が少ないのですが、
海外では見かけました。
フィラデルフィア美術館に行ったとき
日本のお寺がそのままそっくり移築されていたので
(廃寺を解体して持ってきたのか?)
びっくりしました。
同じ美術館でモスクがそのまま移築されていました。
ただ美術館で仏像見るのと同じ気分です。
実際バチカンに行くと
ミケランジェロのピエタを見たり
その場の持つ空気があります。
イタリア アッシジの礼拝堂で
熱心にお祈りをする方を見て
観光気分で来ている自分に
申し訳なく思った思い出もあります。
 
それを差し置いても、次から次へと
教科書に載っている名作に出会えるのが
大塚国際美術館です。
つづく。。。

海を渡る

海を渡りました。

海を渡ると、
こんなところに着きました。
あら、どこかしら?

東寺の蓮

数日前の東寺です。
イオンモールに車を置いて、歩いて10分。
暑いです。

蓮が見たくて来たのですが、遅かったか。。。

 

と、思いましたが、

まだ少し残っていました!

 

五重塔の足場がだんだん上に上がってきました。

 

 

人が亡くなると、阿弥陀様が25菩薩とともに

お迎えに来られて、蓮の花に魂を入れて

浄土に向います。(平等院扉絵)

そして浄土の蓮池に生まれ出でるらしいです。

 

宝蔵

校倉造ですね。

 

別角度から。。。

蓮の花を撮って、映画を見に走りました。

 

根来寺

今日はもう並々ならぬ暑さでした。

歩いていても地面からじりじりと熱気があがってきます。

やっぱり38度超えたようです。

屋外で仕事される方、大丈夫か心配です。

気を付けてください。

私は暑いの平気でしたが、やはり年のせいか

最近の暑さも異常だし、耐えられませんね。

汗腺の働きも悪いのだと思います。

 

和歌山の庭、最終回の根来寺です。

信長の比叡山焼き討ちは有名ですが、

豊臣秀吉は根来寺を焼き討ちにしています。

それだけ根来衆も強大だったのですね。

京都の智積院のルーツは根来寺にあるので

お参りしたいと思っていました。

 

平安後期の高野山の僧 覚鑁かくばんは

鳥羽天皇の帰依を受け、山内に伝法院と密厳院を建立。

また金剛峯寺の座主として、当時堕落していた高野山を

立て直そうとしました。

しかし反発する勢力に遭い、高野山を下り

伝法院の荘園にある豊福寺に拠点を移します。

覚鑁上人の入滅後、大伝法院は高野山で発展し十三堂塔が建立されましたが、

仁治3年(1242)に焼失。

その後、頼瑜(らいゆ)僧正が大伝法院の僧侶の学びの拠点を根来に設けました。

戦国時代根来寺は僧兵による鉄砲隊が作られるなど

強大な勢力になったため、秀吉によって焼き討ちに遭います。

この赤い橋から手前はみんな焼けてしまいましたが、

川が火を食い止めて、大塔などは焼け残りました。

階段を上がった正面に本堂

本尊・金剛界大日如来、脇仏・金剛薩埵と尊勝仏頂 

仏像は室町時代のもので、建物は江戸時代

なんでも秀吉が主君織田信長の菩提寺を船岡山に建てるために

建物と仏像を運んだけれど、形勢が自分に向いてきたので

大阪此花あたりでほっぽらかしてしまったそうです。

仏像だけが戻ってきたということです。

かなり大きいものですが、寄木造りなので、ばらばらにして

移送したようです。

現在の建物は徳川家の支援で建てられたそうです。

 

大塔を見たとき、思わず「でか!」

と言ってしまいました。

木造の多宝塔としては最大のものらしいです。

一層目が方形、二層目は円形で接合部は亀腹というそうで

しっくいで覆われています。

去年の台風でいたんだので、修理中

中は立体曼荼羅になっていて、中に入ると

自分が曼荼羅の一部になりますと、教えてもらいました。

立体曼荼羅というと東寺を思い出すので、

あれ、あっちと違うなと思っていたら、

あちらは金剛界、こちらは胎蔵界のようです。

 

そして本坊です。

大塔バックにソテツ~

こちらが名草御殿と名勝に指定されている庭

池泉式蓬莱庭園

中央左が礼拝石です。

(仏教では礼拝=らいはいと読むらしいです。By NHK)

 

正面が三段の滝

 

結局みんなこのお庭が一番気に入ったのでした。

 

正面から撮るのを忘れましたが、

聖天池

根来寺は広く、ぎりぎり4時に入りましたので、

まわりきれないところもあり、またお参りしたいと思いました。

名勝 温山荘園

和歌山の潮入り庭園二か所目です。

和歌山市のおとなり海南市の温山荘園おんざんそうえんです。

こちらも浜が埋め立てられてしまったようです。

温山荘園は大正初期から昭和の初めにかけて

愛媛県松山市出身の実業家新田長次郎により造園されました。

温山の由来は長次郎の依頼により、

東郷平八郎がその雅号「温山」から名づけたものです。

東郷平八郎の書で琴乃浦 温山荘と掲げられています。

主屋です。

和歌山の庭は割とソテツが多いです。

温暖だからでしょうか。

沖縄からきているそうです。

もっとアップにすればよかったのですが、

欄間がうさぎの透かし彫りでした。

そして長次郎と交流のあった同郷の秋山好古の書

電灯の透かしもきれいですね。

花頭窓から庭園を眺める

作庭は武者小路千家家元名代 木津宗泉

潮の干満によって水位が変わる汽水の池

ウナギやボラがいるそうです。

同じく木津宗泉による設計の茶室

上が茅葺で下が瓦に見えるのですが、

平瓦に見えるところが木でした。

西日本随一の大きさの青石を使った石橋

石橋を渡ると、浜御殿があります。

この浜御殿が最初に建てられたのだそうです。

海を眺望する場所でしたが、

今は埋め立てらて?向う岸を車が走っていました。

トンネルを抜けるとプライベートビーチもあるそうですが、

今手彫りのトンネルが工事中とかで行けませんでした。

また主屋に戻ってきました。

玄関は1階ですが

傾斜地になるのか地下の入り口もありました。

内部から見たところ

建物もお庭も素晴らしいですのが

雪見灯籠のデカさとか、庭石や石橋のデカさは

前回の六三園に通じるものがありましたね。

和歌山にもいいお庭がたくさんあるのを感じましたが

腕のいい庭師というと限られるので、

京都から呼んで指導?してもらっているということでした。