烏丸ママのブログ -472ページ目

宝塔寺塔頭大雲寺

深草山宝塔寺
伏見稲荷から徒歩圏内にあり、大変立派なお寺ですが、観光寺院でないため、普段は人がいません。
藤原基経の発願により建立された極楽寺が前身
その後鎌倉末期に極楽寺の住持が
日蓮宗の日像上人に帰依したことから
日蓮宗に改宗
ボロボロだった重文山門が修理されていました。

本堂は慶長年間の再建。

多宝塔
小さいけれど美しい。
本堂、多宝塔ともに重文です。


仁王門

塔頭の大雲寺が公開されています。

お庭もきれいで、狩野探幽のお軸などもありますが、
撮影禁止でした。
サービス精神旺盛な和尚様が自らご案内されていました。
お茶室やお庭の整備も
この和尚様の代でされたようです。

西山に沈む夕日を見ながら
日想観の気分になりました。
(北から伏見稲荷、石峰寺、宝塔寺と並んでいるので、それぞれ西向きです。)


東福寺正覚庵

 東福寺です。
特別公開寺院を訪れました。
1番塔頭の数が多いのは妙心寺だそうですが
ここも結構多い。
いったん三門を出て、
重森三玲の庭で有名な光明院

の並びにある正覚庵に参りました。
本堂が伊丹市にあった白洲屋敷から移築された珍しい意匠です。
見えているのは書院 
表門右手 筆塚があり、筆供養が行われます。

中は一切撮影禁止。
傾斜を生かした美しい庭
書院の襖絵は今年の完成
本堂は建築道楽と言われた白洲文平の邸宅だった建物で
屋久杉の一枚板を使った廊下や
個人の邸宅としては珍しい折り上げ格天井が使われていました。
茶室も天井に細い杉丸太が使われていました。
綿貿易で財を築いた白洲でしたが
昭和の金融恐慌で破産
息子の白洲次郎も留学を切り上げて帰国
その後何度か持ち主が変わりましたが、
移築先を探していたところ
この正覚庵に移築されることになりました。
女子大生のガイドさんでしたが
みなさん感じのいいお嬢さん方でした。

東福寺一華院

爽やかな日が続きます。
東福寺の特別公開に行きました。
まだ紅葉には早いようですが、
このところの朝の冷え込みでそろそろ見頃になるでしょう。
同聚院のお不動さんにご挨拶
かすかに色づく



特別公開の正覚庵に行こうとしたら
普段閉まっているお寺が公開していました。
お抹茶付きと一般の拝観が選べます。
方丈庭園

すごい松ですよー
北側 は重森千青氏の七五三の庭
石が七五三に配されています。

杭迫柏樹氏の李白、王維の詩の書に
中国の画家のコラボ
誰かわからない竹林の七賢図

人がいなくて気持ちよかったです。

父の親友

今朝はとっても冷え込みました。
雲一つなく放射冷却ですかね?

実家に行く途中にだいたい東寺の前で信号待ち。

父には親友がいますが、
1950年代アメリカで知り合った広島出身の人
帰国後父が住む大阪に移り住みました。
当時米1ドルが360円の時代
向こうで稼いだお金を銀行に預けに行ったら
支店長室に通されたとか。
私と同い年の娘さんがいて
一緒に家族旅行に行ったり
親戚以上の付き合いをしてきました。
ホノルルマラソンに70歳くらいまで出場
今でも1日10キロは歩くと言っていました。
父が入院している時も
退院してからも
しばしば訪ねて来てくれました。
しかし先日訪ねて来た時
気分が悪いと言うので
兄嫁が自宅まで車で送り届け
そのまま入院されました。
末期ガンでホスピスに転院するそうです。

女優の八千草薫さんもつい先日まで
テレビに出ていらしたのに
ガンでお亡くなりになり
うちの父のように
あそこが悪いここが悪いと言っている者が
残されるという
何ともいえない複雑な思いがします。


天道神社

天道神社は四条大宮にあります。

御祭神は天照皇大神、八幡大神、春日大神


このあたりは染物関係のお宅が多いようで
昔の街並みが比較的保存されています。
通りの家にお神酒の奉納された紙が貼られていました。
11月3日は大祭で
神社の規模の割に行列が立派で驚きました。


大人しめの獅子さん
京都の祭といえば剣鉾
神輿が通る前の露払いです。

裃を着た人たくさん
うちの町内の長持ちにも裃があるのですが
使っていないからボロボロ
こうして衣装や人を確保するには
大変な努力が必要です。
四神旗かと思いましたが、違いました。
御神宝

かわいらしい子ども神輿
大人の神輿

最後に神職さん

地元の方々の神社愛の伝わるよいお祭でした。