烏丸ママのブログ -451ページ目

南禅寺金地院②

今日もご訪問いただきありがとうございます。
宝塚歌劇の再開のアナウンスがあり、ちょっとびっくりしました。
花組は3月と4月1回ずつチケットをとっていて、
どうしようかと迷っています。
状況は日々変わるので、ギリギリまで待とうと思いますが
連れのご主人が医療従事者なので、連れはいかない方がいいと思います。
 
南禅寺金地院は南禅寺の塔頭の中でも
地下鉄蹴上から近いところにあります。
ねじりまんぼをくぐり

大寧軒の生垣がスカスカなので、

隙間から覗きながら行くと
金地院(の勝手口?)です。
苔がきれいで撮りました。

徳川家康公の東照宮を1枚アップし忘れていました。
彫刻も施され
黒い壁はうるしのようですが
扉はかなりはげています。
小堀遠州が作った鶴亀の庭。
小堀遠州の庭はそこらじゅうにあるのですが、
小堀遠州の流れをくむ。。。みたいなところも多数
しかしここは間違いなく小堀遠州の作庭です。
江戸にいた金地院崇伝から依頼があり、
遠州が54歳のときに完成したと記録があります。
江戸の崇伝が指示を出していたので、
そのやりとりがいろいろ記録して残っているのですね。
しかし、崇伝は江戸で亡くなってしまい
完成を見ることができませんでした。
降ったりやんだり忙しい天気で空の色がコロコロかわる。
右手に鶴島、真ん中が蓬莱山、左手が亀島
手前にあるのが東照宮を遥拝する遥拝石
この木々の刈込は日本では遠州が始めたもので、
オランダに茶碗を注文していた遠州なので、
ヨーロッパの幾何学庭園の情報を得ていたのではないかと
言われています。
 
入口にわかりやすい庭の解説がありました。
近江出身の小堀遠州は自身の作った庭に
富士山の形をした富士山石を置いていたそうです。
駿府城の作事奉行をしていたこともあり
駿河から見た富士山なのか、近江富士なのか
よくわかりませんが、富士山が好きだったそうで
シンボルマークにしていたそうです。
金地院の方丈は伏見城から移築されたもので
普通の禅宗寺院の方丈とは違い上段の間があり
狩野探幽と尚信の襖絵を拝見することができます。
さらに中には長谷川等伯の襖絵があります。
襖絵と茶室を見るのは1時間おきの案内で
700円かかります。
ネットからお借りした長谷川等伯の襖絵
日本にテナガザルはいませんから、
中国の牧谿のサルがモデルのようです。
そっくりですね。
国宝 大徳寺蔵
 
方丈にいるときに案内の方が出てこられましたが、
拝観者は一人だけでした。
ちょうど案内が始まったばかりだったので、パスしましたが
なんだかんだ半時間はいたので、
もう少し待って見せていただけばよかったです。
素敵なお庭をまた見に行きたいです。
 

南禅寺金地院①

中国と韓国から入国する人に2週間の隔離要請が出ましたね。
今更感ありますが。。。
アメリカのクルーズ船に対する対応も日本が非難されたわりに
日本以下のような気がするんですが。。。
世界にコロナウイルスが広がると、
日本の医療を求めて、逆に発展途上国のお金持ちがやってきたりしないのかと
思うのでありました。
 
南禅寺の塔頭 金地院です。
天気も悪く、貸し切り状態でした。
金地院崇伝は金地院に住んだため金地院崇伝と呼ばれました。
徳川家康の信頼も厚く、徳川幕府のブレーンとして幕府の基礎を固め
黒衣の宰相として有名です。
一塔頭なのに、10万石を持ち、寺大名と呼ばれたそうです。
image
なかなか良い松ですが、お手入れがされていないようです。
この時期こんなに伸びていないと思うのです。
 
明智光秀が母の菩提のため、大徳寺に寄進した明智門
金地院の唐門が明治になって豊国神社に移築されたことから
大徳寺の明智門が移築されてきました。
ドミノみたいに明智門のあったところには
大徳寺境内にあった国宝唐門が移築されました。

拝観順路に沿っていくと、まず重要文化財 東照宮に行きます。

東照宮には家康公の遺髪と念持仏が祀られています。

 

近づくとものすごい威圧感を感じました。

2回目の拝観ですが、みんなとワイワイきたので覚えていない。

 

恐れ多くて、中は撮れませんでしたが、

天井には狩野探幽の龍、土佐光起、青蓮院宮の三十六歌仙の

額がかかっています。

瓦とか、漆とかホントは修理する時期に来ているんでしょうね。

文化財はホントに維持管理が大変だと思います。

 

弁天池

image

寒々と天気が悪いでしょう?

みぞれが降って、次の瞬間には下のように日が差すという

変なお天気でした。

弁天さんが祀られています。

 

苔がすごくきれいでした。

 

 

 

 

 

ネタがないので、ちょっと引っ張ります。

庭園につづく。

 

 

南禅寺

ホントは今日は観劇日でしたが
キャンセルになったので、南禅寺
京都五山の別格
もっとも足利幕府と敵対した大徳寺や妙心寺は五山に入っていません。

今日は猫の目のような天気でした。
絶景かな
で、有名な三門は藤堂高虎の寄進です。
禅宗では山門ではなく三門と書きます。
法堂

琵琶湖疎水の通る水路閣
こういう時期ですが、着物の若者が多くて
入らずに写すのに一苦労
いつもなら着物姿は外国人ですが、日本人でした。
外国人はいなくなりましたが、
意外と日本人は見かけました。

お正月に浜松の家を片付けていたら
引き出しにカットされた新聞が出てきました。
おそらく義母がティッシュ代わりに使うために
カットして入れていたのでしょう。
義母は始末屋でした。
始末するときは始末(倹約)して
使う時はパッと使う。

そうだなぁ
ティッシュがなければ新聞紙で代用できるよね。
え?新聞とっていないから、ないって?
確かに今図工の時間に「持ち物 新聞」て書いてあったら、困る家庭が多いとか。
ティッシュなくても、大丈夫
トイレットペーパーなくても大丈夫
インドみたいに水で洗えばいいんじゃない?

寄り道の地蔵院

双子の息子 イタリアに入りました。
その前はフランス
寒々していますね。
ルーブル美術館は前売り買っていたのに、
職員のボイコットで入れなかったそうです。

折しも
我が家にホームステイしたイタリア人ボーイスカウトからメールが来たので、
「今息子たちイタリアやねん!」
って返事したら、
「イタリアの病院はちゃんと機能しているから
大丈夫!」
って言ってきました。
「学校は休みで
お父さんは在宅勤務
でも社会は普通に機能してる。」
と、日本と同じような状況のようでした。

昨日の寄り道の続きを少しだけ
西大路一条にある地蔵院
豊臣秀吉ゆかりの散り椿で有名です。
今は2代目で百数十年の樹齢です。
もう咲いているかと行きましたが
まだまだこれから
って感じです。


地蔵院は今は小さいですが、歴史あるお寺です。兵庫県伊丹市の昆陽野こやのに
行基により創建され、平安時代に移転
秀吉の命により現在地に移されました。
散り椿は加藤清正が秀吉に献上
秀吉が北野大茶会の折に宿にした縁で
秀吉が寄進したと伝わります。
今は阿弥陀如来様が本尊ですが、
地蔵院という名の通り
行基作と伝える立派なお地蔵様がいらっしゃいます。





千両が辻”『桃の節句の彩り』”

今日は電車を避けて

自転車で出かけました。

自転車で出かけるといろいろ寄り道が楽しいです。

西陣の有名な路地



一条戻り橋の満開の河津桜



赤い壁は浄福寺通の富田屋さん



そして大宮通


このあたり

1日千両の取引がされたということで千両が辻と呼ばれています。

今日は雛祭りで、雛祭りイベントの予定でしたが、

今年は中止になりました。

以前のリンクを貼っておきますので、

ごらんください。

京都ではひちぎり(引千切)という雛祭りのお菓子があります。

お抹茶といただいたら、おいしかった。

(自転車にのっけたので、ちょっと形が崩れました。)