修学院離宮に行きました③
修学院離宮は1時間15分かけて、
宮内庁の方が案内してくださいます。
下離宮、中離宮、上離宮とやってきました。
創建当時のものといわれる窮邃亭きゅうすいてい
一段高くなったところから、天皇が景色を楽しまれたのでしょう。
窮邃と書かれた扁額は後水尾天皇の筆
千歳橋
屋根の上に鳳凰がいます。(ここには行けません。)
英国の皇太子ご夫妻はこの中島も歩いたそうです。
舟着き場
これは以前秋に行ったときの風景です。
委託された農家の方は今も米作をされています。
それも天日干し。
今は機械で全部やるから、わら束が手に入りにくいんですおね。
御殿では四季耕作図が描かれるくらいですから
どんなふうに実際米作りが行われているのか
御覧になったのでしょう。
申し込みはインターネット、はがき、宮内庁京都事務所で
受け付けています。
当日受付もありますが、観光シーズンは並ぶようです。
私はいつも宮内庁京都事務所で直接申し込みます。
そのほうが空いている日時をその場で教えてもらえるからです。
空きがあれば前日まで受け付けてもらえます。
紅葉の時期は3か月前にはがきで申し込みました。
参観者全員の住所と年齢が必要です。
寛永文化の担い手 後水尾天皇の造営された離宮を
ぜひ訪れてみてください。
修学院離宮に行きました②
修学院離宮の中離宮からの続きです。
後水尾天皇の皇女光子内親王が過ごされた御殿
光子内親王は能筆だったようで、
泉涌寺、真如寺だったか光子内親王の書がありました。
鯉の杉戸絵は作者不詳ですが、
鯉が逃げ出さないように網を描きたしたのは
円山応挙と言われています。
釘隠し表裏とも鯉でした。
楽只軒らくしけん
土壁が見えていますが
後水尾天皇の病気平癒の護摩焚をしたため、
真っ黒だったのを最近きれいにしたそうです。
上離宮は下離宮より40メートルくらい標高差があります。
谷川をせきとめて浴龍池を作り、土手を石垣で止めて
いろんな種類の常緑で大刈込で覆っています。
左端の土手です。
あそこまであがります。
御成門
修学院離宮に行きました①
外国の方と修学院離宮に行く予定でしたが
来日がキャンセルになりました。
今は当日受付も新規受付もしていませんが
すでに予約のある人は参観できます。
代理人をたててもいいということでしたので
近所の方を誘い、修学院離宮に参りました。
修学院離宮は後水尾天皇が造営された山荘です。
上、中、下の三つの離宮(お茶屋)からなります。
おそらく多くの建物は失われていますが
下離宮の壽月観
壽月観と書かれた扁額は後水尾天皇のご直筆です。
岸駒がんくの虎渓三笑
ここから見ると比叡山がすぐです。
松並木が続く馬車道
農家に依頼して
畑田が今も維持されています。
馬車道の土手にはつくしがいっぱい!
花はすくなめでしたが、梅の花も咲いています。
客殿は後水尾天皇の皇后 東福門院が亡くなられた後
光子てるこ内親王のために女院御所から移築されたもの
光子内親王は後に落飾され、林丘寺とされました。
明治になり、尼門跡の林丘寺は維持が難しく





































