広隆寺
よく雨が降ります☔️
太秦散策の続きです。
ホントに駆け足で、天塚古墳、蚕の社、蛇塚、大酒神社、広隆寺まわって
2時間少々1万歩でした。
広隆寺です。
聖徳太子の右腕であった秦河勝が建立したお寺で
京都で一番古く、国宝第一号となった弥勒菩薩が祀られています。
いやその前に広隆寺東側にある大酒神社です。
もともと広隆寺の境内にあった鎮守社だったそうです。
ご祭神は諸説ありますが、駒札には
始皇帝、弓月王、秦酒公
と、あります。
秦氏は秦の始皇帝の末裔と言われています。
皇帝の十四世の孫が功満王で、その子が弓月王
弓月王は百済より一万八千人あまりをひきいて帰化
弓月王の孫が酒公だそうです。
井戸はからっぽで、無人の神社です。
那智の青岸渡寺もそうですが、
無理やり分けられましたって、社寺が少なからずあり、
ホントに明治の神仏分離令って何だったんだろう?って思います。
たまになんで?って、こんな失敗写真撮ります。
広隆寺仁王門です。
ホントは門を撮ったつもりでした。
前には嵐電が通っていて、広隆寺で降りると目の前。
仁王さんです。
地蔵堂
腹帯地蔵が祀られています。
結構大きくて、とてもかわいらしいお顔のお地蔵さまでした。
広隆寺本堂にあたる上宮王院太子殿です。
こちらには聖徳太子が祀られています。
去年天皇陛下が即位式で着られた黄色い衣装を覚えておられますか?
黄櫨染御袍こうろぜんごほうと言い、天皇だけが許されたその衣装を
聖徳太子の木像に着せる習わしが平安時代より続いています。
縁日の11月22日に御開帳されます。
全然人がいませんね~
前来たときは人が多くて、韓国の学生も多くて
「ドクトはわが領土」って横断幕広げて写真撮っていました。
弥勒菩薩以外にも素晴らしい仏像があり、
仏像好きにはお勧めのお寺ですし、穴場だと思います。
私自身も長く間があいたので、また訪れたいと思います。
御開帳のときの記事をリブログします。
蚕の社
太秦にある蚕の社です。
正式には木島坐天照御魂神社このしまにますあまてるみたまじんじゃ
式内社で主祭神は天御中主神他
要するにとっても古い神社です。
このあたりは秦氏の繁栄した土地なので、
秦氏ともゆかりが深く、養蚕の神様としても知られ
本殿の東には蚕養こかい神社があることから蚕の社と呼ばれています。
秦氏は土木、養蚕、機織りの技術を伝えたと言われ
朝廷に献上した絹がうずたかく積まれたことから
このあたりは太秦と呼ばれるそうです。(諸説あり。)
蚕の社といえば、三柱鳥居が有名です。
レプリカが何か所にありますね。
柱の形は八角形になっています。
それぞれの辺が松尾大社、稲荷山、双ヶ岡を向いているとか
松尾大社もお稲荷さんも秦氏ゆかりの神社ですね。
双ヶ岡にも古墳がありますね。
またここは
嵯峨天皇の時代に下鴨神社の森が糺の森となったことから
元糺ともいわれ、足つけ神事が下鴨と同じ土用の丑の日におこなわれます。
秦氏と賀茂氏のつながり、
また秦氏ユダヤ人説まであり、ミステリアスですね。
ミステリアスといえば、広隆寺の近くにはこんな井戸もあります。
読めますか?
井戸にいさら井
と、刻まれています。
いさらい、いさらい、いすらえる、イスラエル?
国語辞典的には水の少ない井戸のことをいさらいというようですが、
場所が太秦だけに、イスラエルって解釈してしまう人も
いるようです。
以前 蚕の社の足つけ神事に行ったときの記事です。↓
天塚古墳から分霊されたお稲荷さんのことも書いています。
天塚古墳
白清稲荷大明神と書かれています。
明治20年に京都大学が調査し、銅鏡、鉄剣、須恵器など
400点の副葬品が出土しました。
副葬品から身分の高さが感じられ
こちらもおそらく秦氏の一族の墓だと推定されています。
こちらが石室ですが、中にはお稲荷さんがお祀りされています。
風穴に入ったときのように涼しく、天井は結露していました。























