烏丸ママのブログ -412ページ目

金剛峯寺

竹内結子さん、、、ショックです。
好きな女優さんの一人でした。
一番印象に残っているのが、彼女が19歳かな、
ウルルン滞在記です。
確かスイスの酪農家のおうちにホームステイするのだけど、
結子さんがかわいすぎて、会ったとたん
そこの坊ちゃんが鼻血を出しました。
「こんなかわいい子が来るなんて。。。」
屠殺するところは男だけと言われているのに
見たいと言って、泣きじゃくって出てきたのも印象的でした。
その後彼女は朝ドラのヒロインになり、
ホームステイ先を再訪
ホストマザーに
「あなた女優だなんて、ちゃんと食べて行けているの?」
と、心配されていました。
(記憶違いのところもあるかもしれません。)
 
笑顔にだまされてはいけませんね。
今日ママ友さんと話していて、
そこの息子さんは小学生の時から知っていますが、
とても笑顔のかわいいこどもさんでした。
しかし、
「心が弱いから、いつも自分を隠すために
にこにこしているのよ。。。」
と、おかあさんは言うんです。
俳優さんたちも仮面をかぶって仕事をしているんでしょうね。
 
高野山金剛峰寺です。
この名前は弘法大師がつけられたもので高野山全体の総称でした。
お寺自体は豊臣秀吉がお母さんの菩提のために建立。
(秀吉さんって、どんだけおかあさんが好きだったのでしょうね。
多賀大社や伏見稲荷にはお母さんの病気平癒の祈願をして寄進
大徳寺には天瑞寺という菩提寺を建立。ほかにもあるかもしれません。)
現在の建物は1863年に再建されました。
正門は一番古い建物で、1593年のもの。
昔は皇族や高野山の重職の方々しかくぐれませんでした。
人が写り込んでいいるので、上だけ。。。

間口が大変長い主殿

屋根にははしごがかけてあり、桶が載っています。

雨水をためるので、天水桶というそうで

火事のときに類焼をとめる仕組みです。

(全然水が足りない気がするので、おまじないみたいなもの?)

大玄関

 

この上の龍の彫り物が迫力あります。

 

軒下にも虎が彫られています。

 

象と獏の見分けがつかないのですけれど。。。

 

こちらが日本一。。。ということは世界一広い枯山水

蟠龍庭

蟠龍はとぐろを巻いて、これから空に舞い上がる龍のことです。

 

弘法大師入定(亡くなったとは言わない)1150年の遠忌に

作られた庭で

ご出身の四国の石と京都の白川砂が使われています。

 

大広間には狩野元信の絵があるらしいのですが、

行事をされているのか見られず、

狩野探幽の梅月流水図は見ることができました。

その他は豊臣秀次が自刃した柳鷺図のある柳の間は

見ることができました。

襖は江戸時代のものですので、

秀次の切腹時にはなかったものですね。

というか、建物自体が再建されているから、違いますね。

 

お台所です。

今でも使えそうです。

 

床に火をくべるところが埋め込まれていると思ったら

背面の板をはずして、降りるようになっています。

 

二石釜というからには、約300キロのお米が炊けます。

ねずみが入れない棚

 

 

この後よもや人命救助?することになろうとは思いませんでした。

詳細を書こうとしましたが、ちょっと非難めいたことも

書かねばならず、やっぱりやめました。

救急搬送された方は翌朝には退院されたそうでよかったです。

 

朝、道を歩いていたら、僧侶とすれちがいましたので、

見知らぬ人だし、ご挨拶しようかどうか迷っていると

あちらからご挨拶してくださいました。

短いながらも盛りだくさんの高野山でした。

高野山から玉置神社に向かいます。

 

 

秋らしい風景

バタバタして、高野山の続きはパス!
23日に通りすがりの萩の寺 常光寺
今のブログカバーと同じアングル

信長公廟所 阿弥陀寺のお地蔵さん
後ろの紅葉の上のほうが色づき始めました。


高野山 壇上伽藍

空海さんの中心は奥の院でしたが、
お寺の中心は壇上伽藍です。
申し遅れましたが、お寺の名前は金剛峯寺といいます。
明治2年までは青厳寺と言ったようです。
壇上伽藍は天保14年の大火により、西塔をのぞいて焼失。
開創1200年(2016年?最近だ。)を機に中門が再建されました。

大門は仁王さんでしたが、四天王が守っています。

持国天と多聞天は焼失を免れ、改修されたものです。

新調された広目天と増長天は京都の仏師 松本明慶さんの作だそうです。

広目天と多聞天は東大寺でよく見るから、見分けがつくけれど

増長天と持国天の違いがよくわかりません。

戟を持つのが増長天だそうです。

 

筆を持つ広目天

 

宝塔を持つ多聞天

 

刀を持つ持国天

 

中門の前には金堂(本堂)があるのですが、

その肝心かなめの本堂を撮っていません。

御本尊は薬師如来です。

 

 

六角輪蔵

ここの輪蔵は回せたので楽しかった。

(回すとお経を読んだことになります。)

 

三鈷の松

空海さんが唐から帰国されるとき

真言密教を広めるにふさわしい場所はどこかと

明州の浜より、仏具の三鈷杵を投げると

ひっかかったのがこの松だと言われています。

おそらくその子孫ですね。。。

三鈷と同じく三つ葉の松だそうです。

 

こちらが焼け残った西塔

金剛界を表しています。

のぞくと仏様が祀られているのが見えました。

大日如来と四仏で、立体曼荼羅になっています。

たしか東寺の五重塔もそうでしたね?

柱に描かれた十六菩薩は堂本印象の筆によるもの。

 

木立の向こう左手に孔雀堂、准胝堂

そして赤いお堂が根本大塔

本尊が大日如来、その周りに四仏

そして十六菩薩

真言密教の八祖が描かれ

やはり立体曼荼羅になっています。

こちらも堂本印象の筆によるものです。

 

西行桜。。。かなり葉っぱの小さい桜です。

西行は30年余りも高野山に住んでいたんですね。びっくり。

 

御影堂

東寺の御影堂とそっくりです。

ブログを書きながら復習しています。
この壇上伽藍には山王院という神社があり
丹生明神と高野明神が祀られています。
神仏習合をすすめたのはどうも空海らしいです。
画像なし。
たくさんお堂があって、撮っていないものがあります。
 
田中ひろみさんの高野山の本を読んだり、
講習も受けたことあるんだけれども
全然覚えていない自分にびっくりですわ。。。
レジメを見ても、まったくわからない。
五大、四曼、三密って?
もっと復習します。
 
田中ひろみさんの本はお勧めです。
 

 

高野山 天徳院

高野山には117の寺があり、そのうち52ケ寺が宿坊を持ちます。
1週間前に予約しようとしたら、
予約サイトはほぼ予約不可になっていました。
JTBのサイトで3ケ寺だけが予約可能でした。
その中で予約したのは天徳院
加賀 前田利常公の正室で、徳川秀忠と江の次女珠姫の菩提寺です。
「拝観していません」の札があり
なんとなく入ってはいけない雰囲気でしたが、
玄関に尋ねると、ここが宿の入口でした♪

きれい♪

 

お部屋からの眺め

(ただトイレや洗面所は共用です。)

 

こちらの夕焼けはこの宿の景色でした。

障子の向こうが真っ赤なので、空を見るとこんな色をしていました。

 

実はここのお庭は高野山内で唯一名勝(重要文化財)で

小堀遠州の作と伝わります。

重森三玲の庭が高野山内にたくさんあるのですが、

どこもその庭のある宿坊は満室。

いや小堀遠州の方がいいやん!

って、こちらの宿を選びました。

わかりやすく鶴島亀島があり、

 

これが滝石かな?

手前のが鯉魚石?

と、楽しみました。

 

最初正面がわからないで、横から撮ってました。

 
精進料理?
と、不服そうだった息子も
実際出てきたお料理を見て満足していました。
以前テレビで精進料理の特集がありましたが、
僧堂に入った若い雲水さんたちが
「僧堂に入ってから、アレルギーがマシになった」
と、おっしゃっていました。
食物繊維の多い、野菜中心のお料理は体にやさしいんですね。
 
高野山の宿坊が外国人に人気の理由は精進料理にもあります。
最近ベジタリアンが多いですから。
さらにその精進料理をお坊さんが給仕してくれるのです。
そして朝は勤行に参加できます。
京都を旅する外国人によく言われるのは
「お寺に行ってもお坊さんに会えない。」
確かに京都で観光寺に行って会うことは稀ですね。
やっぱり高野山なんだ。

 

高野山奥の院

蓮華の形をした山々に囲まれた盆地に
816年空海が開いた高野山
大阪から南海電車に乗っていくのがスタンダードですが
家族で行くので車で参りました。

私の母方の祖父母のお骨が高野山には納められています。

なにせ50年前のことですから、記憶はおぼろげ。

ですが、息子たちを連れてお参りしたいと思っていました。

高野山のような場所は他にありませんし、

私が小学生のころ

関西の子供たちの林間学校といえば、高野山でした。

修学旅行はお伊勢さん。林間学校は高野山。

いつの間に変わったのでしょう?

 

その入口にあたる大門です。
ブラタモリもここから始まっていましたね。
山火事や落雷で焼失し、1705年の再建です。
門には「お大師さんは毎日奥の院御廟から姿を現され、
様々なところをめぐっては、私たちをお救いくださる」
「うれしいとき、苦しいとき、悲しいときなど
常に私たちに寄り添ってくださる」と、門札に書かれています。
 

 

大門のところで曲がると高野山の街を通りますが、

奥の院には直進とありましたので、

町中を通らず直進すると、中の橋駐車場に出ました。

高野山は壇上伽藍と、奥の院の二つに分かれますが、

まず空海さんのいらっしゃる奥の院を先にお参りしました。

 

一の橋から中の橋までは通らずです。

その間に武田信玄とか、明智光秀のお墓があるのですが。。

中の橋からの入口


中の橋から行くと、まず企業のお墓があります。

このロケットは新明和工業のお墓

(従業員の忠魂碑という感じですね。)

ヤクルトのお墓にはヤクルトの容器があり

墓石の見本市のような場所です。

 

 

 

うっすらと紅葉が始まっていました。

英霊殿は個人の方の寄付によるもののようです。

参道に曲がると空気が変わります。

大きな杉やヒノキの木立

image

 

途中大黒様がお祀りされていたり

前田家や安芸浅野家の墓所もありました。

弘法大師の御廟のある区域は撮影禁止です。

拝殿にあたる場所をお参りし、

建物の後ろに本殿のような弘法大師の御廟をお参りしました。

その名の通り、海のような包容力のある空気が伝わってきました。

お寺ではまだ弘法大師はこの世にとどまり

深い禅定に入られていると考え、毎朝6時と10時半に

お食事が運ばれています。

 

一番空海さんに近いところに宮内庁管轄の

霊元天皇の供養塔があり

そのあと豊臣家のお墓をお参りしました。

皆さん空海さんのそばで眠りたいと思われるのですね。

秀吉公が実際に埋葬されているのは、京都の東山阿弥陀峯ですが。。。

全部で20万基のお墓や供養塔などがあるそうです。
 
記事を投稿して、確認したら
21日にも同じような記事を上げていました。
それも大門を奥の院と。。。
ボケボケですね。
21日のタイトルを「大門」に訂正しました。