高野山奥の院 | 烏丸ママのブログ

高野山奥の院

蓮華の形をした山々に囲まれた盆地に
816年空海が開いた高野山
大阪から南海電車に乗っていくのがスタンダードですが
家族で行くので車で参りました。

私の母方の祖父母のお骨が高野山には納められています。

なにせ50年前のことですから、記憶はおぼろげ。

ですが、息子たちを連れてお参りしたいと思っていました。

高野山のような場所は他にありませんし、

私が小学生のころ

関西の子供たちの林間学校といえば、高野山でした。

修学旅行はお伊勢さん。林間学校は高野山。

いつの間に変わったのでしょう?

 

その入口にあたる大門です。
ブラタモリもここから始まっていましたね。
山火事や落雷で焼失し、1705年の再建です。
門には「お大師さんは毎日奥の院御廟から姿を現され、
様々なところをめぐっては、私たちをお救いくださる」
「うれしいとき、苦しいとき、悲しいときなど
常に私たちに寄り添ってくださる」と、門札に書かれています。
 

 

大門のところで曲がると高野山の街を通りますが、

奥の院には直進とありましたので、

町中を通らず直進すると、中の橋駐車場に出ました。

高野山は壇上伽藍と、奥の院の二つに分かれますが、

まず空海さんのいらっしゃる奥の院を先にお参りしました。

 

一の橋から中の橋までは通らずです。

その間に武田信玄とか、明智光秀のお墓があるのですが。。

中の橋からの入口


中の橋から行くと、まず企業のお墓があります。

このロケットは新明和工業のお墓

(従業員の忠魂碑という感じですね。)

ヤクルトのお墓にはヤクルトの容器があり

墓石の見本市のような場所です。

 

 

 

うっすらと紅葉が始まっていました。

英霊殿は個人の方の寄付によるもののようです。

参道に曲がると空気が変わります。

大きな杉やヒノキの木立

image

 

途中大黒様がお祀りされていたり

前田家や安芸浅野家の墓所もありました。

弘法大師の御廟のある区域は撮影禁止です。

拝殿にあたる場所をお参りし、

建物の後ろに本殿のような弘法大師の御廟をお参りしました。

その名の通り、海のような包容力のある空気が伝わってきました。

お寺ではまだ弘法大師はこの世にとどまり

深い禅定に入られていると考え、毎朝6時と10時半に

お食事が運ばれています。

 

一番空海さんに近いところに宮内庁管轄の

霊元天皇の供養塔があり

そのあと豊臣家のお墓をお参りしました。

皆さん空海さんのそばで眠りたいと思われるのですね。

秀吉公が実際に埋葬されているのは、京都の東山阿弥陀峯ですが。。。

全部で20万基のお墓や供養塔などがあるそうです。
 
記事を投稿して、確認したら
21日にも同じような記事を上げていました。
それも大門を奥の院と。。。
ボケボケですね。
21日のタイトルを「大門」に訂正しました。