烏丸ママのブログ -406ページ目

耳塚

ヨーロッパでまたロックダウンが始まっていますね。
日本にも飛び火しませんよう…

京都国立博物館の帰り、
豊国神社をお参りし、方広寺の鐘を見ました。
何やら近くで人だかりがしていますよ。。。
耳塚公園。。。
名前聞くだけでなんかこわい。。。
そこで子供たちが遊ぶのね。

耳塚は今まで目を背けていました。。。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、

国内なら首なのですが、異国の地なので

敵の鼻とか耳を塩漬けにして持ち帰ったそうです。。。

秀吉公の命によりそれをこの地に埋めました。

五輪塔もそのころに建てられたようです。

ちょうどこのときは献花式がおこなわれていて

朝鮮半島の式服を着た方もいらっしゃいました。

 

なので、少しアングルが変です。

まわりにはたくさんの人が集まっていました。

文禄の役では小西行長などが偽装してまで
講和を目指しました。
側近たちは明と講和を結びましたが、
実は秀吉はその内容を知らず、第二次の兵を送ろうとしていました。
学校ではその辺のことは全然習いませんが
側近たちは早く撤退したかったんですね。



 

”色づいてきました。”

いつも定点観測?をしている信長公御廟 阿弥陀寺のお地蔵さん
色づいてきました。

アメーバさんから上がってきた記事
5年前の今頃
清水寺の駐車場はバスが溢れていたようです。
うそみたい
というより、今年がうそみたい。


京博の帰りに立ち寄ったところ

京都国立博物館の西側から出ると、
すぐ北側に豊国神社があります。
豊臣秀吉公をお祀りした神社です。
豊臣家滅亡後破却されましたが、
明治になると、明治天皇の勅命により再興されました。
この本殿の東の延長線上には阿弥陀ケ峰があり、そこに遺骸が埋葬されています。

手水舎に行くとひょうたんから水が出るようになっていました。

 

そのすぐ隣が方広寺です。

というか、豊国神社があるところに大仏殿があったそうです。

昔は境内が広く、国立博物館から三十三間堂のあたりまでが

境内だったようです。

有名な方広寺の梵鐘

「君臣豊楽」「国家安康」という銘が徳川家康を冒涜していると

いちゃもんをつけられ、豊臣家滅亡につながったと言われています。

その部分はわかりやすく白で囲まれています。

明治になるまでこの梵鐘はあまざらしになっていて

鐘楼は明治に建てられたそうです。

 

美しい天井画で迦陵頻伽が描かれています。

 

大変りっぱな石垣で、大仏殿石垣という碑が立っています。

この前の東西の道が正面通りで
大仏の正面の通りということだそうです。
あれ、向こうのほうに何か人がきがありますよ。。。

 

皇室の名宝

京都国立博物館です。
京阪の七条駅から東に向かって歩きます。
今まで気づかなかったけれど、だらだら上り坂になっているんだな。。。
と、思っていたら、そこを車いすの女性が上がっていくのが見えました。
電動でなく、手動の車いすを自分で上がっていきます。
たいへんだろうなあ。。。
そこを向こうから女学生たちが広がって歩いてきます。
誰も何も思わないのかなあ。。。
車椅子に追いついたので、押しましょうと、声をかけました。
行先は同じ博物館で、ほんの10メートルくらいだったかもしれません。
「もう限界だったわ~」
と、おっしゃいました。
観覧も混んでいたら車いすの人は見えにくいだろうから、
老人とか障がいのある人の時間を設けたらいいのになと
前から思っています。
 
天皇ご即位を記念して、宮内庁三ノ丸尚蔵館の収蔵品が
京都で初めてまとめて展示されています。

ホントに名宝ぞろいです。

教科書に載っている蒙古襲来絵巻とか

春日権現絵巻

絵巻は画と違って巻かれてしまってあるせいか

色が大変きれいです。

たぶんこれが原寸くらいですから、

着物の模様とかすごく細かくて、面白かったです。

春日権現なので、鹿さんも描かれていました。

円山応挙の孔雀も圧倒されるほどの美しさでした。

この孔雀と下の若冲の絵葉書を買いましたが、

もう全然色が違います。

おそらく岩絵の具は宝石が使われているんでしょうね。

キラキラでした。

 

若冲の動植綵絵より雪中鴛鴦図

このボタ雪の質感は印刷では伝わりません。

今ならエアブラシを使うところです。

 

動植綵絵は相国寺から献上されたもので、

何年か前に相国寺で複製品が展示されました。

本物を一挙展示してもらいたいものです。

 

 

入口は南側ですが、

帰りは東側から出られます。

旧館は閉じられたままで、どうするのかな。。。

 

考える人の横に人がいるので、噴水の水で隠しています。

 

東側にPINEさんというカフェがありましたが、

「15年間ありがとうございました」

と、書いてあり、閉店されていました。

15年続いていたのに、コロナには勝てなかったのか?

観覧客の多い展示はまわりのお店にも人を呼ぶのですけれど。。。

館内のレストランは席数を制限しているせいもあり、

行列ができていました。

後期だけのものもたくさん展示されるので、

後期も行きたくなりました。

リピーター割引とかないのかしら。

 

大徳寺 龍源院

大徳寺は北派と南派に分かれますが、
南派の中心 龍源院です。
能登の畠山氏と九州の大友義永によって創建されました。

滹沱底(こだてい)

書院の阿吽の庭は聚楽第の遺構という凹凸

の石が使われています。

凹の石は手水鉢のようになっています。

 

凸の石

 

秀吉と家康が対局したと言われる碁盤(重要美術品)

 

最古の種子島銃 確か盗難にあったことがあると記憶しています。

 

南側の庭 一枝坦

昭和の庭だそうで、和尚様が2か月に一度

線を引かれるそうです。

蓬莱山形式の庭

手前が亀島 真ん中が蓬莱山 右端が鶴島

 

実は一番古いのはこの北庭 竜吟庭

室町時代の庭で、三尊石からなる須弥山形式の庭で

相阿弥の作と伝わります。

 

日本一小さい石庭 東滴壺

image

1960年重森三玲の弟子 鍋島岳生の作だそうです。

これくらいの庭なら家に作られるかな??
 
浜松の庭には青石、赤石放置されたままで、
息子たちにあの石邪魔!と言われています。
ま、私の好きにできないから、しばらく放置だな。。。
 
京都のある庭師曰く
今お庭を造る人っていうのがいなくて、
もっぱらお手入れ専門だとか。
この間聞いた話でも
有名な七代目小川治兵衛も普通の庭師をしていたそうですが
ご近所の並河康之の家の庭を造ったのを皮切りに
作庭するようになったそうです。
 
あれ?同じような話を最近聞きました。
世界的に有名な英国のチェルシーフラワーショーで
賞を総なめにした石原和幸さん
花屋をしていて、仕事がないときにお客さんから
庭づくりを頼まれたそうです。
それきっかけに庭を作るようになり、
今のような地位を築かれたのです。
 
私も庭を造りたいな。
作れるかどうかは疑問ですが。。。