
いつのまにか達磨づくしの勝尾寺
西国33所23番札所勝尾寺です。
2024年2月に訪問しましたが、アップしていなかったみたい。
子どもの時からよく訪れた勝尾寺は箕面市にあり、
来客があると、父が車で箕面の滝と勝尾寺を案内していました。
中学の遠足も箕面の滝から勝尾寺まで歩きました。
幼いころからなじみのあるお寺ですが、何十年もごぶさたで
西国三十三所観音霊場の御朱印をいただくために参りました。
そのころとすっかり変わった姿にビックリ。
昔は入山料をとられなかった。
奈良時代の創建で、山岳信仰の寺としても知られ、
清和天皇の病気平癒の祈祷が行われると、
「勝王寺」の寺号を賜りました。
王の字を使うのははばかられて、尾の字を使いますが
かつおうじと発音します。
境内はとても整備され
勝運の寺として知られます。
境内はいたるところに達磨が置かれています。
いつからなんでしょうね?
昔はダルマさんいなかったです。
インスタ映えするとかで、
バスしかないのに、海外からの観光客がたくさんいました。
長い歴史の中でたびたび焼失しますが、
源頼朝や豊臣秀吉の命により復興されたそうです。
すっかり観光寺になってお土産物コーナーもあり
ちょっとびっくりの久々の参拝でした。
京都の清荒神
北摂地域に住んでいると、清荒神といえば
宝塚にある清荒神 清澄寺です。
お正月になれば、あのあたりでは一番の賑わいかと思います。
富岡鉄斎の美術館があったりします。
しかし京都で清荒神といえばこちら
護浄院
ブロ友さんがあげておられて、
法務局の帰りに立ち寄りました。
「摂津国勝尾山から移した」と洛陽三十三所のページにあるのですが、
勝尾寺のことか?
地元なので遠足の定番 箕面。
過去記事探したが出てこなくて、
行った時にブログにしていなかったようです。
ダルマがインスタ映えするとかで、こんな山の中まで、インバウンドがたくさん来ていました。
摂津の清荒神は山号が蓬莱山で、どこから移ったのか?なんとなく説明に疑問が残りました。
京都の護浄院に話は戻ります。
御所に隣接しており、浄域を護るので護浄院と名付けられたそうです。
鳥居もありますし、お堂の造りも神様に近いです。
御酒がたくさんお供えされています。
コーヒータイム@フランジパニ
昼抜きでお腹すいたけれど、
3時くらいに食べてしまうと中途半端なので、
フランジパニさんでコーヒータイム
古民家を改装した落ち着く空間です。
(団体はご遠慮ください。)
苦味の強い珈琲と手作りケーキをいただきました。
市松に障子が貼ってあるのがおしゃれ
(ただ寒いそうです。)
実はここは元近衛家別邸 御花畑御屋敷で小松帯刀寓居跡です。
今の烏丸通は相国寺につきあたって、終わっているので、
かなり広いお屋敷だったそうです。
現在でこそ鞍馬口通りは京都市内の中心に位置しますが
徳川時代には「是より洛中、荷馬口付のもの乗るべからず」
と、刻んだ標石が建てられており、京都の北端とされました。
この場所に摂家の一つ近衛別邸(御花畑御屋敷)が営まれ
幕末には薩摩島津家が使用していました。
島津家家老小松帯刀の寓居として知られますが、同家当主茂久の
同母弟(国父久光の四男)珍彦の上洛のおりにも使われました。
広大な屋敷で南北約55m 東西は最大140mもあり
、現在の烏丸通の東にも広がっていました。
あとはクリック拡大して読んでね。
春桃会@三十三間堂
毎年3月3日の春桃会もものほうえで
三十三間堂が無料公開されます。
なんでなん?
て、友人につぶやいたら
「33サンサンやし?」
と言いましたが、本当にそう書いてありました。
観音様が衆生を救うために三十三変化することにちなみます。
ということで、三十三間堂に参りました。
楊も芽吹いてきました。
ちなみに楊のお加持が
1月の通矢の時に行われます。
木造建築としては国内で1番長いと言ってきましたが、
先日放映された「ブラタモリ」では
「2番目」になっていました。
ちなみに1番は大屋根リングでした。
万博終わって一部保存になったら、どっちが長いのかな。
北側が普段の拝観入り口ですが、
お堂自体は東が正面。
正面が三色の幕で飾られています。
お稲荷さんがあって、しだれ梅が咲いていました。
お寺のお社ってちゃんとお祀りされているのかな?
今度は西側に来ました。
河津桜が咲いています。
これは何桜?
帰りにお茶でも飲もうかと北上しました。
お数珠屋さんとか、刃物屋さんがありました。
目当ての店はいっぱいだったので、
甘春堂に入りました。
正面通りで大仏餅も売ってます。
ひな祭りということで、ひな祭りの上生菓子でした!



































