和歌山城でした②
平山城の和歌山城。
虎伏山の上にあり、侮っていたら、結構上りました。
大天守と小天守があり、まわりが多門や櫓でつながり、
美しい姿です。
紀伊の青石(緑泥片岩)が見えています。
天守に上がると紀ノ川の河口が見えました。
ちなみに右手の茶色いホテルが泊まったホテル
これが埋門だそうです。
これも青石がたくさん使われています。
空襲で門は焼けましたが、石組が残っています。
案内板より
城の下方の石垣などをあけて門にしたものを
埋門といいます。
埋門は御台所から水の手に通じる門として作られたと考えられます。
水の手には黄金水と呼ばれる井戸があります。城が攻められ、
籠城になると、水の確保が貴重となり、天守から近い井戸が
黄金水と名付けられています。大阪城や名古屋城でも同様です。
本丸御殿跡の展望台から。。。
本当は天守のビューポイントですが、
逆光でまっくろ。
本丸御殿は手狭でつかわれなくなったようです。
ホテルの窓から
夕暮れどき
夜
もうバタバタでした。
アメンバー記事を上げようとおもいますが、
ポンコツながらも、だんだん成長するという話です。
今のところアメンバーは募集していませんので、
ご了承ください。
和歌山城でした①
長男の引っ越しで和歌山です。
こちらの画像は紀伊徳川家の和歌山城天守二之門でした。
尾張徳川家は御三家筆頭であったにもかかわらず、
1人も将軍が出ていませんが、
紀伊徳川からは吉宗と、家茂の二人が将軍になりました。
(吉宗は家康の曾孫だったけれど、尾張の方は玄孫だったからだそうです。)
連立式天守の美しいお城ですが、
落雷により弘化3年(1846)落雷で焼失。
御三家ということで特別に許可され、4年後に再建されました。
(武家諸法度により統制されていたため、稀なケースでした。)
それも昭和20年の和歌山空襲で焼失。
今の天守は昭和33年鉄筋コンクリートで復元されました。
(ホテルの部屋から撮っています。)
大手門から入ります。
木橋です。木橋はすぐに非常時に落とされます。
石垣もいろいろな積み方で積まれています。
打ち込みはぎかな?
時代によって石垣の組み方も違い、友ヶ島の砂岩などが使われています。
さすが和歌山。
紀伊の青石は京都のお庭で珍重されていますが
石垣や敷石にそこらじゅうに使われています。
直立した石組みで重森三玲?
と、思いましたが、違いました!もっと古かったです。
七福の庭
紀州徳川家初代頼宣の時代に作った庭で、
加藤清正好みと伝えられます。(時代が合わないそうです。)
古くてよくわかりませんが、これも青石だそうです。
ここから見下ろすと動物園が見えました。
石がたくさんころがっていますね。
1枚目の桜の写真の門の正面がこちらです。
このへんの石垣は青石もつかわれています。
さくらのトンネルを抜けると天守の入口です。
天守が見えました!
姫路城ほどの規模はないけれど、
こちらも美しいですね。
























