和歌山城でした①
長男の引っ越しで和歌山です。
こちらの画像は紀伊徳川家の和歌山城天守二之門でした。
尾張徳川家は御三家筆頭であったにもかかわらず、
1人も将軍が出ていませんが、
紀伊徳川からは吉宗と、家茂の二人が将軍になりました。
(吉宗は家康の曾孫だったけれど、尾張の方は玄孫だったからだそうです。)
連立式天守の美しいお城ですが、
落雷により弘化3年(1846)落雷で焼失。
御三家ということで特別に許可され、4年後に再建されました。
(武家諸法度により統制されていたため、稀なケースでした。)
それも昭和20年の和歌山空襲で焼失。
今の天守は昭和33年鉄筋コンクリートで復元されました。
(ホテルの部屋から撮っています。)
大手門から入ります。
木橋です。木橋はすぐに非常時に落とされます。
石垣もいろいろな積み方で積まれています。
打ち込みはぎかな?
時代によって石垣の組み方も違い、友ヶ島の砂岩などが使われています。
さすが和歌山。
紀伊の青石は京都のお庭で珍重されていますが
石垣や敷石にそこらじゅうに使われています。
直立した石組みで重森三玲?
と、思いましたが、違いました!もっと古かったです。
七福の庭
紀州徳川家初代頼宣の時代に作った庭で、
加藤清正好みと伝えられます。(時代が合わないそうです。)
古くてよくわかりませんが、これも青石だそうです。
ここから見下ろすと動物園が見えました。
石がたくさんころがっていますね。
1枚目の桜の写真の門の正面がこちらです。
このへんの石垣は青石もつかわれています。
さくらのトンネルを抜けると天守の入口です。
天守が見えました!
姫路城ほどの規模はないけれど、
こちらも美しいですね。











