烏丸ママのブログ -171ページ目

天龍寺の節分

コロナ前に天龍寺の節分で、

節分茶会に出席し、七福神めぐりをしました。

それがコロナで行けなかったので

ずっと福笹を玄関に飾りっぱなしで気になっていたのでした。

天龍寺節分祭です。

 

やっと焼いてもらえました。

 

甘酒と日本酒の接待があり、甘酒をいただきました。

そして豆まき

 

人が多い割に遠くに投げてくれません。

月橋渡くん(キャラ)は三宝をひっくり返すだけ。

投げられないんでしょうね?

渡月橋背負ってるし。

それでも取れた前の人が次々と離脱されて、

一つもらえました。すばらしいマナー

 

福笹を買うとまたこなくちゃいけないので

今年は買わずにお参りだけしました。

 

境内塔頭 松厳寺 福禄寿

 

慈済院 弁財天

 

御堂の天井撮ってもいいですか?

と、尋ねると、いいよとのことでした

 

弘源寺 毘沙門天

 

三秀院 大黒天さん

池を挟んで反対側にある塔頭は回らず離脱。。。

福笹をいただくと、ここでも福引があって、

以前知り合いは自転車が当たり、乗って帰ったらしいwww

吉田神社

壬生寺から吉田神社まで

節分の時は臨時バスが出ているということでしたが、

1日3本しかない?!

しかし普通にバス停に行くと、

来たバスが壬生寺から百万遍を通るバス。

これは私に吉田神社に行けということやな?

と、吉田神社に参りました。

吉田神社の露店を初めて見たとき、その数の多さにビックリしました。

露店の両側は京都大学のキャンパス

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吉田神社は貞観元年(859)藤原山蔭が春日大社を勧請し

平安京における藤原氏の氏神としたのが始まりだそうです。

吉田山に鎮座しますが、ここも数年前の台風で大きな被害を受けました。

 

ここの福引付きの福豆がすごくてですね、
車とか当たります。
今年はヤリスだそうです。

家族の数買いました。

あたったらどうしよう!?

荷物をたくさん運ぶ我が家にはヤリスは小さすぎるわ。

 

全国の神々を祀った大元宮。

普段は門の外からしかお参りできません。

 

だんだん晴れて、西日がまぶしかったです。

これで京都の裏鬼門と鬼門をお参りできました。

時間が中途半端で壬生狂言も追儺式も見れなかったのが

ちょっと残念でした。

来年はちょっと、スケジュール調整してみようっと。

壬生寺の節分護摩祈祷

壬生寺の焙烙をこのところ毎年奉納しているので今年も行きました。

春の壬生狂言で割られ、厄落としになります。


今年は護摩祈祷に合わせて行きましたが

これが思っていた以上に煙がすごかった。

まず山伏問答。

修験道を始めたのは誰だ?

その身につけているゆいげさの意味は?

腰にかけたる綱は?

仏者にして獣の毛皮をなぜつけている?

などの問いに答えると

「間違いなく聖護院門跡の山伏だ」と、通してもらえます。

壬生寺は律宗ですが、聖護院(は元は天台宗で本山修験宗)の修験者が護摩を焚きます。

弓とかマサカリで清め?ます。

着火

いろんなお経や真言を唱えておられました。

生き物のように煙が渦を巻くんです。



信徒代表は作詞家の松本隆さん。

護摩木をくべる前、刀で切るような動作をされます。

手に刀があるのがわかりますか?


法螺貝で始まり、法螺貝で終わる。

いい上着を着て行かないようにと、アドバイスを受けました。

ナルホド。


大津事件

年が明けて早くも1か月。

能登地震からも一か月です。

地震の一種の興奮状態から、気分が落ち込む時期だそうです。

被災者の皆様、ご自愛ください。

 

おついたちでちょっと北野天満宮です。

思ったより早咲きの梅が咲いていました。

 

境内社がたくさんありますが、

こちらは社殿が朱塗り

 

こちらは素木。

何か違いがあるんでしょうか。

以前ここに腰を掛けていたアジア系旅行者がいて、

参拝に来たおじさんに一喝されていました。

 

さて大津に戻ります。

こういう本を読んでました。

 

学校では、さらっとしか学ばない大津事件ですが、

国家をゆるがす一大事で、面白かったです。

資料を読み解き、ほぼ史実を書かれています。

 

それで、せっかく大津に行くのならと、

事件現場を訪れてきました。

京都に通じることから京町通りと呼ばれているこの通り(左右=東西)

旧東海道です。

 

大津事件は、ロシアの皇太子ニコライ(後の皇帝)が

琵琶湖、三井寺、県庁を訪れて、京都に帰る途中

警備をしていた巡査の津田三蔵にサーベルで襲われた事件です。

ニコライ皇太子は人力車に乗っており、

後押しをしていた車夫が津田を押し倒し、

別の車夫がそのサーベルで津田を斬ります。

何もしなかった他の巡査は罷免され、

2人の車夫は日本政府から当時の年収にあたる報奨金と

それと同額の終身年金を与えられ、叙勲されます。

ロシアからも、国会議員の年収が千円の時代

二千五百円の報奨金と千円の年金が約束されます。

(後に1人は身を持ち崩し、1人は敵国から金をもらったと

村八分になるそうです。)

 

事の重大さに驚いた明治天皇は翌日ロシア皇太子の見舞いに行きます。

大国ロシアと戦争になるかもしれず、ならなかったとしても

莫大な賠償金を要求されるかもしれません。

幸い皇太子は十針を縫うけがで、大事には至りませんでしたが、

当初約束していた東京行きはキャンセルとなり、ロシアに帰国。

その27年後ニコライ皇帝はロシア革命で命を落とします。

その遺骨を巡って、DNA鑑定されるときに、

その時手当をした血の付いたハンカチも使われたそうです。

(これは新聞で読みました。)

 

興味深かったトリビア

①西郷隆盛が生きていて、ロシアの皇太子と一緒に来るというウワサが広がっていた。

②ニコライは日本の入れ墨の評判を聞き、長崎で入れ墨をした。

(維新後日本は非文明国だと思われないために入れ墨を禁止していた。)

③宿泊先は英国の王孫と同様、西本願寺に宿泊予定だったが

その年開業した常盤ホテル(現在の京都ホテルオークラ)に宿泊

④明治天皇がお見舞いに来たその部屋の畳を持ち帰った。

 

この本の後半は津田が捕まってからの話です。

皇室罪を適用して死刑にするべく圧力をかける政府と、

外国の王族には適用できないと

法律を守って死刑にしなかった司法とのやりとりです。

重傷の津田に手厚い医療を施すところが

京アニの犯人と重なりました。

津田は北海道に収監されて同年肺炎で亡くなります。

大津市歴史博物館は事件のハンカチやサーベルを保有しており

公開されているようです。

動機についても書かれていました。

https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/030207.html

 

備忘録におつきあいいただき、ありがとうございました。

旧大津公会堂

クイズですと言っていないにもかかわらず

たくさんのお答えありがとうございました😭

こちらの建物は

登録文化財の大津公会堂でした!

正解多数、おめでとうございます🎉


設計者は大津市土木課

としか書かれていませんでした。


高そうなレストランも入ってますが

あまりまわりに人がいない。


この地下にライブハウスがあり、

中学の同級生のライブがありました。

普段は東京で活動していますが、

広島、神戸、大阪、滋賀、名古屋とツアー中。

1番近いのが滋賀なので、

こちらに来たというわけでした!

ものすごいパワーです。

共演者もいつもすごい人たち。

一応ジャズなんだけれど、

型にとらわれない音楽は

どちらかというと、玄人好みで

邦画によく使われているそうです。


大津って近いのにあまり来たことがない。

今度は昼間に来ていろいろ回りたいと思いました。

JRから浜大津まで歩く間、いろいろありますが

暗かった〜

明治生命ビルは大津城跡らしい。




石垣を模してあるらしい。


そして第二の目的地ともいえるのがココ

続きます。