ニコライ遭難 (新潮文庫)
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年が明けて早くも1か月。
能登地震からも一か月です。
地震の一種の興奮状態から、気分が落ち込む時期だそうです。
被災者の皆様、ご自愛ください。
おついたちでちょっと北野天満宮です。
思ったより早咲きの梅が咲いていました。
境内社がたくさんありますが、
こちらは社殿が朱塗り
こちらは素木。
何か違いがあるんでしょうか。
以前ここに腰を掛けていたアジア系旅行者がいて、
参拝に来たおじさんに一喝されていました。
さて大津に戻ります。
こういう本を読んでました。
学校では、さらっとしか学ばない大津事件ですが、
国家をゆるがす一大事で、面白かったです。
資料を読み解き、ほぼ史実を書かれています。
それで、せっかく大津に行くのならと、
事件現場を訪れてきました。
京都に通じることから京町通りと呼ばれているこの通り(左右=東西)
旧東海道です。
大津事件は、ロシアの皇太子ニコライ(後の皇帝)が
琵琶湖、三井寺、県庁を訪れて、京都に帰る途中
警備をしていた巡査の津田三蔵にサーベルで襲われた事件です。
ニコライ皇太子は人力車に乗っており、
後押しをしていた車夫が津田を押し倒し、
別の車夫がそのサーベルで津田を斬ります。
何もしなかった他の巡査は罷免され、
2人の車夫は日本政府から当時の年収にあたる報奨金と
それと同額の終身年金を与えられ、叙勲されます。
ロシアからも、国会議員の年収が千円の時代
二千五百円の報奨金と千円の年金が約束されます。
(後に1人は身を持ち崩し、1人は敵国から金をもらったと
村八分になるそうです。)
事の重大さに驚いた明治天皇は翌日ロシア皇太子の見舞いに行きます。
大国ロシアと戦争になるかもしれず、ならなかったとしても
莫大な賠償金を要求されるかもしれません。
幸い皇太子は十針を縫うけがで、大事には至りませんでしたが、
当初約束していた東京行きはキャンセルとなり、ロシアに帰国。
その27年後ニコライ皇帝はロシア革命で命を落とします。
その遺骨を巡って、DNA鑑定されるときに、
その時手当をした血の付いたハンカチも使われたそうです。
(これは新聞で読みました。)
興味深かったトリビア
①西郷隆盛が生きていて、ロシアの皇太子と一緒に来るというウワサが広がっていた。
②ニコライは日本の入れ墨の評判を聞き、長崎で入れ墨をした。
(維新後日本は非文明国だと思われないために入れ墨を禁止していた。)
③宿泊先は英国の王孫と同様、西本願寺に宿泊予定だったが
その年開業した常盤ホテル(現在の京都ホテルオークラ)に宿泊
④明治天皇がお見舞いに来たその部屋の畳を持ち帰った。
この本の後半は津田が捕まってからの話です。
皇室罪を適用して死刑にするべく圧力をかける政府と、
外国の王族には適用できないと
法律を守って死刑にしなかった司法とのやりとりです。
重傷の津田に手厚い医療を施すところが
京アニの犯人と重なりました。
津田は北海道に収監されて同年肺炎で亡くなります。
大津市歴史博物館は事件のハンカチやサーベルを保有しており
公開されているようです。
動機についても書かれていました。
https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/030207.html
備忘録におつきあいいただき、ありがとうございました。