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初午の伏見稲荷でお山する②

初午の稲荷山を一周して、稲荷大神が降臨した三つの峯を回りました。

過去ブログ読み返したら、神職さんの話として

時計回りに回るのが正式と書いています。

 

こちらは薬力の滝。

今でも行者さんが滝行をされます。

そのときは立ち入り禁止になります。

滝の前に立つとちょっと空気が違います。

ちなみに2018年の初午は寒くて凍っていました。(こちら白滝さん)

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このお隣にはおせき大神があり、もともと関所があったみたいで

関から咳となり、咳止めにご利益があるそうです。

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ここから山科に通じる道があります。

石碑に

左 山科の里

大石良雄旧跡

とあります。

大石内蔵助が伏見の歓楽街?に通ったそうです。

 

ここが昨日の「今ここ」とアップした場所、

長者社です。

 

まぶしいです。

劔石という磐座がご神体として祀られています。

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雷が閉じ込められているということから雷石とも言われます。

雷が鳴る→雨が降る→豊作

ということらしいです。

 

手前に見えているのがおみくじ。

おみくじを引いて、掲示板にある該当の番号の文字を読みます。

奥にあるのが焼刃の水と呼ばれる井戸です。

刀匠 三条小鍛冶が参籠し、稲荷山の土を使い、

稲荷大神の力の助けで、名刀小狐丸を鍛えたという伝説があります。

この前のお茶屋さんの抹茶アイスがおいしいので小休止。

ちゃんとお抹茶の味がします。

 

こちらが稲荷山の頂上一の峯 233m。

末広大神。

行列していて、お塚をぐるっとまわり、後ろ詣で。

二の峯 青木大神(佐田彦大神) 撮るの忘れました。

三の峯白菊大神(宇迦之御魂神)です。

一般的に稲荷神社というと、宇迦之御魂神、佐田彦大神、大宮能売大神が祀られますが、

伏見稲荷ではさらに田中大神(下社の摂社)、四大神(中社の摂社)が加わります。

神職さんもわからないことが多いとおっしゃっていました。

 

撮りながら歩いたら、段差があり、こけそうになった。

所要時間1時間半で、一万歩歩きました。

56階分上がりました。

お疲れ様。

初午の伏見稲荷でお山する①

大ヒントを出したので、もうお分かりですね?

初午とは2月の最初の午の日で、

和銅4年(711)その日神様が稲荷山に降臨されたとされます。

三連休と重なったせいか、たくさんの人がお参りでした。

ご祈祷には行列ができていました。

やっぱりこの日は力に満ち溢れている感じがします。

お多福の顔が見えますが、このミニチュア版が

「しるしのみ杉」として授与されます。

平安時代から参詣のあかしとして、杉の小枝を身に着ける習慣があったそうです。

外拝殿いっぱいのお供え物。

 

社殿は椎と杉で飾られています。

 

 

室町時代まで社殿は神様の降臨された稲荷山の上にありました。

清少納言は「後から来て抜かしていく者がうらやましい」

と、書いています。☆

それら神蹟をめぐることを「お山する」と言います。

お天気もいいし、久々にお山してきました。

熊鷹社を経て

見晴らしのいい四辻まで来ました。

下の木々が切れるあたりに一の鳥居が見えています。

2018年の台風(関空の橋に船がぶつかった台風)で

稲荷山の木々も倒れ、このあたりの木々がなくなり

見晴らしがさらによくなったようです。

 

チャートです。

みんな岩に乗っているんですけど、

磐座ではないんですよね?

あまり乗ったことありません。

ここからお山めぐり1周30分とあります。

30分でまわったことありません。

もっとかかります。

時計回りでも反時計回りでもいいですが、

だいたい時計回りに行きます。

時計回りの方がが上りがきついように思いますが、

いつも御膳谷を先に参ります。

こちら眼力社のきつねさん。

一の鳥居の狐さんはこれを模したものだと思います。

 

御膳谷に来ました。

ここは一の峯、二の峯、三の峯の間にあり

神々に神饌をお供えしたところです。

今でも神職が当直し、朝御饌、夕御饌がお供えされます。

朝御饌は祈り、夕御饌は感謝だそうです。

こちらでもたくさんの人がご祈祷を受けていました。

毎年1月5日には大山祭が行われます。

 

 

 

☆「枕草子」原文、訳文コピペです。

稲荷(いなり)に思ひおこして詣でたるに、中の御社(みやしろ)のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見る者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月午の日(うまのひ)の暁に急ぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時(みのとき)ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちて、休み極ずる(ごうずる)に、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは、七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度はことにもあらず。まだ未(ひつじ)に下向(げこう)しぬべし」と、道に逢ひたる人にうち言ひて、下り行きしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやと、おぼえしか。

 訳文

稲荷神社に決心してお参りしたところ、中の御社のあたりでとても苦しいのを我慢して登っているのに、少しも苦しそうな感じもなく、後から遅れてやってきた人たちが、ただ抜かして行って先にお参りをするのは、とても凄いことだ。二月の午の日の明け方に、急いで出発したけれど、坂の半分ほどを登ったところで、もう10時くらいになってしまった。段々と暑くさえなってきて、本当に情けなくて、どうして、こんな日でなくてももっと良い日があっただろうにと、何をしにお参りに来たのだろうかとまで思って、涙もこぼれてきて、疲れきって休んでいると、四十歳を過ぎたくらいの女で、壺装束を着ておらず、ただ着物の裾をたくし上げただけの女が、「私は七度詣でをするんです。もう三度はお参りしました。後四度くらいは大したことではありません。二時頃には、もう家へと帰ります。」と、道で会った人に話して、坂を下りて行ったのは、普通の所では目にも留まらない女だが、この女の人の身に今すぐ成り代わりたいと思ってしまった。

今ここです。

初午です。


紫式部のお墓の前を通った

紫式部のお墓の前を通ったので、
撮ってみました。

2回お参りしたことがありますが

今日はしませんでした。

大河ドラマの影響か、何人か参拝されていました。

紫式部のお墓は、小野篁のお墓と並んでいます。

諸説ありですが、

当時としては、風紀を乱すような話を書いた紫式部が地獄に落ちるのを、篁なら救ってくれるだろうと思われたので、隣になったとも言われています。

この地域は紫野と言われ、

桓武天皇の時代から、「紫野で遊猟した」という記録もあるそうです。

今は大徳寺の境内ですが、紫式部が産湯に使ったという井戸もあります。


大河ドラマ見ていたら、

京都御所を思い出しました。

あー一緒だ〜って。(当たり前か)

登場人物が多くて、人物関係図見て整理しなくてはわかりません。

藤原公任(町田啓太)はイケメンだから覚えたわ。

黒木華ちゃんは、まんま平安のお姫様顔。

こちらは天皇のお住まい清涼殿。

寝殿造は丸い柱だけど、庇の間の柱は角柱なんですね。

今の京都御所の紫宸殿、清涼殿は光格天皇が

平安風にこだわって建てさせたもので、

(焼失したので、現在のものは再建)

実際のお住まいは御常御殿でした。


今日の大河ドラマは、漢詩の会にまひろ(紫式部)が父について行き、清少納言に出会うというエピソードでした。

道長役の柄本さん、自筆の字だったそうです。



清少納言も紫式部も男性の前に座ってました。

女房たちはいつも御簾の中にいるか、

扇で顔隠しているじゃないですか?

たくさん男性がいる中で、顔出ししていいんですか?

牛車は後ろから乗り

前から降りるそうです。


黒いのは正装ですね。

葵祭で近衛使とか、勅使はコレ。


こちらはカジュアルな狩衣。

今の神職さんも着ています。


京都駅の近くに井筒さんが運営されている風俗博物館があり、平安貴族の邸宅のミニチュアが拝見できます。

長らく閉館していましたが、今月から開館しているそうです。



今日のハリネズミ

三代目ハリネズミはとても臆病。

部屋に放すと今までのコは走り回っていましたが、

のそのそ、ビクビク。

あらカメさん!

このカメですが、ハリネズミ見て、噛みつこうとしてるんです。

口開けてるの、わかります?


ハリネズミは放置すると、

すぐに💩するんです。

じっとしてるなと思っていたら、

やはりやられてました💩

でも植木鉢のトレイの中だったので、

まだよかったです。