初午の伏見稲荷でお山する① | 烏丸ママのブログ

初午の伏見稲荷でお山する①

大ヒントを出したので、もうお分かりですね?

初午とは2月の最初の午の日で、

和銅4年(711)その日神様が稲荷山に降臨されたとされます。

三連休と重なったせいか、たくさんの人がお参りでした。

ご祈祷には行列ができていました。

やっぱりこの日は力に満ち溢れている感じがします。

お多福の顔が見えますが、このミニチュア版が

「しるしのみ杉」として授与されます。

平安時代から参詣のあかしとして、杉の小枝を身に着ける習慣があったそうです。

外拝殿いっぱいのお供え物。

 

社殿は椎と杉で飾られています。

 

 

室町時代まで社殿は神様の降臨された稲荷山の上にありました。

清少納言は「後から来て抜かしていく者がうらやましい」

と、書いています。☆

それら神蹟をめぐることを「お山する」と言います。

お天気もいいし、久々にお山してきました。

熊鷹社を経て

見晴らしのいい四辻まで来ました。

下の木々が切れるあたりに一の鳥居が見えています。

2018年の台風(関空の橋に船がぶつかった台風)で

稲荷山の木々も倒れ、このあたりの木々がなくなり

見晴らしがさらによくなったようです。

 

チャートです。

みんな岩に乗っているんですけど、

磐座ではないんですよね?

あまり乗ったことありません。

ここからお山めぐり1周30分とあります。

30分でまわったことありません。

もっとかかります。

時計回りでも反時計回りでもいいですが、

だいたい時計回りに行きます。

時計回りの方がが上りがきついように思いますが、

いつも御膳谷を先に参ります。

こちら眼力社のきつねさん。

一の鳥居の狐さんはこれを模したものだと思います。

 

御膳谷に来ました。

ここは一の峯、二の峯、三の峯の間にあり

神々に神饌をお供えしたところです。

今でも神職が当直し、朝御饌、夕御饌がお供えされます。

朝御饌は祈り、夕御饌は感謝だそうです。

こちらでもたくさんの人がご祈祷を受けていました。

毎年1月5日には大山祭が行われます。

 

 

 

☆「枕草子」原文、訳文コピペです。

稲荷(いなり)に思ひおこして詣でたるに、中の御社(みやしろ)のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見る者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月午の日(うまのひ)の暁に急ぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時(みのとき)ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちて、休み極ずる(ごうずる)に、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは、七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度はことにもあらず。まだ未(ひつじ)に下向(げこう)しぬべし」と、道に逢ひたる人にうち言ひて、下り行きしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやと、おぼえしか。

 訳文

稲荷神社に決心してお参りしたところ、中の御社のあたりでとても苦しいのを我慢して登っているのに、少しも苦しそうな感じもなく、後から遅れてやってきた人たちが、ただ抜かして行って先にお参りをするのは、とても凄いことだ。二月の午の日の明け方に、急いで出発したけれど、坂の半分ほどを登ったところで、もう10時くらいになってしまった。段々と暑くさえなってきて、本当に情けなくて、どうして、こんな日でなくてももっと良い日があっただろうにと、何をしにお参りに来たのだろうかとまで思って、涙もこぼれてきて、疲れきって休んでいると、四十歳を過ぎたくらいの女で、壺装束を着ておらず、ただ着物の裾をたくし上げただけの女が、「私は七度詣でをするんです。もう三度はお参りしました。後四度くらいは大したことではありません。二時頃には、もう家へと帰ります。」と、道で会った人に話して、坂を下りて行ったのは、普通の所では目にも留まらない女だが、この女の人の身に今すぐ成り代わりたいと思ってしまった。