大豊神社
霊鑑寺をあとにして、少し哲学の道を歩きました。
押しながらですが・・
桜と紅葉の時期はすごい人出です。
歩いていたら、
「狛ねずみ」
という案内が目にはいったのです。
うちの子供の大好きなネズミ
と思って、そちらに向かいました。
こちらが
大豊神社おおとよじんじゃ
参道です。
椿ケ峰の湧き水で
手と口を洗います。
主神をそっちのけで、狛鼠のいる大国社に・・・
うっ
かわいい
アップにしますと左が玉?
右側は巻物?
なぜネズミなのかというと
スサノオノミコトが放った火に囲まれ
逃げ場を失った大国主命に
ネズミがこう言います。
「中はほらあな、がらんどう」
そして、地中に逃げて助かります。
お隣のお稲荷さんは狛狐
後になって申し訳ありませんが、
本殿にお参りします。
ご祭神は応神天皇、少彦名命、菅原道真、アレ
珍しい組み合わせですね。
ここの末社には他にもかわいい動物がいっぱい
日吉社のお使い猿
魔去るといって、縁起がよいのです。
愛宕社のお使いってトビだったんですね。
京都では愛宕神社が火除けの神様として
信仰されています。
どの家も火廼要慎のお札を台所にはっています。
うちの町内では役員さんがとりまとめて、
いただきにお参りします。
でも、その道の険しいこと!
朝は狸一家がでます。
夜は猪一家がでます。
注意してくださいと、貼ってあります。
会ってみたいな
一家
ちょっとコワいな
一家
子供たちに
「見てみて!」と狛鼠を見せたのですけど
あまりリアクションがなくって
がっくし
押しながらですが・・桜と紅葉の時期はすごい人出です。
歩いていたら、
「狛ねずみ」
という案内が目にはいったのです。
うちの子供の大好きなネズミ

と思って、そちらに向かいました。
こちらが
大豊神社おおとよじんじゃ
参道です。
椿ケ峰の湧き水で
手と口を洗います。
主神をそっちのけで、狛鼠のいる大国社に・・・
うっ
かわいい
アップにしますと左が玉?
右側は巻物?
なぜネズミなのかというと
スサノオノミコトが放った火に囲まれ
逃げ場を失った大国主命に
ネズミがこう言います。
「中はほらあな、がらんどう」
そして、地中に逃げて助かります。
お隣のお稲荷さんは狛狐
後になって申し訳ありませんが、
本殿にお参りします。
ご祭神は応神天皇、少彦名命、菅原道真、アレ
珍しい組み合わせですね。
ここの末社には他にもかわいい動物がいっぱい
日吉社のお使い猿
魔去るといって、縁起がよいのです。
愛宕社のお使いってトビだったんですね。
京都では愛宕神社が火除けの神様として
信仰されています。
どの家も火廼要慎のお札を台所にはっています。
うちの町内では役員さんがとりまとめて、
いただきにお参りします。
でも、その道の険しいこと!
朝は狸一家がでます。
夜は猪一家がでます。
注意してくださいと、貼ってあります。
会ってみたいな
一家ちょっとコワいな
一家子供たちに
「見てみて!」と狛鼠を見せたのですけど
あまりリアクションがなくって
がっくし

霊鑑寺の秋
ブログネタ:紅葉楽しんでる?
参加中紅葉がピークの京都です。
キコキコとママチャリをこぐこと20分強

紅葉
を堪能してまいりました。それをご紹介したいと思います。
平日だというのに、哲学の道は人がいっぱい。
このあたりも、しっとりとしたお寺がいっぱいあります。
私が訪れたのは霊鑑寺れいがんじ
春と秋の年2回だけ公開される
臨済宗南禅寺派の門跡寺院です。
門跡寺院というのは
代々皇族が住職を務めるお寺のことです。
こちらは後水尾天皇の皇女、多利宮を開山とし、
代々皇女が入寺されたことから
鹿ケ谷比丘尼尼御所とか
谷の御所とか呼ばれています。
歴代天皇の宸翰とか皇室ゆかりの品々がたくさんあります。
御所人形もたくさん展示されていましたが、
それも幼くして入られた皇女がいらっしゃったからだと聞くと
なんかちょっとかわいそうかなと思いました。
御所人形は撮れなかったのですが、こんな感じの人形です。
後水尾天皇って、33人もお子様がいらっしゃったそうです。
すごいですね・・・
だからこの門とか、書院などは御所から移築されたものだそうです。
中でも書院はおそらく狩野派の絵師が描いたと思われる
たいへんすばらしい装飾のほどこされた障壁画でした。
おみせできないのが残念!
本堂です。
本尊の如意観音像は、片膝ついておられます。
なんでかな?
おまたせいたしました!
もみじです!!
この階段を上がっていきますと
こんなかんじ
風がそよそよすると、
ハラリ、またハラリと葉っぱが落ちるのです

正直いうと
どうだあ!
と、思っています。
私は全然えらくないんですけど・・・
このお寺はむしろ椿の寺として有名です。
樹齢350年の日光椿がありますが
咲いていたのは侘び助椿がちらっと咲いていたのと、
山茶花でした。
でもきれいでした!
春の公開が4月1日から10日だそうで
その時は椿が見られるでしょう

いつか椿を見に行きたいと思います。
大悲山 峰定寺
ブログネタ:あなただけのパワースポット教えて?
参加中子供を待っている間、私はあるところを目指しました。
それはさらに車で30分ほど奥に入った
大悲山 峰定寺だいひざん ぶしょうじ
1154年大峰熊野の観空上人によって開かれたお寺です。
奈良の大峰山に対して、北大峰と称され、修験道の修行場。
それゆえ昔は女人禁制だったそうです。
今も入山規制があり、雨天中止、12月から3月禁止。子供禁止。
雨が降ってきたので、無理だと思いましたが、受付で尋ねると
「まだ大丈夫。これくらいなら、山の中はぬれません」
とのこと。
山に入る人は皆修験者として、荷物も貴重品以外置いていきます。
カメラも禁止。
この門から入山します。重要文化財
別角度から
貴重品を入れる袋を掛け、杖を借りて登ります。
往復40分の道のりです。
山門をくぐり、急な石の階段をのぼっていきます。
運動不足に身は、息が上がります。
降りてこられたご夫婦以外は私1人です。
しばらく行くと、小さな梵鐘が見えてきました。
「そこで鐘を2回ついてから、お参りください」
といわれていましたので、2回つきます。
ゴーンという余韻が山々にこだまします。
邪気を祓ってくれているようです。
見上げると、本堂が・・・!
(木造入母屋造杮葺で重要文化財)
写真が撮れないので、お見せできませんが、
本堂は清水の舞台を5分の1にしたような造りです。
840年前に建造されたままのオリジナルです。
工事の担当には平清盛の棟札が確認されています。
何度か修復さたようですが、木は虫食い穴がいっぱいで、
古さのため白っぽくなっています。
靴を脱いで、本堂に上がりお参りします。
本堂も仏像も重要文化財なのですが、
外からお参りするので、仏像を拝見することはできません。
しかし、こちらは山全体が信仰の対象になっています。
山の階段はほとんど岩を削っているところから、
山が岩でできていることがわかります。
神仏の降臨される岩坐いわくらだと思いました。
それにしても、人力でしか岩を削ることができなかった時代
この階段を作った人はどのくらい手間がかかったのでしょう。
雨でつるつるすべるので、杖をつきながら
ソロリソロリと下ります。
そこに散る黄色
や赤
の紅葉の美しさときたら!雨にぬれて、一段と美しい

ガサガサっ
何

そういえば「熊出没注意」のポスターがあったけ!
まさかっ


杖をしっかり握りしめる私

私の目の前を走り抜けていったのは
2匹の

でした。よかった

無事下山
受付で荷物を受け取り、「入山証」をいただきました。
「あの手彫りの階段がすごいですね」
と、申し上げると、
「今日はそう言った人はあなたで二人目」
と、言われました。
「何百人に一人しか、階段のことを言わないわ。
本堂もさることながら、あの階段を作るのに
多くの犠牲が払われたそうです。
図面も残っていて、入念に階段を設計したことがわかります。」
ということでした。
山を下りながら、心の曇りが祓われたような気がしました。
感謝の気持ちを持って山を下りることができました。
パワースポットって力が得られるとか、他力本願な場所ではなくて
心を浄化してくれる場所のことではないでしょうか?
自然にも癒されます。
鹿ケ谷の陰謀で流刑になった俊寛僧都の家族が
都を追われ、この地で亡くなったので供養塔もあります。
ここは一応京都市左京区です。
門前にはミシュラン☆☆を獲得した美山荘があります。
11月で入山は終わりです。
昨日
昨日子どもはやっと11時くらいに起きてきました。
行く気がないから、よけい起きてこないのでは?
私のプレッシャーも感じているはず。
めざしていた野外炊事にはもう間に合いません。
「どうする?行く?やめとく?」
「行く
」
この
は行きたくない証拠。
でも、「行く」って自分で言ったよな。
一応第2プログラムのフィールドアスレチックを目指す。
紅葉で美しい貴船口を越え
人でいっぱいの鞍馬寺を通り過ぎ
北山杉でうっそうとする山道
1日何本かある路線バスが来たら、
すれ違いのできない峠道を行きます。
ここはちょっと開けたところ
鞍馬寺を越えてから30分くらいで到着。
さむっ
車の温度計で確かめると、5度。
ちなみに下界は12,3度
みんなちょうど野外炊事のかたずけをしているところでした。
「アスレチックが天候しだいで、できないので、
これから家族への手紙を書くかもしれない」と、担任。
「え!」
そりゃないだろう、電話して行ったのだし・・・
結局雨が降り出し、アスレチックはできず、
ストーンペインティングをしたみたいです。
「アスレチックしたかったな・・・」
と、帰り際にポツリ
お泊りの用意もしていきましたが、
心は変わらず、滞在3時間弱で帰りました。
行ってどうだったのだろうか?
待っている間自問自答しましたが、
「来ていただいてよかったです。
本人もどんな活動か、わかったでしょうし。」
という校長先生の言葉に納得することができました。
「また焼き芋したり、ハイキングもあるからおいで」
と、担任にもお見送りしていただきました。
学校の先生方はうちの子供のために
話し合いもしたでしょうし、感謝しています。
秋景色
帰り道は早く感じるのが、不思議ですね。
鞍馬までくると、もう雨は降っていませんでした。
行く気がないから、よけい起きてこないのでは?
私のプレッシャーも感じているはず。
めざしていた野外炊事にはもう間に合いません。
「どうする?行く?やめとく?」
「行く
」この
は行きたくない証拠。でも、「行く」って自分で言ったよな。
一応第2プログラムのフィールドアスレチックを目指す。
紅葉で美しい貴船口を越え
人でいっぱいの鞍馬寺を通り過ぎ
北山杉でうっそうとする山道
1日何本かある路線バスが来たら、
すれ違いのできない峠道を行きます。
ここはちょっと開けたところ
鞍馬寺を越えてから30分くらいで到着。
さむっ

車の温度計で確かめると、5度。
ちなみに下界は12,3度
みんなちょうど野外炊事のかたずけをしているところでした。
「アスレチックが天候しだいで、できないので、
これから家族への手紙を書くかもしれない」と、担任。
「え!」
そりゃないだろう、電話して行ったのだし・・・
結局雨が降り出し、アスレチックはできず、
ストーンペインティングをしたみたいです。
「アスレチックしたかったな・・・」
と、帰り際にポツリ
お泊りの用意もしていきましたが、
心は変わらず、滞在3時間弱で帰りました。
行ってどうだったのだろうか?
待っている間自問自答しましたが、
「来ていただいてよかったです。
本人もどんな活動か、わかったでしょうし。」
という校長先生の言葉に納得することができました。
「また焼き芋したり、ハイキングもあるからおいで」
と、担任にもお見送りしていただきました。
学校の先生方はうちの子供のために
話し合いもしたでしょうし、感謝しています。
秋景色
帰り道は早く感じるのが、不思議ですね。
鞍馬までくると、もう雨は降っていませんでした。
美しすぎる門
今年から学校からのメール配信が始まって、
子供は宿泊行事に行かないのに、
じゃんじゃんメールが来ます。
あれをしました、これをしました。
みんな元気ですって。
連絡不要なんですけど
一応今日のぞきに行くと言っていたうちの坊ちゃん
まだ寝ています。どうするんだろ?
さて、
三大唐門のひとつ大徳寺に続いて
西本願寺の唐門をご紹介します。
京都駅から歩いてもすぐのところです。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山です。
もともとは一つの宗派でしたが、派閥の対立もあり、
その勢力を恐れた徳川家康が
1602年烏丸七条に土地を寄進されたことから、
大谷派本願寺が誕生、西と東に分立したのです。
堀川通りから北小路を築地塀に沿って西に行きます。
線が五本あるのが最高格式の塀です。
御所はもちろん、大きな寺社は五本です。
そして、これが 伏見城の遺構で国宝 唐門
近づいてみましょう。
クリック拡大してください。
梁の上に麒麟が彫られています。
うちの薀蓄小僧が言うには
「龍馬って、麒麟のことらしい」
確かにこの麒麟って、顔が龍で、体が馬です。
ナルホドそうかも。
麒麟ビールのラベルの麒麟と同じですね。
孔雀
龍に乗る人
故事があるのでしょうね。
ご存知の方教えてください。
唐獅子の親子のようです。口元に子がじゃれています。
ここからが裏側です。模様が違います。
逆光なので、光が入ってしまいました。
逆光で真っ暗です・
こちらは中国の故事。
許由が耳を洗う
古代中国の堯帝が、人格者の許由に帝位を譲りたいと、申し出た。
「汚らわしいことを聞いた」と許由は穎川の流れで耳を洗った。
そこに巣父という人が、牛に水を飲ませに来たが、
「汚れた水を飲ませるわけにはいかない」と、立ち去ったという。
少し彩色があせているものの、大変美しい門です。
見ているうちに日が暮れてしまう「日暮門」です。
でも、
京都御所の建礼門を見て対照的だなと思いました。
武家と皇室の違いなのでしょう。
建礼門にはこのような派手さはないけれど、
格調の高さがありました。
門もいろいろ見てみると面白いものですね。
子供は宿泊行事に行かないのに、
じゃんじゃんメールが来ます。
あれをしました、これをしました。
みんな元気ですって。
連絡不要なんですけど

一応今日のぞきに行くと言っていたうちの坊ちゃん
まだ寝ています。どうするんだろ?
さて、
三大唐門のひとつ大徳寺に続いて
西本願寺の唐門をご紹介します。
京都駅から歩いてもすぐのところです。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山です。
もともとは一つの宗派でしたが、派閥の対立もあり、
その勢力を恐れた徳川家康が
1602年烏丸七条に土地を寄進されたことから、
大谷派本願寺が誕生、西と東に分立したのです。
堀川通りから北小路を築地塀に沿って西に行きます。
線が五本あるのが最高格式の塀です。
御所はもちろん、大きな寺社は五本です。
そして、これが 伏見城の遺構で国宝 唐門
近づいてみましょう。
クリック拡大してください。
梁の上に麒麟が彫られています。
うちの薀蓄小僧が言うには
「龍馬って、麒麟のことらしい」
確かにこの麒麟って、顔が龍で、体が馬です。
ナルホドそうかも。
麒麟ビールのラベルの麒麟と同じですね。
孔雀
龍に乗る人
故事があるのでしょうね。
ご存知の方教えてください。
唐獅子の親子のようです。口元に子がじゃれています。
ここからが裏側です。模様が違います。
逆光なので、光が入ってしまいました。
逆光で真っ暗です・
こちらは中国の故事。
許由が耳を洗う
古代中国の堯帝が、人格者の許由に帝位を譲りたいと、申し出た。
「汚らわしいことを聞いた」と許由は穎川の流れで耳を洗った。
そこに巣父という人が、牛に水を飲ませに来たが、
「汚れた水を飲ませるわけにはいかない」と、立ち去ったという。
少し彩色があせているものの、大変美しい門です。
見ているうちに日が暮れてしまう「日暮門」です。
でも、
京都御所の建礼門を見て対照的だなと思いました。
武家と皇室の違いなのでしょう。
建礼門にはこのような派手さはないけれど、
格調の高さがありました。
門もいろいろ見てみると面白いものですね。