コメントありがとうございます。
昨日はたくさんのコメありがとうございます。
言われた言葉より、心に響きます。
ママ友に言われましたが、
「意外と子どものほうが、《しんどいから仕方ない》って、
思っているかもよ」
そうだと思いたいです。
彼女も「言ってあげたほうが私のため」だと
思って言ったんでしょうね。
世間の考えはそうなのかもしれません。
ある方のブログの書き込みで元教師という人が
「不登校の子供は親自身が病気」
みたいなことを書かれていました。
残念なことですが、
そういう考えの方が世間一般なのでしょうか。
NHKの放送見てくださっても
「ODでも学校行ってはるじゃないですか」
と、いう捉え方もされてしまう。
元気な人には理解できないのかもしれません。
フォーラムでお会いした方も
「不登校とは違う世界のことだと思っていた。」
「自分のほうが精神的におかしくなりそうだった」
とおっしゃっていました。
みんな同じなんだなと思いました。
どいういう経緯をたどってきたか、
少なくとも学校の先生のほうが、よく知っていて
「行きたいときだけ行く」のを受け入れてくれている
それが救いだと思います。
その先生ともあと一ケ月でお別れです。
言われた言葉より、心に響きます。
ママ友に言われましたが、
「意外と子どものほうが、《しんどいから仕方ない》って、
思っているかもよ」
そうだと思いたいです。
彼女も「言ってあげたほうが私のため」だと
思って言ったんでしょうね。
世間の考えはそうなのかもしれません。
ある方のブログの書き込みで元教師という人が
「不登校の子供は親自身が病気」
みたいなことを書かれていました。
残念なことですが、
そういう考えの方が世間一般なのでしょうか。
NHKの放送見てくださっても
「ODでも学校行ってはるじゃないですか」
と、いう捉え方もされてしまう。
元気な人には理解できないのかもしれません。
フォーラムでお会いした方も
「不登校とは違う世界のことだと思っていた。」
「自分のほうが精神的におかしくなりそうだった」
とおっしゃっていました。
みんな同じなんだなと思いました。
どいういう経緯をたどってきたか、
少なくとも学校の先生のほうが、よく知っていて
「行きたいときだけ行く」のを受け入れてくれている
それが救いだと思います。
その先生ともあと一ケ月でお別れです。
気の重くなるできごと
さきほど学校の委員会から帰ってきました。
卒対も一緒にやっているお母さんと
お別れ会の出し物の件で話しました。
男子女子それぞれ3グループずつで、出し物をします。
そのお母さんは男っぽい、歯に衣着せないタイプの人です。
1人で出し物をする子がいたので(それもうちの子が一番好きな子)
「XXくんが一人でするなら、うちの子はそこにいれてもらうかな」
と、私が言うと、
「それは、私にどないかせいって言うこと?」
「いや、あなたがグループ分けのとき出てくれていたから、
なんで彼が1人なのか、わかるかなって。」
「1人はかわいそうだから、
うちの子がフォローに入ることにはなってる。」
と、言いながら、
「嫌がられるとは思うけどね」
と、前置きをしつつ、
「親がそんな態度でいる限り
子供はいつまでたっても行かれないよ。
みんなが思っているだけだから言うけど、
どうしてそういうときだけ行けるのか。
そういうときだけ来ても、受け入れられないよ」
「だって病気だから仕方ないやン」
「起立性調節障害のテレビも聞いたから見たけど、
あの人たち学校行ってはるやん。
修学旅行のとき、ちゃんと朝来たでしょ。
起きられなかったら、昼からでもいいやん」
「雅子さんと同じで、
好きなことはできるけど、そうでないことはできない。
やっぱり理解してもらうのはむずかしいね」
「(相手)結局私は悪者ね」
まあどんだけ話しても平行線だから、
お互いやめましたけどね。。。
これから卒対で何度も顔を会わせなければいけない。
気が重いです。
卒対も一緒にやっているお母さんと
お別れ会の出し物の件で話しました。
男子女子それぞれ3グループずつで、出し物をします。
そのお母さんは男っぽい、歯に衣着せないタイプの人です。
1人で出し物をする子がいたので(それもうちの子が一番好きな子)
「XXくんが一人でするなら、うちの子はそこにいれてもらうかな」
と、私が言うと、
「それは、私にどないかせいって言うこと?」
「いや、あなたがグループ分けのとき出てくれていたから、
なんで彼が1人なのか、わかるかなって。」
「1人はかわいそうだから、
うちの子がフォローに入ることにはなってる。」
と、言いながら、
「嫌がられるとは思うけどね」
と、前置きをしつつ、
「親がそんな態度でいる限り
子供はいつまでたっても行かれないよ。
みんなが思っているだけだから言うけど、
どうしてそういうときだけ行けるのか。
そういうときだけ来ても、受け入れられないよ」
「だって病気だから仕方ないやン」
「起立性調節障害のテレビも聞いたから見たけど、
あの人たち学校行ってはるやん。
修学旅行のとき、ちゃんと朝来たでしょ。
起きられなかったら、昼からでもいいやん」
「雅子さんと同じで、
好きなことはできるけど、そうでないことはできない。
やっぱり理解してもらうのはむずかしいね」
「(相手)結局私は悪者ね」
まあどんだけ話しても平行線だから、
お互いやめましたけどね。。。
これから卒対で何度も顔を会わせなければいけない。
気が重いです。
雪の大徳寺 おまけ画像
一部携帯から載せましたが、おまけ画像です。
雪国の人には当たり前の景色ですが、
今年初めてのまとまった雪で、よろこびいさんで、出かけました。
1325年大燈国師によって創立された臨済宗大本山 大徳寺
置いて南から入りました。
もう少しアップ
最古の庫裏のある黄梅院
紅葉が葉っぱのかわりに雪花が咲いています。
金毛閣と書かれた扁額が見えます。
こちらが千利休切腹のきっかけとなったといわれる三門です。
二層になっていますが、千利休が上層を建て
そこに自らの坐像を置いたことで
「お前の下をくぐれというのか」と、秀吉が怒り、切腹を命じたといわれています。
妙心寺の三門とよく似ています。
三門の前にある興臨院
方丈、表門が重要文化財になっており
春秋に特別公開されます。
このように大徳寺には20箇所以上の塔頭があり、
それぞれに国宝や重要文化財をかかえています。
とくに「大徳寺の茶面」といわれるように茶室もあります。
いったいどんだけの文化財がこの中にあるんでしょうか。
そのせいか隣接して、消防出張所と派出所があります。
それが役立つことのないように、願うばかりですが
後世に伝えていくのは、なかなか大変なことですね。
思えば、先の大戦で(応仁の乱ではありません!)
京都に空襲が少なかったのは
(馬町や智恵光院では空襲で死者が出ています。)
《見えない力に守られた?》のでしょうか。
雪国の人には当たり前の景色ですが、
今年初めてのまとまった雪で、よろこびいさんで、出かけました。
1325年大燈国師によって創立された臨済宗大本山 大徳寺
置いて南から入りました。
もう少しアップ
最古の庫裏のある黄梅院
紅葉が葉っぱのかわりに雪花が咲いています。
金毛閣と書かれた扁額が見えます。
こちらが千利休切腹のきっかけとなったといわれる三門です。
二層になっていますが、千利休が上層を建て
そこに自らの坐像を置いたことで
「お前の下をくぐれというのか」と、秀吉が怒り、切腹を命じたといわれています。
妙心寺の三門とよく似ています。
三門の前にある興臨院
方丈、表門が重要文化財になっており
春秋に特別公開されます。
このように大徳寺には20箇所以上の塔頭があり、
それぞれに国宝や重要文化財をかかえています。
とくに「大徳寺の茶面」といわれるように茶室もあります。
いったいどんだけの文化財がこの中にあるんでしょうか。
そのせいか隣接して、消防出張所と派出所があります。
それが役立つことのないように、願うばかりですが
後世に伝えていくのは、なかなか大変なことですね。
思えば、先の大戦で(応仁の乱ではありません!)
京都に空襲が少なかったのは
(馬町や智恵光院では空襲で死者が出ています。)
《見えない力に守られた?》のでしょうか。
雪の大徳寺 龍源院
ホントは瑞峯院だけで帰る予定でしたが、
物足りなかったので、龍源院へ。。。
大徳寺には通常拝観しているお寺がいくつかあります。
瑞峯院も龍源院もそのひとつで、
(あとは大仙院、高桐院です。)
ガイドつきではないので、ゆっくり見られますし
拝観料もお得です。
龍源院は大徳寺の中でもっとも古いお寺だそうです。
1502年能登領主 畠山義元公、大友義長公(宗麟の祖父)らによって創建。
明治はじめ、神仏分離により、大阪 住吉大社内の慈恩寺、
および高山城主金森家が創建した大徳寺内の金竜院と合併したそうです。
まず入った書院には、滹沱庭こだていと呼ばれる阿吽の石庭。。。
阿の石と吽の石がありますが、聚楽第のものと伝えられています。
(手前 雪のかぶった半円が吽で、むこうの○が阿の石)
重要文化財方丈
方丈庭園 一枝坦いっしたん
一番大きいのが蓬莱山
手前が亀島
右端が鶴島
亀島は苔山らしいんですが、まったくわかりません。。。
左手の大屋根はお隣の黄梅院
やっぱり下の紋様がそのまま雪に反映されて、面白い!
開祖堂
方丈北側 龍吟庭
三尊石からなる須弥山形式の枯山水
相阿弥の作といわれ、杉苔が大海原をあらわしている
らしいんですが、
ここまで雪が深いと、さっぱりもとの庭がわかりません
私が一番気に入ったのは、壺庭
東滴壺
北側より
南側より
結構見ごたえがありました。
物足りなかったので、龍源院へ。。。
大徳寺には通常拝観しているお寺がいくつかあります。
瑞峯院も龍源院もそのひとつで、
(あとは大仙院、高桐院です。)
ガイドつきではないので、ゆっくり見られますし
拝観料もお得です。
龍源院は大徳寺の中でもっとも古いお寺だそうです。
1502年能登領主 畠山義元公、大友義長公(宗麟の祖父)らによって創建。
明治はじめ、神仏分離により、大阪 住吉大社内の慈恩寺、
および高山城主金森家が創建した大徳寺内の金竜院と合併したそうです。
まず入った書院には、滹沱庭こだていと呼ばれる阿吽の石庭。。。
阿の石と吽の石がありますが、聚楽第のものと伝えられています。
(手前 雪のかぶった半円が吽で、むこうの○が阿の石)
重要文化財方丈
方丈庭園 一枝坦いっしたん
一番大きいのが蓬莱山
手前が亀島
右端が鶴島
亀島は苔山らしいんですが、まったくわかりません。。。
左手の大屋根はお隣の黄梅院
やっぱり下の紋様がそのまま雪に反映されて、面白い!
方丈北側 龍吟庭
三尊石からなる須弥山形式の枯山水
相阿弥の作といわれ、杉苔が大海原をあらわしている
らしいんですが、
ここまで雪が深いと、さっぱりもとの庭がわかりません

私が一番気に入ったのは、壺庭
東滴壺
北側より
南側より
結構見ごたえがありました。
雪の大徳寺 瑞峯院
雪の大徳寺 瑞峯院ずいほういんです。
キリシタン大名 大友宗麟の法名にちなみ瑞峯院といいます。
独坐庭と閑眠庭という枯山水がありますので、のぞいてみましょう。
この門が方丈に続きます。
が、拝観はこちらからはいります。
蓬莱山式庭園 独坐庭
雪が降っても、うねうねして大波の様子がよくわかりますね。
後奈良天皇による扁額
すっかり雪に埋もれた方丈北庭
重森三玲 閑眠庭
キリシタン大名 大友宗麟にちなみ
縦四個 横三個の石の流れが住持に組まれています。
もう少し雪が薄いほうがきれいだったかも。。。
大徳寺といえば、どこの塔頭もりっぱなお茶室を持っています。
ちょっとかわっているけど、これもにじり口?
それとも水屋への入り口なんでしょうか?
キリシタン大名 大友宗麟の法名にちなみ瑞峯院といいます。
独坐庭と閑眠庭という枯山水がありますので、のぞいてみましょう。
この門が方丈に続きます。
が、拝観はこちらからはいります。
蓬莱山式庭園 独坐庭
雪が降っても、うねうねして大波の様子がよくわかりますね。
後奈良天皇による扁額
すっかり雪に埋もれた方丈北庭
重森三玲 閑眠庭
キリシタン大名 大友宗麟にちなみ
縦四個 横三個の石の流れが住持に組まれています。
もう少し雪が薄いほうがきれいだったかも。。。
大徳寺といえば、どこの塔頭もりっぱなお茶室を持っています。
ちょっとかわっているけど、これもにじり口?
それとも水屋への入り口なんでしょうか?
