今回が!きっと今回こそが!!伊達の最後の締めくくり。
「藩校」と聞いて心が弾む私は今もここにいる。本ブログでも藩校の取り上げ率はなかなかなもので、藩校の紹介ページを勝手に作ったこともありました。それが、コレ
いやぁ~教育教養大事よ?(誰
とはいえ、ポル・ポトみたいな人が出てきたら本当に怖いなと思いました(ちょっと最近・・・動画見ちゃって・・・)
気を取り直して。
2023年9月某日。
宮城にしては厳しい残暑(だったらしい)。蚊から身を護りながら急いで岩出山城を下り、JR陸羽東線「有備館」駅の方面へ。
(さっきまであすこの中にいたのかぁ私・・・)
そう、しみじみ感じていると
「ん?」
(同じ場所の違う角度から撮ったもの)
「玉造郡役所跡・岩出山町役場跡」。現在は「田舎」という第一印象が抜けられないものの、この地、いやそれどころか大崎市はかなり古い年代から国府が置かれていた令制国の中心地で、この岩出山も大正時代までは重要地であった。それが今は駐車場なのは、少し寂しい気がするわね。
おおー、これが内川(大堰)かあー。疏水百選や世界かんがい施設遺産に登録されている何やらスゴイ川らしい。確かにとてもキレイやね。
この川は有備館に繋がっているのだけれど、その道の途中でとても興味深い建物を発見。
「森泉」の日本酒で有名な森民酒造店の建物。こちらは店舗兼主屋で、国の登録有形文化財に指定されているらしい。建物は明治16(1883)年創業当時からのものとのことで、なんと140歳。
某タレントの顔が頭をよぎったのは私だけではないハズ。
同じく森民酒造店が運営する昭和レトロ館。こちらもものすごく興味があったのですが、大崎に行くための重い腰を上げたのは約束があったからでして、時間がなくなってきたので泣く泣くスルーしました。
おっ、遂に来ました有備館。ここが正門ではあるけれど、観光施設として入るのはここからではないらしい。
ここかッ。
有備館は嘉永(1850)年に岩出山伊達家(伊達政宗の四男の家系。ちなみに、長男の家系が宇和島伊達家、次男の家系が仙台伊達家(本家)、三男の家系が黒川郡の吉岡伊達家)第10代・邦直(くになお)が開校した学問所。ただ、建物自体は延宝5(1677)年に建てられたものであり、第2代・宗敏(むねとし)の隠居所だったのを学問所に転用したと思われるとのこと。Wikipedia先生とは情報が違いますが、パンフレットにはこう書いてあるのでこちらの方が正しいのでしょう。
\ほへー!おじゃましまーす!/
\入口はこっちよ/
入ってすぐこんなものが。前回の記事でも言ったとおり、全力で大河ブームに乗っかる気満々でした(笑)
展示物は撮影禁止だったので写真はありませんが、内容はしっかり見てきました。
そういえば、11月末に静岡市の歴史博物館に行ったのですが、伊達藩からも政宗が家康の体調を気遣う手紙が展示されていて、心弾んだなあ。
有備館自体は撮影可だったので、バシャバシャ撮ってきました。
「板の間」で家康と政宗の企画展があり、廊下を通りすぎて写真の撮りがいがあるのは主屋に入ってから。真っ先に飛び込んでくるのは開放された縁側からの庭園の景色。
「下の間」から「中の間」と「お上の間」を見る。
「お上の間」にある床の間と違い棚。
書院の窓から外の景色を臨む。
さて。今度は庭園に行きますか。
庭園の方は、有備館に遅れて正徳5(1715)年頃、岩出山伊達家第4代・村泰(むらやす)の時代に造られたのだそう。庭園のジャンルとしては、回遊式池泉庭園となるのだそうで、平たくいうと「園内を歩いて回る形式の水のある庭園」ですって(よくわかってなかった)。
じゃあ、let's 回遊してみよう。
最初に来たのは西苑と呼ばれるところ。
明神社。
あっ、九曜の紋!(わかりますか??)
先ほどとは反対に、庭園から有備館を臨む。
わかれめ。
波紋がキレイ。
おっ、茶会をしおる。
木々が生い茂って見えにくいですが、茶室もきちんとあるのです!
「松花庵」というらしいですよ。
庭園を一周した後、私もお茶菓子をいただくこととしました。
いただいたお菓子は確か、裏千家か何かの萩の名がついたお菓子だったと思いますが(うろ覚えすぎる)、熊本人であれば絶対に頭によぎる何かがあると思います。
ん?
食べてみるとなおいっそう求肥の入っていないアイツでした!!(爆)
有備館の建物の目の前が、まさにJR陸羽東線「有備館」駅。
有備館駅も建物に風情があったり、待合室に図書スペースが併設されていたりと工夫を凝らしていてとても面白かったです。ただ、この日は駅に結構人がいたので、写真を撮るのは控えました。撮ったのは彼のみ。
あと。
キミは本当にどこにでもいるな。