PRYCE16写真日記 -28ページ目

PRYCE16写真日記

このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

本日の宿。御存知道の駅水上。まだオリオン座がかすかに見えた。GPS非搭載の為、アストロトレーサーは稼働させられず。なのでよく見ると星はかなり動いているのだが、当ブログ程度では全く影響がない。画像サイズ変更時につぶされてしまわず、むしろ好都合か?

 

 

本日の夕食。半額品のオンパレードなのだが、よく見ると野菜コロッケは半額ではなかった。

 

 

翌朝、6時に起き、近所を散策。EF16の姿が拝む事が出来るようになっていた。

 

 

利根川と、その沿岸に建つホテル。645でも撮影した。…が、それを見れるのは果たしていつ?

 

 

いつもの3088列車を、鉄道写真の師匠(一方的な)が撮影した場所と寸分狂わない位置を割り出して撮影してみた。本来のベストポジションはもう少し左なのだろう。また当時は右端の木があまり成長しておらず、編成後端がもう少し写っていた。それにしても、いつもなら見向きもされないようなこの付近に、今日は夥しい数の同業者。この後、何やら特別な列車がやって来る事を教えていただいた。あと30分位との事なので、その位ならせっかちなボクでも待てる。

 

 

9:12、EF81に牽引された12系客車がやって来た。「ツガルツナガル号」として秋田~弘前間を走っていた12系客車が、高崎へと返却されるもののようだ。特筆すべきはこの牽引機が、尾久や長岡のものでもなく、秋田機である所が特徴である。ケツが切れてしまったと思ったら客車は5両編成だった為、ギリギリの所でなんとか収まったか?しかしそれにしても顔が真っ黒だ。

 

 

カメラを三脚から外し、横姿をオマケで撮影。機関車に枝がかかってしまったのが残念。

 

 

3088列車と違い、水上で比較的長く停車していたので、先回り。顔は綺麗になり、背後の雪山との光量バランスもギリギリセーフだったものの、今度は12系がまったく写っていなかった。

 

 

更にオマケ写真。大きくなったが、木々の枝により「まだら」に。

 

 

所変わって、鯨波。ココへやって来るのは実に6年弱振り。遂にやって来た。

 

 

有名な撮影地。ドラマ「高校教師」の最終回でも登場する。ココで列車を待つにはまだ少し(かなり)時間があるので、近所を徘徊する。しかしこのすぐ先で、上り方向を狙うカメラの大砲列を見かけたので、急遽上りが狙える場所へと向かう。

 

 

極めて安直ではあるが、青海川駅で。到着後僅か数分でやって来たので、選定は間違っていなかったのだが、所でこれは何?→HB-300系気動車の1つで「海里」というらしい。HB-300系自体は2010年から運行しており、大糸線で見かけた事もある。またこの海里も落成は2019年なのでそれ程めずらしい物でもない。だが通常は新潟と酒田の間を走っているものがこの区間を走っているのは何故?

 

 

青海川名物の米山大橋。

 

 

ココ青海川駅は、旧線のトンネルが残っている事が最初に知るきっかけだった。だがこの先で途切れる為、トンネルまで行くのはかなり困難。谷根川を渡る橋はまたかけかえられていた。

 

 

だが、後にドラマ「高校教師」の最終回で登場した場所でもある事に気づいた。残念ながら駅舎は土砂崩れで建て替えられてしまい、駅名板もJRのものに変わってしまったが、それでもやはり思い出深い場所だ。

 

 

14:27、上り特急「しらゆき6号」。新潟発直江津経由上越妙高行き。元特急ひたちに使用されていた車両がHRCカラーに塗られている。

 

 

何かのロケかアニメにでも使われて聖地化したのか、4組位の若者達が次々と訪れていた。その中のひと組が、背後からやって来る下り貨物列車に気づいていなかったのでゼスチャーで注意を促したのだが、「邪魔だどけ〜!」と思われてしまったかも。申し訳ない事をした。

 

 

14:30、下り3097列車。かつての北斗星牽引機と久々の再会。逆光なのが痛い。

 

 

直江津からR253を経由して湯沢エリアに戻る途中、R353との分岐点にある特徴的な看板。

 

 

かつては栄華を誇っていた石打駅が無人化された(2020年10月)というので、訪れてみた。

 

 

夕刻の柔らかい光と「里び」が合う。

 

 

かつては水上と共に機関区が設置され、機関車が所狭しと並んでいた広い構内。

 

 

それでもつい最近までは、ほくほく線経由の特急はくたかが往来し、その為の研修庫が実在している。もはや無用の長物と化している筈だが、灯が入っている。

 

 

かつては上り線だったと思われる1番線は、線路が外され、ホームも立入不可となっている。

 

 

長岡方面に加えて、ほくほく線の列車も通る為、一時間に1~2本が走る。1時間に1本ではないとはいえ過疎路線には違いないが、水上方面の一日5本に比べると、ものすごく忙しい。

 

 

スーパーまで遠路わざわざ出かけて購入した本日の夕食兼おつまみ。別段うまくもないし、安くもなく、がっかり。これならばコンビニ弁当で良かった。

 

 XX.X XX.X

 

行きつけの蕎麦店「八州」の前を通った所、何やら張り紙が貼られていた。

 

 

走行中に撮影した写真を拡大してみると、3/31で閉店した事が記されていた。

 

 

こちらの経緯説明は、昨年末から店内に貼られていた。残念だが仕方がない。なので最後には悔のないよう食いまくろうとしていたのだが、最後にご主人の骨折により休業し、そのまま閉店してしまったのが返す返す残念だった。それにしてもこのGR3の解像度の凄まじさはどうした事か。わざわざ車を停めて見に行かなくても事足りてしまった。

 

 

 

 

 

◎八州訪問全記録

 

 

2021年8月29日。今日は4093列車に「ニーナ」ことEF66 27号機がやってくるという。先週練習をしたばかりだし、天気も曇りと好条件なので大慌てで「ワシクリ」へとやって来た。しかし流石にまだ時間が早い為、かねてから興味を持っていた蕎麦店ではらごしらえ。

ぶっかけたぬきの大盛り。太麺タイプ。元々盛りはよかったのか、食っても食ってもなくならない(素敵だ!)。そしてわずかなこの揚げ玉が非常にオイリーで、ボク好み。以降(一部例外を除いて)この冷やしたぬきばかり注文する事になる。

 

 

2021年11月14日。グライダーを見た後に、やはり日光線撮影。

 

 

2021年12月17日。渡良瀬バルーンレース(八州記事はナシ)。この日は珍しく普通盛り。体重が激増した頃だったので少し我慢していた。

 

 

2022年1月16日。この日も普通盛り(だがこれが最後の普通盛り)。別にこれでも十分な量なのだが、僅か100円増しで更に倍位になるのだから、やはり大盛はやめられない。

 

 

2022年3月12日。カシオペア紀行撮影(←しかしミスって落ち込む)。

 

 

2022年3月26日。ワシクリでの貨物撮影。

 

 

2022年4月24日。ワシクリと東武特急撮影。

 

 

2022年7月3日。銀行に行った(だけなのでブログ記事ナシ)。

 

 

2022年9月25日。ワシクリで適当に撮影。夜にP社のオンラインイベント。

 

 

2022年12月3日。島川踏切経由で、岩井坂東方面まで足を無駄に伸ばす。

 

 

2022年12月17日、渡良瀬バルーンレース2022(八州記事ナシ)

 

 

2022年12月31日、少し早い年越し蕎麦?!

 

 

2023年1月14日、1日4食限定の「ナマモノ」に、開店前から並んだ末にやっとありつけた。

 

 

大間から(豊洲経由で)取り寄せたという新鮮な刺身。うまい…。今回はマグロ定食だったが、次は刺身定食を狙いたい。(→叶わず)

 

 

2023年1月29日。ワシクリで適当に撮影(帰り道だから寄っただけ?)。

 

 

2023年2月11日。ワシクリで適当に撮影(帰り道だから寄っただけ?)。

 

 

2023年3月12日。その後も何度か訪れてみたものの、この張り紙がなくなる事はなかった。もしかしたら最後の数日は営業していたのかもしれないが、油断した。「食堂カーちゃん」に続き、八州までもなくなってしまい、今後また新たな店を開拓しなくてはならなくなってしまった。

 

 XX.X XX.X

 

 

先日かみ砕いてしまった歯の詰め物が出来上がったので装着してもらった。その後、いつもの街歩き。前回閉店を確認した軽食店の全体像。昭和初期のモダン建築か?味わい深い。今後どうなってしまうのかが気がかり。

 

 

昭和3年、渋沢栄一宅跡地に建てられた日証館。当時の姿のままリノベーションされた。一方背後の三菱倉庫江戸橋倉庫ビルは、表面の7割を残しての高層化。手間がかかる作業は賞賛するが、やはり少し残念だ。

 

 

日本橋野村ビルディング旧館。「野村證券」の名がいつの間にか外され、何やら工事が行われている。まさかとは思うが工事名称に「解体」の文字が記されており、愕然とした。先日観た「続・三丁目の夕日」にも(CGで)登場した由緒ある建物である。近年耐震規格が強化され、往時の名建築が次々と壊されているが、まさかこれまで壊してしまうとは…

 

 

同じく続・三丁目の夕日で、トモエが昔の男とのひと時との間に子供達が待ちくたびれていた付近。前述の野村ビル旧館も同じシーンに登場した。

 

 

呉服橋ガード下。ココも鉄道の拡張の歴史を垣間見る事が出来る。1920年前後に造られた赤レンガ製の高架は6線分あるが、西側の4線と東側の2線では、橋脚や橋桁の構造が異なる。これは1919年の中央線の開通(山手線のの字運転化)と、関東大震災を挟んだ1925年の東北本線東京乗り入れ(山手線環状運転化)が関係しているのではないか。また写真右の塗装の剥がれた橋桁は戦後の「京浜東北・山手線の分離工事」の際に東北本線の路盤が東側に増設した時のものではないか。

 

 

先日も訪れた、新一万円札に登場する東京駅丸の内駅舎。その正確な場所を探してみる。

 

 

こんな所か。新札の解像度が今一つのため、メーター単位での特定は出来なかったが、大体この辺から5m以内の場所と思われる。あともう2歩位左かなと思われるのだが、そうすると「この木なんの木(新札の端に少しだけ木が写っている。どうせ印刷なのだから原板作成時に取ってしまえはイイのにと一部の間で話題となった)」の位置までぴたりと一致する。またこの信号機は、2016年頃にはもう少し東側にあった事からも、その頃に実際に撮影された写真を元に忠実に模写したと思われる。

 

 

本日もまた、2本の旗がなびく瞬間を狙った。

 

 

銀座の立ち食い蕎麦点にて。蕎麦は脆くて短くて食いにくい。冷たいのが好きなのでせいろにしたが、かけの冷たいのも出来るようだった。

 

 

隣は委託専門の中古カメラ店。程度が悪くて修理不能なレンズをかつて購入した事がある。

 

 

第1有楽橋架道橋下。先程のガードと比べると中央線の分がないだけで、後は同じような歴史をたどっているのだろう。

 

 

落書きされた煉瓦橋台の向こうは、いつものこの光景。

 

 

有楽町から、電車の西側を探索。古い「ビルヂング」群がまだかろうじて残るのに、まるでヨーロッパの街角のような区画が存在していた。

 

 

三菱一号館。1894年に竣工し、1968年に重文に指定されそうになる直前に解体を強行。その後2009年にレプリカが再建された。外周のみ使用するのとどちらが良いのだろうか。

 

 

丸の内仲通り。他にもアートな作品が多数並んでいる。

 

 

日本工業倶楽部会館。1920年竣工。2003年に現在の姿になった。ざっくりとだが建物の北側半分程はビルの中に組み込まれ(ビルの中に旧建物が現存するのか解体されたのかは不明)、写真に写るこの南側半分のうち、元のまま保存されているのは西側ブロックのみで、中央と東のブロックは意匠を合わせて立て直されている。また東側の壁はほぼ当時の長さだが、窓2つ分短い。この薄皮状の部分が元の部材を使用しているのかは不明。

 

 

大手町川端緑道に「エコミュージアム」なる展示があった。

 

 

水琴窟。竹に耳を当てると神秘的な音が聞こえる。

 

 

先程の大手町仲通りの最北端。やはりアート作品が並べられている。

 

 

 

 

大手町川を渡り、神田と名の付く界隈へ。ココが何処だかはまったく判らなくなってしまったが、店の名前や電柱に記された住所(とGoogleストリートビュー)から容易に調べる事が出来る。この方法で25年前の写真の撮影場所も調べられるのだから、現代写真ならばちょろい。

 

 

神田須田町1丁目の更にとある一角に、魅惑の店舗群が残る。かつての神田駅からお茶の水方面への散歩コースだった場所だ。

 

 

すぐ近くに歯科医院が存在する。歯科医院の数はコンビニよりも多いというのも納得だ。だがどちらも古風でボク好みな建物という所がこの区画ならではだ。

 

 

何の店だか判らないが高級店でありそうな事だけは判る。

 

 

こちらならばボクでも気軽に入れる。人形町店に比べると目玉が飛び出そうな程高く感じる。

 

 

この気になる外観。インド素材の洋服等の工房らしい。

 

 

あんこう鍋の店(と書かれている)。高級そうなのも見て判る。が、店名は読めず(いせ源)。

 

 

交通博物館の跡地に、交通博物館や万世橋駅の歴史を記したレリーフが置かれていた。

 

 

秋葉原電気街の一番はずれにあった「ラジオガァデン」。つい先日まで最後の(昔ながらの)ジャンク店が入っていたが、それが閉店してから久しい。

 

 

 

 

ラジオガァデン跡地の上を中央線がゆく。直後に特急(形式はわからないが新しい奴)が通った。残念?!

 

 59.25 15.7

 

桜を初めとし、通年何かしらの花に包まれている近く(でもない)の公園へとやって来た。

 

 

この季節は桜に加えて菜の花も賑わっている。

 

 

桜を含んだ植物類は専門外なもので、セオリー的な事も判らないので、試行錯誤。

 

 

右上部を優先したのだが、右下部が中途半端に切れているのが不安定。

 

 

公園の様子を説明するような構図。思ったよりも人が多い。

 

 

桜だけの区画。

 

 

菜の花優先の2ショット。

 

 

2人だけの世界?

 

 

 

 

 

 

自身のペットをモデルにして、ポートレート撮影会を行っている人々が複数組いた。

 

 

提の上にはお祭りの装飾。夜には幻想的にもなるだろうが、日中は結構邪魔だ。

 

 

桜と屋台。屋形船や観光列車、球場グルメど同様、どっちつかずになってしまう。

 

 

とはいえ楽しそう。活気を出す為には必要不可欠。

 

 

ぼんぼりに協賛企業名が記されていない。すっきりとはしているが、ちょっと物足りない。目黒川時代には、記述内容を見て回るのも密かな楽しみだった。中には思わぬ有名人が個人名で協賛していたりするので、なかなか目が離せなかった。

 

 

森君と桜。及び家から連れて来たワンポイントアクセサリー?!

 

 

その後場所を移動して、渡良瀬遊水地内のいつものスカイフィールドへ。

 

 

遊水地の中をタクシーが行く。どうやら車を持たない学生のスカイダイビング体験者の送迎のようだ。一番近くの藤岡駅までは4.3km、1700円程なので、思ったよりも高くなさそうだった。

 

 

朝一番のフライトで、ジャンパー達がヒラヒラと舞い降りて来て、その後当機が着陸姿を見る事が出来た。今日の出番はこれで終わりの模様。

 

 

これは…ネモフィラ?。ボクの植物の知識はこの程度である。かつてEF58 61の写真を見て「阪急電車?」と言ったヒトと同程度だ。iPhoneに訊いてみると、オオイヌノフグリであるらしい事が判った。

 

 

昨年は花見としてやって来たものの、気が付けば「熱気球見」となった運動公園。昨日が天気ならばなと悔やまれる。

 

 

道の駅のぶっかけ蕎麦。単に汁が冷たいだけでぶっかけではない(汁が多すぎる)。

 

 

せっかくなので先日歩いて訪れた近所の公園にも寄ってみた。ギリギリまだ見れるか。

 

 

 58.50 16.0

 





 

雨天だが、いや雨天だからという事もあり、近所の桜で有名な公園まで歩いてみる事にした。一眼レフを持参したものの、流石に歩行中に取り出すのは困難な為、防水デジカメであるWG-30Wを使用する。RICOH製にはなっているが、設計はPENTAX時代のもの。

 

 

雨だけあり、広い公園内は人っ子一人いない。人ごみ嫌いなので、至福のひと時。

 

 

せっかくなので一眼レフを取り出してみる。PENTAX K-3markⅢは防塵防滴な為、安心(といっても17年前のK10Dの頃からずっとだが)。雨の中でGR3を使用するよりははるかに気楽だ。

 

 

公園の中にある寺(詳細は面倒なので調べない)。

 

 

寺の山門(?)内で雨宿りではないが、横着撮影。

 

 

やはり傘がない方が(当たり前だが)構えやすい。

 

 

週末に向けてか、多くの屋台が準備をしている。

 

 

一眼レフをしまい、再びWG-30Wに切り替える。水中撮影も可能な位なので、雨天スナップには最強な筈なのだが、画質がとにかく悪い(GR比なので仕方ないのだが)。しかしこうして使用してみるとそれ程でもない気もする。高感度撮影でなければそこそこまあまあなのか。

 

 

公園の駅の隣、車庫の駅での一コマ。「鮮やか」モードを使用しているとはいえ、なかなかの発色だ。なのに背面液晶の性能が悪く、見る角度によって色の状態がまったく変わってしまい、確認がしにくい。それと画面の縦横比が昔のTV同様の4:3なのも難点だ。3:2で撮影(又は後でトリミング)すると、途端に写真がうまくなったと勘違いする程に写真の質感が向上する事を20年位前に発見してからは3:2画像が手放せなくなっている。なのでWG-30WやiPhoneに3:2モードがあればもう少し活躍の機会が増えるのだが…。WG-6には3:2モード(とGPS)があるので、本気で買いなおそうかと思った程だ。

 

 

雨があがったので再び一眼レフを取り出し、セルフポートレート。

 

 

いつものカカシ。

 

 

再び雨が降り始めたのでWG-30W。

 

 

 

 

◎翌日

 

 

 

 

 

今日は雨ではないので、初めから一眼レフ。せっかく傘を持たずに済んだというのに、初夏のような暑さのために、脱いだ上着を持たなくてはならず、やはり撮影しにくい。

 

 

昨日は公園の中を通ったが、実際に桜が多く咲いているのはこの、公園横を通る道路である。という事で今日はこちら側を通る。

 

 

ちょっとアンダーだが、これが見たままの様子でもある。

 

 

幹から直接生える花?

 

 

通りの中でも一番満開感が高い箇所。

 

 

満開は同時に散り初めでもある。

 

 

通常は16-50mmを28mm付近(43mm相当)で使用しているのだが、↑↓この2枚だけテレ端の77mm相当。これ1本でFAリミテッド3姉妹を網羅しているのだから便利極まりない。

 

 

昨日よりも開花が進んだようで、桜を見るには良かったが、桜しかない…とも言えた。

 

 

昨日目をつけていた中華店。街中華というには少々大きい。

 

 

いつもの炒飯餃子。何故か冷ややっこ付き。ファミレス風な店の規模だが、本格派。もうファミレスには戻れない。この後はあまりの暑さの為にフラフラになり、一目散に帰宅。

 

 

夕刻恒例の、いつもの近所徘徊。近くの公園の桜もまあまあ咲いていた。水銀灯の為、普通に(WB太陽光で)撮ると真緑の世界になるのだが、、今日は水銀灯の明かりでWBをとった。

 

 

こちらの水銀灯は旧型なのか更に緑度が高い。綺麗に補正出来たが、もし普通に撮ると…

 

 

このように、葉と花の区別がつかなくなってしまう程。桜写真としては最悪だが、古き良き時代の水銀灯の夜景の思い出としては良い色だ。但し構図は「もう少しがんばりましょう」。

 

 

 58.10 15.2 / 59.10 16.6

 

 

 

先週末にたぬき蕎麦を食っている時に突然歯のかぶせものが外れた。その時は随分と固い揚げだなとがりがり思いっきりかみ砕いてしまった。その治療(=かぶせもの新造)にと、行きつけの歯医者へとやって来た。その帰り、人形町にある激安蕎麦店。最も高いものでも300円だ。だが冷たいものがないのと、別に行きたい店があったので断念。

 

 

何やら古めかしい自転車だが、それをGR3の「ネガフィルム調」で撮ると、更にシブさが増す。

 

 

奇妙な店名と古風な建物により、かねてから興味深く見守って来た当店舗。だが残念ながら閉店の張り紙。昨年末に一度だけ営業しているのを見たことがあったが、それが最後となった。

 

 

御存知「生駒軒」の、その八丁堀店。土日は営業していない店舗の1つ。

 

 

いつもの炒飯餃子 では史上最高額の1360円。だが場所がらやむなし。炒飯 はコテコテ系、餃子 はニンニクかなりで、美味しかった。
 

 

警察博物館に展示されていたRX-8。2012年迄使用されていたと記されていた。

 

 

高級時計店のショールーム。ボクには無縁の世界…ではなく、当ブランドの腕時計を持っている。しばらく寝かしていた所、猛烈に進むようになってしまったのだが、元々身分不相応な品の為、修理に出すのがかなり辛い。

 

 

御存知の三愛ドリームタワーと服部時計店。こちらの会社の製品はどちらも愛用している。

 

 

だがドリームセンターの下には衝撃的な看板が。長らく銀座の顔だった前衛的なビルも寄る年の波には勝てないという事か。次も三愛グループの建物となるのだろうか。そして再び銀座のシンボルとなり得るのだろうか。

 

 

そしてK-1の看板は再掲示されるだろうか?

 

 

そのまま撮ると真っ黒になってしまうので、やや露出補正。ネガフィルム調ともマッチする。

 

 

SNSで見かけた特徴ある店の看板。場所を調べたまま放置してしまったが、確かこの辺だったなとフラリと路地を曲がり、見つけた。

 

 

御存知銀座に残る踏切警報器。この手前にあった中銀カプセルタワーは更地になっていた。

 

 

御存知竹芝桟橋で、恒例の1本!

 

 

大改造中の田町駅上空。カートレイン発着場…もっと以前には汐留駅直前の側線がずらりと並んでいた頃の面影は今やまるでない。そして世界貿易センタービルが跡形もなくなっていた。

 

 

浜松町駅のホワイトボード。

 

 

水に浮かび、ぐるぐる回る石製の球。以前ちほく高原鉄道の何処かの駅前に同じようなものがあったが、この倍位の径があった為か、まったく回っておらず、なので手で回してみたものの慣性質量は消える訳もなく(当たり前だが)、ものすごく重かったという思い出があった。これはおさわり禁止。

 

 

街中で見つけるとつい撮ってしまいたくなる自転車。

 

 

生活感漂う台所と思われる場所。だが出入口は板で塞がれており、人が住んでいるようには見えなかった。浜松町から線路の西側を北上。いまだかつて歩いた事のない区画だったのだが、この古民家の位置はもはやまったく判らず。これもいずれ取り壊されてしまうのだろう。欲しい。

 

 

新橋まで戻って来た。背後の一面が看板となっているビルの場所にも、ついこの間まで、戦前からと思われる古いビルが残っていた。

 

 

自転車ではないが、スーパーカブも街歩きの良い対象だ。それをいったら大型二輪車だろうが古風な車だろうが「好物」なのだが。

 

 

幸橋架道橋から内幸橋架道橋迄続くガード下。といっても赤レンガ部ではなく、後に拡張された東海道本線と東海道新幹線の間。近年リノベーションされ(2020年頃?)、誰でも歩けるようになった。願わくば綺麗になる前に訪れたかった。

 

 

山下橋架道橋下。やはりガード下もまた「好物」なのかもしれない。目の前は帝国ホテルなのだが、警備が凄かった。職質されないよう注意をしながら通り過ぎた。

 

 

わざと古そうな外観にしているように見えるが、元はもっと古い雑居ビル。なのでこれでも普通のリフォームのつもりだったのかもしれない。

 

 

有楽町まで戻って来た。仲御徒町→人形町(歯医者)→八丁堀→銀座→汐留→竹芝桟橋→浜松町→新橋→有楽町と、なかなかの距離を歩いた。気分としては20km位のように感じたのだが、調べてみると12.5km程。思ったより少なかった。

 

 

超久々の日暮里駅。かつては東北本線にもホームが存在していたが、新幹線建設時にホームを撤去し、線路を東に寄せる事によりスペースを確保した。その痕跡が屋根を支える柱にかすかに残っている場所。

 

 58.40 15.2

 

昨年の浅草編以来2度目の参加となったP社主催の散歩ワークショップに参加した。今回はあの東京駅写真家(→東京駅研究家)として名高い佐々木直樹先生が講師につくというのと、所有しておらずかつ所有する可能性も低いと思われる超広角ズームレンズが貸し出し機材だったという事で、参加してみる気になった。以前P社の100周年パーティーの時にも佐々木先生のワークショップがあったのだが、もたもたしているうちに締め切られてしまうという苦い思い出があったので、今回は秒で申し込んだ。

 

 

京橋の貸し会議室を出て、東京駅に向かう途中の鍛冶橋架道橋の下で。いきなり15mmの超広角が吠える。普段使用の28mmと比較すると異次元とも思える程の広範囲が写る。これに比べると28mm(や当ズームのテレ端の30mm)が望遠レンズのように感じる。講評用に提出した1枚で、しかも10人の参加者中の先陣を切って紹介されたものである。赤面を通り越して大パニックとなったが、意外にも目の付け所が良い的な雰囲気となった。

 

 

こちらはその背後。赤レンガに対する落書きがいかがなものかだがそれはともかく、これも超広角レンズならではのもの。やはりGRではほんの一部分しか映らなかっただろう。

 

 

東京駅々舎の南ウィングにて。右下のおねーさん(?)の存在が全てな写真。

 


東京中央郵便局跡からの定番構図。自身の影より、非常に撮影が難しい。

 

 

 

同じく定番の、駅全貌が写せる場所。さりげなく撮ってはいるが、超広角でないとこうはならない。普段使用している28mmだと、写る範囲はこの1/4程しかないのだ。

 

 

新丸ビル5階部にある展望スペースから駅舎を狙う。19mm。だがこの光の濃淡。一体如何すれば良いのか非常に悩む。

 

 

なのでテラスに群がる人々を背後から狙うというこのような面白写真(?)に転向。その右半分には巨大レンズを装備した巨大(?)一眼レフを構える人々で埋められている。少なくともあと1歩前進したかったのと、もう少しだけカメラを上向きに構えれば良かったかなとも思うが、そんな僅かな事でも雰囲気がガラリと変わってしまいそうなのが超広角レンズである。構図や歪的にはよくなっても、普通の写真に近づいてしまいそうで怖い。これも講評用に提出したもう1枚だが、東京駅撮影会だというのにちょっと変化球過ぎてしまったなと後悔。もう何でもイイから早く次(のヒトに)行ってくれ!と心の中で念じた。

 

 

行幸通りから、駅舎の真正面。これも駅舎はとりあえず(ほぼ)全て写ったが、だから何だというだけになってしまう。17mm。

 

 

となるとやはり面白写真に頼らざるを得なくなる。30mmがまるで望遠レンズのように感じる。巨大出目金レンズ使用率100%な方々!

 

 

面白写真その2。30mm。

 

 

日本の鉄道の父、井上勝の銅像。東京駅駅舎を見つめているが、東京駅の竣工前に亡くなっている。またこの銅像は2代目で、駅舎や駅前広場の改装等で長い間姿を消していたといった事が佐々木先生から語られた。

 

 

新一万円札裏面に登場予定の東京駅舎と「ほぼ」同じ位置。重要なのは画面左橋の木。これが新札にも描かれているといった事も佐々木先生から語られたが、この話は以前100周年記念トークショーの時に聴いていたので、それを意識して撮ってみた。ロケ探マニアであり定点特定マニアであるボクからすれば0点(というか単なる出発点)な写真である。いづれ正確な位置を特定したい所だ。

 

 

駅前広場ではしゃいでいる異国女性(だけ)が肝な写真のようだが、背後の日本の国旗が2本ともたなびく瞬間を狙っていた。これも佐々木先生から新丸ビルにいた時にアドバイスされていた事項だ。

 

 

旗がなびく瞬間を30mmで更に狙う。今日は東北地方太平洋沖地震発生日な為、片方の国旗が半旗になっている。今日しか撮れない写真なだけに貴重だ。

 

 

南側にある掲揚塔には半旗が1つだけ。ビル配置の関係でまったくたなびかない。

 

 

南側のドーム下へ。参加者の一人が直下に寝そべっている。照明の雰囲気を出す為に1段アンダーにしている。

 

 

ボクはといえば、立った状態で、まるでバレリーナのように回ってみる。軸が少しブレた。シャッター速度は0.3秒。100周年パーティーのワークショップに参加していた方のパクりだ。

 

 

カメラの決めた通りの露出。明るい所も暗い所も無難な明るさにはなった。特にドーム上部を狙うにはむしろオーバー側に補正した方が良さそうだ。

 

 

再び-1で、ドームを支える8本の柱の鈍い輝きを狙う。以前のドーム上部は、現在の床に描かれているようなジュラルミン製のものだったという。言われてみればそのような気もする。しかしこの柱はこんな目立つものではなかった筈。とはいえではどんなだったかは思い出せない。

 

 

自由通路がない為、入場券を購入して駅を横断する。DCU5で補正。

 

 

その途中で、山手線外回り/京浜東北線南行ホームの先端に立ち寄る。かつてホームだったらしい場所が長らく廃構のようになっていたが、そこの天井や壁が剥がされている。かつては20年程に渡り毎日のように見て来た場所なのだが、何に使っていたのかは遂に不明だった…が、後で調べてみると、どうやら荷物電車の為のもののような記述を見つけた。渡り線状になった箇所に電車が停まり、くさび状になったホームから荷物の積み下ろしを行っていたようだ。

 

 

東京駅での撮影は終了し、貸会議室へ戻る途中。30mm。

 

 

看板を撮るようなフリをしてわざとらしく…。15mmなので不信感は抱かれない…?!

 

 

14:46。地震の発生した時刻。貸会議室はこの提灯の上。

 

 

本日の相棒。PENTAX K-1mariⅡと、DFA15-30mmF2.8。どちらも重量級で、合計2050g。持ち上げた途端うへぇとなった。K-1とK-1markⅡの違いはまったく感じられず、駅に着くまでの歩行中に自分好みにカスタムした(流石に前後ダイヤルの入れ替えは仕損じた)。

 

 

DFA15-30mmの方は、この出目金状の前玉が特徴。保護フィルターが取り付けられない為、神経を使いそうだったが、思った程気にならなかった。それにしてもこの前玉、つい舐めてみたくなってしまう。

 

 

オマケ。本日の講師である佐々木直樹先生の著書。最右の1冊は100周年記念トークショーの時に購入したのなので、筆者サイン入り。他の2冊は本日のイベント後に即購入したもの。

 

 

PENTAXホームページのイベントレポート記事

 

 

 

 59.10 15.4

 

2011年9/24。幸福駅。車では初となった北海道旅行の一コマ。車なので機材はふんだんに持っていける事から、頂いたばかりのPENTAX 645一式を持って行った。だがケチって期限が(かなり)切れたリバーサルフィルム(これも一緒に頂いたもの)を使用した所、こんな残念な事になってしまった。

以前ならこれをフィルム(もスキャン出来るフラットベット)スキャナーで取り込む所だが、色調整が難しい(というか出来ない)為、20年の時を経て今回はPENTAX K-1でRAW撮影。付属ソフトでトーンをかなりあれこれいぢくって少しは見れるようになって来た…とはいってもまだもうひと頑張りが必要だ。

 

 

2011年9月26日、標津線奥行臼駅跡。国鉄末期のローカル線の風情がそのまま残っていた。

同じく色調整。リバーサルらしい雰囲気にどうにか修正出来た唯一の写真となった。

 

 

2011年9月29日。函館本線銀山駅。列車がくるまで待てない短気さが鉄道撮影には向かないのだが、それはともかく、この色褪せ感も手伝い、SL時代を彷彿させる光景と言えなくもない。

まあまあだが、まだもう少し改善の余地がある。

 

 

2012年3月24日。1週間後に廃止となる長野電鉄屋代線の綿内駅にて、駅前駐車場(?)に車を停め、車内宴会をしながら到着する列車(旧営団3000系)を見送るという楽しい一夜を過ごした時のもの。流石に645は列車が来ない時に1枚だけ使用。

当時の他の写真を見ると、水銀灯の緑被りが激しかったので、この色は本来のものではない。が、それらしくしようとしてもどうもうまくいかない。その後線路やホームは徐々に撤去され、これは残るだろうと思っていた駅舎までもが近年解体されてしまった。よってこれも貴重な1枚である。

 

 

その翌日。八ッ場ダムの完成にともないダム湖に沈む美しい集落を不動大橋上から中判で撮ったものの、同様に残念な酷い色になってしまった。なので愕然とし、以降はまったくポジを見返す事もなかったのだが、ダムが完成し、この光景が湖の底に沈んだ今となっては、貴重な写真となる。元々はこの写真を復元したいという思いから始めた中判フィルム複写修正作業だった。

ちょっとイマイチ。70点位か。だが色はともかく、元のポジをルーペで拡大してみると、そのあまりの精細さに驚愕する。やはり腐っても中判(←いや決して腐ってはいない)。ケチらず普通のフィルムを使用していれば良かった…

 

 

 

2003年夏。新鮮組を題材とした舞台を観てハマり、毎週のように京都を訪れていた時のもの。二眼のミノルタオートコードをわざわざ持って行っていたようだ。前玉が傷だらけとなってしまった古いカメラでも、決まればこのような美しい絵が出る。RVP100という、色の鮮やかさに関してはかなり反則的なフィルムを使用。今でいう「鮮やか」を使用しているようなものか。

 

 

同じ場所。但しココが何処なのかいつなのかの記録も記憶もまったくない。リバーサルの複写ならば、見えるままをそのまま撮れば良い為、デジタル化は最も難易度が低い。

 

 

1998年8月10日、愛犬を白黒フィルムで試写。15歳ではあるが、まだまだ元気だった頃。

 

 

1999年6月13日(か12日)の街歩き。赤坂プリンス旧館。背後には今は亡き新館がかすかに写る。白黒ネガの場合も、比較的簡単にそれらしいデジタル化を行う事が出来た。

 

 

同日。白黒撮影の後、ネガカラーフィルムに詰め替えた模様。だがカラーネガフィルムの調色はなかなか難しい。相当長い時間に渡ってかなりこねくり回したが、このどうにか見れなくもない程度にしかならなかった。この場所が何処だかは今や知る由もないが、千代田区隼町3丁目である事が地名を記した看板に(元画像では)記されていた。右に写る〇水ビル→清水ビルは健在だが、正面の相良ビルや、その更に左の町工場風の建物は跡形もなかった。

 

 

こちらは簡単。交差点名が記されており、新宿通り北側の半円筒状の屋根を持つビルを含む全てのビルが健在だった。

 

 

ココもよく見ると交差点名が読める。画面右の信越食品の運営するゆで太郎は現存。フランチャイズ契約での同名店舗を展開する「ゆで太郎システム」の設立は2004年。ボクがゆで太郎の存在を知ったのは2013年頃。ゆで太郎の名を広めたこのゆで太郎システムの存在は大きい。

 

 

民家や雑居ビルが立ち並ぶ魅惑のエリア。おそらくその為に撮影したのだろう。ココは交差点名がないが、よく見ると「二七通り」と通りの名が写っている。それと「オギムラ薬局」という記述を元に古いGoogleストリートビューの画像からなんとか場所を特定出来た。古い建物は徐々に取り壊されていったが、中央に写る最後の2軒は2020年頃迄残存していた。

 

 

田安門。遠くには軍人会館こと九段会館が元の姿で写っている。

 

 

高燈篭 常燈明台。遠くには日本武道館の玉葱がチラリと写る。歩道橋から撮影した模様。

 

 

同じく歩道橋から東側をのぞむ。高校の入学式及び卒業式を行った思い出の軍人会館が可能な限り多く写る場所を選定したと思われる。

 

 

九段下交差点から南方向。軍人会館が更に大写しに。ベストポジションは交差点の中央付近なのでそれは無理としても、もう少し良い場所良い構図を探せば良かったのではないか。

 

 

街歩き最後のこの写真もまた魅惑な光景だが、おそらく現存しないであろうから、店名での検索も不可能(中根速記学校は別の場所に移転して存在)。

 

 

同じ場所から撮ったもう1枚に決定的な手がかりが写っていた。1枚上の写真にはないビル名又は会社名が記された看板が画面右端にチラリと見える。九段下周辺で「東宝」で検索してみると、先程の交差点から1区画東側の俎橋交差点から東側を向いた所に「東宝土地」という会社が現存している。この魅惑の老ビルは2009年頃まで現存していた事がGoogleストリートビューの過去映像で確認出来た。流石にこの場所だけは判らないだろうと思っていただけに大満足だ。本来はカラーネガをデジカメで複写してのポジ化がいかに困難かを語る為の多くのカラーネガ作例だったのだが、四半世紀前の自身の歩行軌跡を追うという、自分探しの旅のような事となった。

 

 

同日(1999年6月13日(か12日))夜、愛犬「みみちゃん」。ストロボ使用。16歳目前。

 

 

1枚上のネガと同じだが1段明る目に撮影したもの。詳しい理屈は判らないが、結果的にこちらの方が色調整並びにコントラストが出し易かった。みみちゃんはこの約1か月後に星になった。

 

 

複写中の様子。PENTAX K-1 と、SMC PENTAX-A 645 MACRO 1:4 120mmの名コンビ。

 

 

 

 58.60 15.9

 

何年ぶりかの、国境の向こうの除雪ステーションでの車中泊。ここまでは出来るようになった?!

 

 

適度に起き、越後中里駅へ。当駅折り返しの普通列車が中線で出発の時を待っていた、。

 

 

跨線橋上から越後湯沢方面を望む。岩原の大ゲレンデが見える。

 

 

同じく東京方面。当駅は何故か方向感覚が狂う。車で訪れる際、峠を越えた後、直角ターンを2度繰り返さなければならない事が原因と思われる。

 

 

そこら辺のややこしい地理が色あせた案内看板に記されている。

 

 

現在のスキーセンターが開設される前に、地上へと続いていた階段の傾斜跡がかろうじて残る。

 

 

8:06、いつもの3088列車を、国境の向こう側で(やっと)捉える事が出来た。

 

 

だがハイシーズンは逃してしまった為、迫力のない写真ばかりとなってしまった。

 

 

越後中里駅の駅前にあるメインリフトと、当スキー場の創業当時からと思われる休憩施設。

 

 

こちらも駅側にあるやはり創業当時からあると思われる施設。当スキー場の歴史を調べてみるも、多くのネットにはその詳細がない。しかし困った時の神頼みである国土地理院の航空地図を紐解くと、1963年のものには既にゲレンデやリフトの様子が写っている。但しそれ以外の駅前施設(当建物を含む)が写真が写っていない事から、1963-64年シーズンの開場なのではないかと思われる。しかしその後の写真は2001年までなく(ボクが当スキー場に初めて訪れたのは99年)。新スキーセンターや、ブルートレインという名の旧客群が設置された時期を調べる事は出来なかった。

 

 

水上行きの上り列車を、こんな中途半端な位置から狙うもうまくいかず。どうせなら先程の位置から練習も兼ねて撮れば良かった。

 

 

場所を移して石内駅へ。ココもかつては大量の乗降客で賑わったのではと思われる立派な駅舎が残る。それだけでなく、かつては機関区があり、ここで重連の解結が行われたばかりか、ココで蒸気機関車と電気機関車(水上~石内間は開業時から電化されていた)との付け替えを行っていたという。1977年頃までは転車台の様子が見れらたものの、その後の2000年の写真では、ほくほく線の特急用と思われる細長い研修庫が現在と同様の姿を晒している。やはりその間の写真はない。

 

 

 

国鉄時代のコンテナとの2ショット。C11形は、現在の主流となる12ft級よりもやや短い11ft級。その後12ft級のものが普及するにつれ、コキ5500といった当時の主力コンテナ車には5個積みする事が出来ず、4個積みに改造されて使用された(事を当時の鉄道模型カタログでかろうじて覚えている)。

 

 

スキー場通いを始めた頃にはまだ営業していた食堂。2013年頃には不定期ながらまだやっていたのだが、その後廃業した模様。

 

 

十二峠トンネルを超えてしばらくいった所にあった風景。これと同じものを同じ露出で645でも撮影した。果たしてどうなるか。その絵を見る事が出来るのは果たしていつか?

 

 

この先雪道は皆無と思われた為、引き返す事にした。魚沼スカイラインは一部走るのが大変怖い区間がある。

 

 

すっかり雪のなくなってしまった湯沢市街。なので(かどうか不明だが)関東へ戻る事にした。

 

 

旧道の急坂をわざわざ走る。一方通行。

 

 

三俣手前にある雪覆い。

 

 

二居スキー場旅館街の看板が残る。

 

 

二居本陣富沢家。詳しくはないのだが、ココ(も三俣も浅貝)も三国街道の宿場町。本陣もあっただろう。それが残っている事が凄い。

 

 

先週新三国大橋について調べたが、旧…というかただの三国大橋はこんな所にあった。

 

 

眩いばかりの苗場スキー場。かつては三国街道の浅貝宿があった。

 

 

トンネルを抜けた所にあった看板。山道が赤で記され、国道を含む多くの自動車道が薄い灰色で示されていて、見慣れるのに苦労する。旧三国街道は永井宿付近から山道になる説のほかに、法師温泉経由で三国トンネルの直前(つまりココ)までの説を見つける事が出来たが、その詳細の一部がこの地図に記されている。

 

 

まだ帰るには早かったので、オカポンにも寄ってみた。だがこの何もない所であと1~2時間待つ気力もなく、退散する。

 

 57.70 15.5

 

渋川市、棚下不動の駐車場に突如出現した不動明王像。元々は駐車場に突如出現した石だったのが長年放置され、ココ数年仏師による作業が行われていた。先の大地震の時に、河岸段丘の上から落ちて来たというから驚きだ。加工前の推定重量は200t、ざっと現代の電機機関車や、かつての蒸気機関車2両分。当然、線路でもなければ到底運び出せないし、それどころか広場の隅に移動させる事すら不可能(100t級の自走可能なクレーンがココまで来る事はおそらく無理)。故にこの場所での有効活用という事になったのだろう。

 

 

地平から(推定)30m程の高さにある不動尊までやって来た。

 

 

不動尊本堂。太古に建造されたものが近年まで残っていたものの、火災により焼失し、その後再建された。どこかの看板にその旨が記されていたのだが、写真を撮り損じた。興味があるヒトは現地を訪れると良い。また画面左側には、奥院へ繋がる参道が見られるが、やはり先の大地震で崩落し、通行止めとなっている。

 

 

崩れた参道は投棄され、「左岸」とも呼べる位置に新たな参道が2019年に建設された。

 

 

滝のすぐ下までやって来た。参拝者達が積み上げた石が非現実的な光景を形成する。

 

 

雄滝は裏見の滝となっており、滝裏の通行が可能。その先には奥院があり、更にその先にはかつての参道が少しだけ残存している。

 

 

こちらは雌滝。やはり裏見の滝となっていそうだが、遊歩道は特にない。登山家なら訪れる事が出来るかもしれないが、地震で大きな岩が落ちる位なので、かなり危険だろう。

 

 

いつもの3088列車が、古い集落の頭上を越える姿と、その更に上の崖上に国道17号がゆく様子にしたかったのだが、ちょっと欲張り過ぎた。これで200mmなので、これ以上切り取るには150-450mmが必要となる。あと3両目の空コキが残念だ。

 

 

その後、三国峠超えへと向かう。

 

 

猿ヶ京除雪ステーションに掲示されていた村内案内板。その説明によると、三国トンネルを含む不通区間の開通は昭和34年だが、その前後の道はその後に整備された事が記されている。雁坂トンネルとその前後区間との関係に似ている。三国大橋(正しくは新三国大橋)が昭和38年に開通し、やっと全線が2車線となったようである。という事はそれまでは1車線の区間もあったという事だ。旧三国大橋は一体何処を通っていたか等、実に興味深い。

 

 

トンネルの直前の三丁橋。昭和33年10月に竣工した事を橋自らが語る。

 

 

令和4年開通の新三国トンネル(左)と、昭和32年開通の三国トンネル)。

 

 

この先雪道を走れる事はなさそうなので、トンネルを抜けた所で引き返し、今来た道を戻る。

 

 

沼田駅前にある、沼田駅開業よりも以前からあるいつもの蕎麦店にて昼食。

 

 

「ざる」の大盛。GR3。

 

 

同じ構図をiPhone14でも撮影。「どちらをメニューの写真に使いたいか」といえば後者となるだろう。このように明暗が激しい状況では自動補正が働くのかもしれないが、しかし実際の様子はGR3で撮ったものである。

 

 

まるで城のような東吾妻町役場。いきなりこんな役場を建てたら「税金の無駄使い」と叩かれる事が目に見えるが、閉鎖されたかつての温泉施設を改修し移転したとなると、エコ感が一気に高まる。しかしその温泉施設もまた町営だった事を考えるとまた話がややこしくなりそうだ。元々複合施設であり、浴槽部は右端の棟のみだったのだが、その部分は今はどうなっているのだろう。

 

 

先週に引き続き、またもや八ッ場ダムへとやって来てしまった。というのも先週もらったダムカードをあっという間に失くしてしまった為だ。申し訳ないと思いながらもう1枚いただいた。

 

 

道の駅から不動大橋を少し歩く。かつての渓谷の左右に広がる水田と、国道と、吾妻線の路盤は一切見る事が出来ない。

 

 


2012年10月28日。カメラの仰角と画角は異なるがほぼ同位置。こんなにも幻想的で美しい光景をぶっ壊してしまったのだから、良い悪いはともかく、とにかくもったいない。

 

 

道の駅内の足湯。24時間営業なので、深夜に全身浸かってしまおうか考えた事もあった。だがもし見つかったら今ならかなり叩かれる事になるだろう。

 

 

道の駅太田で半額セールをやっていたので、遅い夕食(右の方のみ)。

 

 

道の駅五霞近くのスーパーで、高級寿司が半額になっていたので飛びついた。しかし半額でも高価だ。しかも醤油が付属していなく(車内にも在庫はなく)、流石にちょっと物足りなかった。

 

 

翌朝、早起きしてワシクリ(第2)へ。真っ暗な中での撮影はもうイイので、6時着。光の向きも考慮して東側に陣取る。

 

 

6:10、下り4083列車。上り列車を撮るのに良かった踏切が閉鎖されてしまい、上り下り共に撮るのに苦労する。

 

 

6:16、いよいよあと数年となってしまったEF65の牽引する上り4072列車。2086号機。

 

 

6:42、トヨタロングパスエクスプレスという愛称を持つ下り4051列車。おそろいの専用コンテナをずらりと連ね、名古屋と盛岡の間を結んでいる。

 

 58.05 15.3