遂に越中宮崎の謎のパーキングへ。何と7年ぶりよ?! | PRYCE16写真日記

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一日目

最近気になっている廃国道が眠る猿ヶ京の新三国大橋を通り…
 

 

やはり旧国道の上空をゆく萱付の新境橋を通っていつもの湯沢エリアへと向かう。

 

 

いつもの下り2071貨物列車にギリギリ間に合ったと思ったもののやって来ず。諦めてウロウロしていたら急に列警がなり、慌ててカメラを構えるものの設定が全く出来ておらず、悲惨な写真に。まさかのクロップが入っていたが、前回一体何を撮ったのか(→自宅付近上空を飛ぶ旅客機)。それでも機番がバッチリ写っていたのは不幸中の幸い…⁈
 

 

RAWにはクロップ前の画像が残っているので、現像ソフトを使用すると周囲が見えてくる。

 

 

露出も補正した所、この程度までは復元出来たものの、だから何だという感じだ。貨物列車が数分間来なかったからといって即ウヤと思ってはいけないという事は過去に何度も体験していた筈だったのだが、まだまだ身についていないのであった。

 

 

1泊目(神立除雪ステーション)

その後、いつもの車中宴会で明日以降に備える。昼食を採っていなかったのでがっつりと。

 

 

 

2日目

土樽駅へと向かういつもの道がうっすら雪景色。

 

 

本日は保線のヒトも山登りのヒトもいなかったので、駅舎と記念撮影。

 

 

朝食はローソンのデカおにぎり。お値段据え置きなのが良い。

 

 

駅前の地図(北が上でない地図を見るのは本当に苦手だ)に、最近凝っている清水国道が描かれていた。馬車が往来出来る緩勾配をとる為に、等高線に沿ったぐねんぐねんの道になっている(右端の茶色い点線)。明治18年に開通したものの、わずか1カ月後に土砂崩れが発生し数年後には放棄されたという幻の国道だ。

 

 

この場所も候補のひとつだ。77mm相当のX1.7クロップで130mm位。これであともう少し上を向けられると良いのだが、関越道の巨大なアーチ橋が邪魔をする。堰からあふれる水をカットし、270mm位で狙うのも手か。

 

 

特に意味はないが、相変わらず森君(このフォレスター)には雪景色が似合う。親バカ的言動になるが「恰好イイぜっ!!!」。まもなく17年、走行18万kmなのでそろそろな気はしているのだが、本当はまだまだ乗りつづけたい。

 

 

8:07、松川橋梁をゆく上り列車を狙えそうな場所を往路で発見。例年なら高い雪壁により、撮影も駐車も困難な場所だ。しかし例によって機関車直後の空コキが残念。それと、石造りの橋脚がうまく写らなかったので、中途半端な構図になってしまった。200mm。

 

 

本日の使用機材の背後に機関車を入れる。三脚座に滑り止めの皮を貼るに当たり、付属していた銀色の台座にボンドをベタベタ塗るのは流石に抵抗があった為、黒色品をクラブハウスで購入。スクエア新宿時代から度々売りに出されていたが、こんなもの絶対に買う事などないだろうとあの頃は思っていた。まさかこの三脚座を使用する大型レンズを2本共入手する事になろうとは。150-450mmはともかく、望遠F2.8遠しの銀色ズームは既に持っていたにもかかわらずこの銀色の70-200mmに手を出したのは、黒色よりも安く、しかも底値(当時)だったものでつい…

 

 

R253を利用し、直江津(上越)へ直行。津波により壊滅した直江津海水浴場の横を通過。

 


谷浜駅にて。直江津迄は昨年訪れたが、それ以西の元北陸本線沿いを訪れたのは何と7年振り。ずっと体調が悪くて、長距離車中泊ドライブとは疎遠になっていた。
 

 

11:33、下り3093列車。この後、ズーミングしてしまった為、車両は似たようなサイズのまま歪みばかりが増えてしまった。シロウトなのだからそんな難しい事をしなければよいのに…

 

 

谷浜駅名物のものすごく低いホームには、あちこちに金網が出来ていた。

 

 

跨線橋直下に柵があり、ホーム端まで行く事が出来なくなっていた。なのでこんな所から上り列車を狙う。

 

 

12:05、上り4060列車。やはり引き付けが足りない。次位の空コキ群も残念。

 

 


名立、筒石、能生といった旧線跡を進み、梶屋敷駅へ。やはり7年振りという事もあり、途中色々変わっていた。名立と能生の道の駅のランドマークだった風力発電機がなくなっており、旧名立駅の駅舎も無くなっていた。

 

 

13:08、下り3097列車を待ち伏せるものの、残念ながら単機。
 

 

糸魚川市街を通過。妙に新しい建物が多い。

 

 

崖沿いの道を進み、旧道を通って親不知駅前を通過。

 

 

越中宮崎駅近くにあるポツンとコンビニで手作り弁当を購入。
 

 

北陸本線旧線の隧道迄、旧線路盤上を走って到着する。

 

 

越中宮崎駅々前を通る。向かいの旅館が建て替えられており、大きな公共駐車場も出来ていた。

 

 

越中宮崎駅近くの海辺にある謎の駐車場へ到着。20数年前、琵琶湖畔から一人、北陸回りでシタミチをちんたら走って帰った時に、柳ヶ瀬トンネルや山中峠を走り、金太郎温泉に入り、さて何処で寝ようかという所で見つけたのがココだ。以来北陸本線を訪れる際の定宿となっていた。北陸本線最終日の翌朝、生まれて初めてET127形気動車を見(て愕然とし)たのもココだった。
 

 

周囲には誰もいない…事もなく、漁業関係者らしきヒトの姿をチラホラ見かけた。

 

 

先程購入したコンビニ弁当をこの思い出の地でいただく。ココで宿泊するにはまだまだ不安が大きいが、かつてココで宿泊した際には先程のコンビニまで飲料を追加しに行った事もあった。片道900mかけてでも飲みたかったのだろう。

 

 

市振駅。ここは北陸本線最終日に訪れ、越後湯沢駅とを結ぶ特急列車を、平日にもかかわらず多くの同業者さんと撮影した思い出の地だ。その日はダイヤが乱れており、突然通過警告が鳴った際にすぐさまカメラを構えたのはボクだけだったというのも良い思い出だ。

 

 

駅舎内の太古の観光案内絵図がお気に入り。ココまで来る道(の過去の姿)が、まるで絵巻物のように描かれている。上路村という過去の集落を知り、訪れた事もあった。

 

 

煉瓦造りのランプ小屋が現存している。駅舎と同じ1908年製。

 

 

貨物列車通過の注意を促す張り紙。列車番号が何の説明もなく記されていたのがツボだった。

 

 

天険トンネル近くにあるパーキングから見た国道8号。険しい箇所にはスノージェットが設置されているが、これがなかったら相当怖い。周囲には打ち捨てられた旧道も各所に残る。

 

廃レストランかと思ったが、ホテルは営業中。ホテルの竣工年を航空地図から探ってみた所、昭和39年には影も形もないが、昭和40年には何やら工事をしている気配が写っていた。ちょっと泊まってみたいような気もする。この先の遊歩道は、昭和41の天険トンネルの開通までは国道だった。ココから100m程崖を下ると、旧北陸本線のトンネルを拝む事が出来る。

 

 

有間川駅を素通り。おそらく何も変わっていないだろうからというのが理由だが、こうしてみると駅舎は随分と広い。カフェとして改装中との事。

 

 

2泊目(渋柿浜パーキング)

上越市まで戻ってきた。犀潟駅近くにある渋柿浜のパーキングが本日の宿。遅い時間に昼食をとった為、夜の宴会はおつまみ程度に。
 

 

ココの何がイイかというと、信越本線のすぐ横という事に尽きる。時刻表を横目に、列警無線をBGMに宴会という至福の時を過ごせるのだ。18:30、下り85列車。

 

 

20:22、上り70列車。機番はまったく読めないが銀釜であるEF510-510、通称「後藤後藤」。3色ある後藤の比率は、赤:青:銀=23:13:2(九州300番台を除く)であり、銀釜遭遇率は1/19となる。その希少なタイミングがこの写真とは残念。

 

 

外は暴風霰。あまりに寒く、この後は外に出るのも億劫になってしまった。

 

 

 

3日目

5:43、ほくほく線の列車が上下線の間の路線をゆく。早起きはしてみるものの、霰は夜更け過ぎに雨へと変わり、更に撮影欲が減退する事となった。1/125、F2.8、ISO51200。

 

 

5:50、下り4061列車。同じ露出だとちょっと露出オーバーになった。

 

 

6:09、えちごトキめき鉄道の車両が下っていく。空が少し明るくなってきたからか、1/125、F3.2(2.8だったのが勝手に動いた)、ISO6400。しかし直前に通る筈の下り4075列車はやって来なかった。昨夜の強風で遅れているのか?7年前に比べると、超高感度特性に優れた機材があるだけに残念だった。

 

 

昨夜食わなかった炒飯焼きそばという重い朝食を摂取して時間を潰す。

 

 

土底浜駅にて。


 

7:15、下り4095列車。列警が鳴らないので来ないのかと思い、一旦ひきあげようとした所で急に鳴り始めた為、上りホームの端(結構遠い)までたどりつけず。ハイテク機器が時に足かせとなる。せめてあともう少し左を向いていればまだ良かったのだが。

 

 

下り快速列車は非情にも通過してゆく。

 

 

半面、上り列車は豪華6両編成。越後トキめき鉄道の列車が戻ってきた。越後トキめき鉄道鉄道妙高はねうまラインもココも、元は同じ信越本線だった。

 

 

2連×3編成はそのどれもが色が異なっていた。その中間に国鉄っぽい車両が挟まっている。

 

 

「新潟色」なのは何となく判るのだが、リベット打ちで、まるで銀座線の初期車両のよう。

 

 

純正カラーを纏う後部2両。

 

 

8:02、上り80列車。長大な直線が続くので撮りやすい。

 

 

その後上下浜へ移動。8:53、昔はEF81だった下り4091列車。ひきつけ具合はまあまあだが、ケツが切れている。一応順光の部類には入るものの、微妙な光加減だ。

 

 

8:58、上り4076列車が20分程遅れてやって来た。やはり長大な直線が続く。
 

 

見事なフルコキだが、後半はスカスカが続く。行く先にはものすごい色の空が広がる。首都圏では見られなくなってしまった後藤ことEF510だが、何だかお腹いっぱいになってしまった。

 

 

天気も悪くなりそうなので、走り慣れた湯沢で雪遊びをしようという魂胆の元、まだ少し早いが戻る事にした。往路とまったく同じルートというのは能がないが、わざわざ遠回りする事もないだろう。普段あまり通らないR252なので何度走っても結構新鮮だ。

 

 

湯沢は晴れだったので、更に帰路へと向かう。苗場では地吹雪に遭遇する。

 

 

旧三国トンネル時代の道路上に車を停めてみる。

 

 

猿ヶ京のローソンで軽い昼食。前回も同じものを食った覚えがある。

 

 

猿ヶ京から水上へ抜ける凍てつく峠道で、おそらく今シーズン最後であろう雪遊びをする。水上周辺での貨物列車撮影にも飽き飽きしてしまい、そのまま大人しく帰路につく。

 

 

3泊目(近所の道の駅)

家まであと少しな道の駅で車中泊。車中宴会が出来れば別に何処でも良いという事なのだろう。最終日という事もあり、豪華に炒飯餃子。ポテトサラダは結局食わずに家への土産になった。
 

 

 

4日目?

翌朝早朝のEF65牽引の上り貨物列車を第1ワシクリ陸橋上で待ち伏せ。最近のお気に入り機材(K-33&16-50mm)を使用したが長さが全然足りず、まさかのX1.7クロップを使用して130mm相当にしたがそれでもまだまだ足りない。70-200mm位(をフルサイズて使用するの)が適当だったか。
 

 

ココもまた、変な柵のみならず、変な通信ケーブル(?)の設置の波紋で、極めて撮りにくくなってしまった。しかしEF65ももはや風前の灯なので、撮る意義は大いにある。

 

 58.45 16.7