本当に景気は回復したのか、

それとも、

見かけだけの回復なのか。


様々な議論が巻き起こる中、

人材不足だけは疑いようのない現実になってきた。


かねてから

人材不足だった外食産業やシステム系の企業はもとより、
商社、小売、金融とあらゆる業種で人材の争奪戦が繰り広げられている。


各企業は、

バブル崩壊後の採用枠縮小によって、

中間管理職の不足に悩まされているうえに、
団塊の世代の一斉退職も間近に迫っているからだ。


さらには、

少子化によるパイの縮小で、

採用戦線は今後益々過激になると予想される。

では、この状況はいったいいつまで続くのか。


その予想も極めて重要ではあるが、
我々経営者は、

その前にもっと根本的な時代の変化を認識しなくてはならないだろう。

バブル崩壊の直前、極限まで膨らんだ経済の中で起こった出来事。


それは現在の状況に酷似している。


人手不足による倒産、

そして異常なまでの人材争奪戦である。


仕事はいくらでもあるが、

それをこなす人材がいない。

一人採用しようと思えば、
文系で200万円、理系なら300万円の採用経費は当たり前だったという。


そのうえ破格の好待遇。


内定者に車を買い与え、海外旅行に連れて行くなど日常茶飯事。


バブル崩壊後に社会人になった人には、

想像もつかないような世界だった。


では、あの異常な事態が再び繰り返されるのか?


私はそうは思わない。


その理由のひとつは、バブルの崩壊により、
企業が数合わせの採用の無意味さを学習したこと。


そして、

最大の理由は、世の中が変化したことである。

今の日本は、十数年前の日本とは、まったく違う。


だが、この現実に気がついている経営者は、

あまりにも少ない。


経営者が順応しなければならないのは、
働く側の価値観の変化、

そして、

企業が求める人材像の変化である。


特に、人材像の変化。


これに順応できずに、

業績に連動した採用をやり続けると、
間違いなく崩壊への道を歩むことになる。

では、

企業が求める人材像はどのように変化したのか?


一言で言えば、

数から質に変化したということである。


現在の日本にあって、

バブル当時の日本にはなかったもの。


それは、企業間の競争である。

当時、企業競争がなかったとは言わないが、
そのレベルは、

とてもではないが現在の比ではない。


人口が増え続け、

マーケットが拡大し続ける中での競争である。


いいものを、できるだけ安く、大量に生産する。


そうすれば、

業績は拡大したのである。


当時のビジネスに、もっとも必要なもの。

それは、「ある程度」優秀な人材の数だ。

だが、

現在のビジネスはそんなに単純ではない。


今や日本の消費者は、

安いという理由だけでモノを買わない。


同じ商品を、同じターゲットに、

同じやり方で販売できるのは2年が限界。


もって3年というところである。


つまり、

毎年のようにビジネスモデルを高度化していく必要があるということだ。

求めるべきは、

新たなビジネスモデルを作り出せる突出した人材。


そして、

その高度なビジネスモデルを実行できる人材なのだ。


バブル時の人材不足倒産は人手不足によるものだった。


だが今後は、

人材の“質”不足による倒産が続出することになるだろう。






「顧客満足度日本一」

ホンダクリオ新神奈川が実践していることの一つに


【30S】というものがあるそうです。


よく、4S,5S、・・・7Sという行動指針はありますが、


よりによって


30Sとは・・・


でも、内容を見て、解りました。


「基本・基礎」という事だと思います。



【30S】


1.整理


2.整頓


3.清掃


4.清潔


5.躾


6.作法


7.清楚


8.素直


9.親切


10.誠実


11.信用


12.真剣


13.正義


14.辛抱


15.債権ゼロ


16.スピード


17.スマイル


18.サンクス


19.サービス精神


20.センス


21.ショールームはリビング


22.節約


23.率先垂範


24.切磋琢磨


25.趣味の推薦


26.心配が仕事


27.先輩がマニュアル


28.失敗は会社の財産


29.創意工夫


30.先生はお客様


ふ~っ~


かなり苦しい部分はありますが、

日常業務は、この30Sを追求するだけで良いような気がしますね・・・


「頑張り易い仕組み的なもの」を考える事が大事ですね!





昨年、上期頃からの人手不足。


景気の上昇に伴い、

その人手不足が一層、拍車をかけている。


東京、以外でも名古屋、大阪、九州地区、

人手不足の状況は特に著しいようだ。


物流業は労働集約産業の為、

当然、今のこの状況による痛手は大きい。


しかし、

そもそも、この労働集約型を脱皮できなければ、

物流業界は利益が出ない。

「運送業は走れば走るほど儲からない」

と、言い続けて約15年ぐらいになる。


その意味合いとして、2つのことを伝えたい。


1つは、

長距離輸送は、原価構造として、

ドライバーの高い賃金と燃料代、
高速代を入れると採算が取れないということである。


僅かな帰り荷を確保しても黒字化は難しい。


発荷と着荷に関係なく両面(行き帰り)の荷物をしっかり確保するか、
増トン車、又は4tパワーゲート、3t、2t、軽車輌クラスに力を置き、
点から線、線から面に配送密度を高くすることに尽きる。


また、もう1つは、

車両を使う業務を「従」とし 、
「主」を車を使わない流通加工やセンター運営に力を入れ、
1人当りの生産性を上げ、業務を短時間で終らせる。

いわゆる“人繰り”による利益化を図ることである。


また人件費を変動費化し、

できるだけ安価な人件費で高付加価値業務を生み出すことでもある。


車両業務が主力となると、

なかなか替わりの人手を見つけることができないが、
人工業務になれば、

パート、アルバイト、人材派遣のメンバーが替わりを担える。
ただし、

多能工化を図ることは必須で、

1人のスタッフが最低でも3つのポジションを担当できなければならない。


更に、

人材派遣会社の構成比率が高すぎてもコストアップにつながる。


また、

派遣会社との契約も時給ではなく出来高であれば一層生産性は上がる。


プラウドは、既存の物流会社とは逆に、

ドライバーの人材派遣から、

走らない物流会社に転換していくつもりです。




私たちの行動の9割を無意識(潜在意識)が動かしている、
と言われます。

 
朝起きて歯を磨いたり、靴を履いたり、自転車に乗ったり、
という日常的な行動は、“何も考えず”にやっています。

「今日は歯磨き粉を2センチつけるぞ!」

という命令をいちいち出さずに自然にやれているのは、
その命令を見えないところで出している
「潜在意識」の動きのおかげです。

行動だけでなく、思考も潜在意識が動かしています。

あなたは、今日、何かの決断をしたはずです。

2つの内、どちらかを選ばなくてはならない場面があったはずです。

それは、
昼食のメニューを選ぶ時かもしれませんし、
クライアントに電話をするかしないかと
決める時かもしれません。

 その時、その決断を促したのは「何」でしょうか?

 「なぜ」、それを選んだのでしょうか?

それは、
その時に意識もしていなかった“何か”の動きなのです。

これは、決してオカルトな話ではありません。

私たちは、
心の奥底で思考や決断を促す“何か”を持っています。

ある人は、
それを「価値観」「志」といい、
ある人は
「セルフイメージ」といいます。

氷山で例えて説明しましょう・・・

氷山は、その大半を水面下に隠し、
水面上に出ているのはごく一部です。

人の意識や行動も、この氷山と同じで、
その大半が水面下に隠れています。
 
水面下に隠れている部分が、
その人の行動の性質を決めているのです。

それが「何か」を知れば、
企業の経営者であれ、部下であれ、クライアントであれ、
どんな人の行動のパターンも読めるようになります。

すると、様々な「何か」が透けて見えるようになるのです。

では、その具体的な方法とは何でしょうか?

・「相手」になりきる。

・「相手の対象」になりきる。

・「相手の傍観者(客観者)」になりきる。

・「全体のストーリー」をイメージする。

・矛盾点について「確認」「検証」「修正」を施す。

総てが「特別」ではありません。
水面下の大半は総てに共通する事柄で構成されています。
したがって、
見えている部分の「何が違うか?」
「なぜ、そうなっているのか?」を考える事によって、
仮説による追体験のような事が可能になります。
そう、「観察する視点」が「複数(3つ)」であれば
現在地が特定出来るように・・・

誰でも変われます。
「なりたい自分になりましょう!」




私には夢がある。

プラウドの社員が、
派遣スタッフさん達と、お客様と、
真剣に現場の改善について語り合い、
笑顔で働く喜び・・・



私には夢がある。

プラウドに関わる人、総てが健康で、
四季折々に、その健康に感謝し、
親、兄弟、家族、友人、知人、同僚、スタッフ、お客様・・・
総ての人達に支えられながら、
物心ともに豊かな人生を紡ぐ・・・

私には夢がある。



プラウドの仕事初めに、笑顔の家族が集い、
前年の充実を反芻し、家族や仲間の支えに感謝する。
家族や仲間への愛情をエネルギーに、
新しい一年への勇気を充填する。
愛すべき人達の「誇り」が、
私達の歩むべき道を照らす・・・



私には夢がある。

溢れる情熱と豊かな人間性に支えられた、
プラウドのOB達が巷間で活躍し、
私達が築いていく、
「誇り」に根ざした行動基準(イズム)が、
世の中の「現場」に浸透し、
あるべき姿に近づいていく・・・



私には夢がある。

より良いサービスを、適切な価格で提供し、
関わる総ての人がHappyな仕事・・・

皆さんの友人、知人、身内が、
共に働きたいと思える会社・・・



経験や知識を価値に変換し、
誰からも求められる価値を創造する・・・

私には夢がある。

あなたにも夢がある。



欲しいと望むものは「欲望」。

一人で夢を見れば「儚い」。

十人が同じ夢を語ったら、「叶う」かも知れない・・・




  
そもそも「働く」とはどういうことなのでしょうか?


これは、離れて暮らす私の息子の教育本に書かれていたことで、
改めて勉強させられたことです。
  
  
「働く」とは「ハタを、ラクにする。」と言うことです。
要するに、
「他の人々へ貢献する」と言うことが、
「働く」と言う本質的な意味だということです。

なるほどなあ・・・と思わされました。

ところが、
最近この本質から外れた考えで仕事をしたり、
会社を経営されたりする方が多いのが実情ではないでしょうか?
「お金を稼ぐために働く」

「お金を儲けるために会社を経営する」など・・・。

もちろん、これを否定するつもりはありません。

人生にとってお金を稼ぐこと、
経営にとって儲けることは、素晴らしいことです。

ただし、それだけでいいのでしょうか?

 
仕事も経営もあくまで「人への貢献」が軸にあり、
その結果として、
お金が稼げたり、会社が儲かったりすることが、
本来の姿ではないでしょうか。


私はよく、自分なりの「仕事観」を社員の皆に話します。

もちろん、これは深い話なので、
少しの文章で語れるものではないので結論だけお話しますと、
『大きい小さいの違いはあれど、
 人は誰もが何かを成し遂げるために生まれてきた。

 その「何か」をいち早く見付けることだ。

 過去を振り返れば、人は自分に見えていないだけで
 たくさんの成し遂げてきたことがある。

 これから未来に向けては、何を成し遂げたいのか?

 違う言い方をすれば、
 何をこの世に産み落として死んで、
 生きていきたいと思うのか?
   
 自分の生きた証をどうやって残したいのか?・・・』

 と言うことです。


お金のため、生きるために、働いている人は、
「ライスワーク」を生きていると言います。

自分が成し遂げたいことに向かって働いている人は、
「ライフワーク」を生きていると言えると思います。

更には「ライフワーク」には、
好きでやっている「ライクワーク」と
使命感でやっている「ミッションワーク」があります。

■皆さんは、どの人生を生きていますか?


今回は息子の教育から改めて学んだことですが、
「教えることとは教わることなり」とは、
よく言ったものですね。

自分の成長のためにも、
早く部下を持ち、人に教える立場に付くことを
私は勧めます。
  
明るく、元気良く、爽やかに
生きていきたいものです。





会議は初速で決まる。


スタート15分は全力ダッシュしよう!



会議を楽しくする為に考えてみましょう。



何より会議を「しんどいもの」にしているのが、

ダラダラと続く長い会議が多いことです。

「ササっと終わって結論もしっかり出る会議なんて見たことがない」
と言う人もいるかもしれません。

会議をワクワクしたものにするためには、
まず、

会議時間を少しでも短く効率的にすることから始めましょう。



会議時間における重要な物理的法則を発見しました!



■□■会議のテンポは、決して初速を超えては速くならない■□■

最初からダラダラしていると、

あとはよけいダラダラするだけで、
途中からテンポが速くなったりすることは決してない、

ということです。


そう思いませんか?

よく会議の終盤に巻きが入って、

あわただしく結論までいくことはありますよね。


でも、

それは決してテンポが速くなっているのではなくて、

ただ単にプロセスを端折ってしまっているだけなのです。

「もう時間がないから、これとこれは次回に回せばいいや」

というふうに・・・

会議全体のテンポを速くするためには、

最初が肝心です。


最初、思いっきりダッシュするのです。

最初の目安とは、15分ぐらいでしょうか・・・

最初の15分ダッシュするとは言っても、

どれくらいのテンポだと「速い」と言えるのか、

基準が分かりにくいですよね。


その基準となるのは、
1つ以上のフェーズが終了しているかどうか、です。

会議全体は、たいてい、いくつかのフェーズに分かれます。


定例会議なら、

1.全体報告
2.提案者からの提案
3.提案内容の検証
4.意見の調整
5.合意

などというように。


全体が5つのフェーズに分かれていたりします。

最初の15分で、

最低限「1.全体報告」は終了していて、
「2.提案者からの提案」に突入している状態にするのです。


当日議論する議題が5つあるとするならば、

最初の議題は結論が出ており、2番目の議題に移っている状態。

ってな感じでしょうか・・・

会議のテンポを遅らせる、もっとも大きな要因は、

遅れて参加した人や、

ペースの遅い人に合わせて後戻りばかりして、

なかなか先に進めないことです。

ですから、

15分も遅れて参加した人がいると

「しまった。もう最初の議題終わってるよ。」と、

取り残された状態にして、決して遡行しないことです。

「少々遅れても十分ついていける」という感覚が参加者の中にあると、
なかなか会議の開始時間に人が集まらないですし、

全体のテンポも遅くなってしまいます。

最初の15分を見逃したら何のことか分からなくなる、

めまぐるしい展開のテレビドラマのように、

最初の15分いないと会議の流れについていけない・・・


このような初速を持つ会議は、

後半ダラダラとすることがあっても、
全体としては、確実に時間が短くなります。

皆さんも、明日からの会議では、

最初の15分間のシナリオを徹底して描き、
劇的なダッシュをしてみてください。


きっと、劇的な変化が現れるはずです。





突然ですが、質問です。


「会議って仕事ですか?」

「そりゃ、業務時間内にやるし、

 業務上必要なものだから仕事だろう」と思った人。



それでは、御社の就業規則には、

「当社の業務は会議に出席することである」と書いてありますか?

御社の求人広告には「業務内容:会議の出席」と書いてありますか?

私は「会議」とは、

営業活動における移動時間と同じようなものだと考えます。


それ自体は業務ではないけれど、

業務を遂行する上で発生してしまうものなので、
その時間の給料は支払われる。


しかし、なければない方がいいもの。

とは言え、

「会議」というものがなければ、

実際の仕事が成り立たないのは承知のうえです。


しかし、

会議を効率的にすることを考える場合、

まず最初に「会議って別になくたっていいものだ」という

発想の転換が必要だと私は思うのです。

それをあえて存在させるためには、

非常に高い価値が会議には必要です。

「会議は仕事だから、おもしろくないのは仕方ない」モノではなく、
「会議がなけりゃ会社に行く気がしない」ぐらい、

おもしろいモノでなければ存在価値がないと思います。

私はズバリ、会議は「ショー」あるいは、

「スポーツの試合」であると考えています。

主役は参加者それぞれ。

他の参加者はオーディエンスであり、批評家です。


そこで素晴らしいパフォーマンスを披露することができれば、

ヒーローになれる。


つまり、ビジネスパーソンとしての評価を高められる。

実際に、業務上の会議には、

ほぼ必ず上司という批評家が同席しています。


普段の現場の姿を、上司は全部見ていてくれません。

他の同僚もそうです。


会議で上司や同僚に自分の仕事上の成果をうまくアピールできれば、
「あいつはがんばっているな」という評価が定着するのです。


ある意味、現場で日々コツコツがんばるよりも効率的かもしれません。(笑)

逆に会議の主催者にとっては、

会議とは、ヒーローを生み出し、部下を育てる場と言えます。


主催者の演出次第で、部下の中からヒーローが生まれます。
主催者、参加者、どちらにとっても

ワクワクする場として「創造」できるのです。

それなのに、

会議を「定例だから」と何の問題意識も持たず、

惰性のようにダラダラと繰り返してはいませんか?

会議の主催者は

「どうしたら会議で活発な意見が出るだろうか」

「会議をダラダラしないためにはどうしたらいいだろうか」と

頭を悩ませることから一歩も二歩も進んで、

「会議を通して部下を成長させるためにはどうしたらいいだろうか?」

ということに心を砕くべきです。

私は、さまざまなビジネスシーンの中で、

会議こそが部下を育てる最も戦略的な場であると考えています。

そのためには、

会議の主催者は、「ショーの演出家」あるいは、

「プロ監督」として以下のことに留意しなければなりません。


・会議に参加することに全員がワクワクする


・会議で必ずヒーローが生まれる


・会議が終わると、全員が成長を実感できる。


そのためには、どうすればいいのでしょうか?????





予てよりの懸案事項であった「本社増床」でしたが、

無事に完了致しました。


感謝!


今までの倍の床面積になり、

ますます仕事も捗るハズ・・・





今まで手狭で、皆様に御不便をお掛けしていましたが、

緑豊かな快適オフィスになりましたので、

お近くにお出での際は、

是非、お立ち寄り下さい!!!










約11ヶ月ぶりのフル代表に対するコメントです。



ちょっと忙しかったのと、

アジアカップを経た今、様々な「想い」を整理するのに時間が掛かりました。



私はオシム監督のことを現時点では支持しているし、

その方針や手腕にも信頼を置いています。



また、きわめて聡明な人物であるとも思っています。



しかし、

そういうオシム監督でも間違えることはあると思うのです。



100%常に正しい人というのは存在しない・・・



違和感をもったコメントは下記の内容です。





Q:「昨年のワールドカップでのオーストラリア戦は衝撃的な負け方だったが、

   そのショックが今回の試合にどう影響するのか?」

(A:オシム監督)

「1年もの長い間、ショックが続いているということの方がショックですね。

 そういうショックを乗り越えて生き残ってください。
 その時のショックは、

 ショックとして感じた方がご自分自身に責任があると思った方がいい。

 対戦相手の情報をきちんと入手していなかったということだから。

 昨年も今日も情報の種類は変わりない。

 どんな選手がどんなクラブでプレーしているかを知っていれば、

 昨年のワールドカップでも簡単な相手でないと分かったはず。

 昨年のワールドカップでもショックを受ける必要はなかったのです」





オシムのこの言葉は、

日本人が「敗戦という結果」にショックを受けたとしてしか

理解していないものだからだ・・・



この点で、オシム監督は大きな誤解をしていると思う。



まったく誤った理解であると思う。



同じ負けるにしても、「負け方」というものがある。



8分間で3点を失ったという事実だけではない。



また、

ボールを支配され、攻撃され続けた(シュート数6:20)という

試合内容の問題だけでもない。



それでもなお、

日本チームのサッカーから伝わってくる「何か」があれば、

日本人は、あれほど失望はしなかったのだ。



日本チームの戦いぶりが、

その中に潜む「何か」が、

私をあれほど打ちのめしたのだ。



オシムはそこを理解していない。

仕方がないかもしれない。

オシムは日本人ではないのだから。



日本にしばらく住んでいたとは言っても、

ドーハでのあの中山雅史のスライディングゴールは見ていないのだ。



フランスW杯で足を骨折しながらも走り続け、

ゴールを上げた男のことは知らないのだ。



2002年大会での、誰もが絶望に包まれそうになった瞬間の、

鈴木隆行の伸ばしたつま先を見ていないのだ。



それらを共有していないオシムが、

私がドイツW杯で感じた絶望を理解できないのは、当然のことなのかもしれない。



オシムが言うように、

欧州の有名クラブで活躍する選手を多く擁するオーストラリアは、

個人の能力では「格上」と見てよい存在だろう。



メディアの狂躁的な煽り立てに乗らないサッカーファン、サポーターはそれを理解し、

W杯での最大の山場は初戦にあると考えていた。



そういう意味では、

敗北はある程度「織り込み済み」だったファンも多いだろう。



私個人的には、ヒディンク監督が指揮する肉弾戦には、

日本の相性は悪いと思っていた。

(逆に、勝てるならクロアチア戦だとも思っていたのだが)



しかし、

私を打ちのめしたのは「敗北」という「結果」でもなく、

試合の「内容」でもなく、さらにその外にあるものなのだ。



某有名少年コミック誌のテーマは、「友情、努力、勝利」だという。

少年向けらしいものではあるが、

しかしそこには人生の心理の一片が含まれているようにも思う。

私自身、人生の指針は「愛と勇気」だと思っているし、公言もしている。



少なくとも、私たちがスポーツを見て、

「求めるものがそこには表されている」とはいえないだろうか?



また、個人能力が(現時点では)劣る日本が、

世界に伍して戦っていくために必要なものが、そこには表れていると言えないだろうか?



「勝利」は水物だ。



結果が常についてくるとは限らない。



しかし、

絶対に忘れてはならないものは、「友情」と「努力」ではないのだろうか?



オーストラリアは個人の能力では「格上」だろう。



では、日本がしなければならないことは何か?



それはチーム全体が一つになって、

そして、少なくとも相手よりもずっとずっとハードワークをすることではないのか?

自分を信じて、

チームメートを信じて、

勝利を信じて、

最後の瞬間まで顔を上げて走り続けることではないのか?



格上の相手がこちらをみっちり研究し、しっかりとプレスをかけて来たのだから、

日本のよいところ、パスワークを見せられないのは仕方がない。



内容の良い悪いは、横においておけるが・・・・しかし。




ジーコも自分の著書で明らかにしているように、

この時の日本チームは一つになっていなかった。



それはTVの画面からでも、違和感として伝わって来てしまうものなのだ。



そして

自国の国際審判にも「32カ国で一番戦っていなかった」と言われてしまう、

その姿勢。



個人能力で劣るチームが、ひとつにもならず、相手よりも走り回っていないのでは、

勝てる道理がないではないか?



そして、

オーストラリア戦の失点後、さらにチームはバラバラになってしまった。



完全に崩壊していた。



ボールを奪っても、全力で走り出す選手が見当たらなかった。



最後まであきらめずに体を投げ出す選手が見当たらなかった。



顔を上げて、戦う覇気を見せる選手がいなかった。



この時のうつろな選手の顔、顔、顔。



私を心底打ちのめしたのは、それなのだ。



結果でもない、内容でもない、

あの時、選手たちの心が折れた音が聞こえたのだ。



ただの敗北ではない、あの時、日本サッカーは「本当」に「負けた」のだ。



これはオシムには分からないことだろう・・・



だから冒頭のような発言をしてしまうのだろう。



いや?もしかするとオシムにも分かっているのかもしれない。



だからこそ、わざと問題を勝敗の結果だけに単純化し、

「強い相手に負けただけじゃないか」と言っているのかもしれない。



心に傷を負った人間には、何を言っても無駄だ。

その傷に理解を示しても、それが癒されるわけではない。

他者は客観的なことを指摘できるだけ。

後は自ら立ち直るのを持つしかない。



オシムはそうしていたのかもしれない。

いや、さすがにそれはうがちすぎか(笑)。



この1年、

オシム日本が粛々と強化を進めているのを好ましく見つつ、

私は、どうも日本代表のサポーターが性急になってきているように感じていた。

チーム立ち上げ1年にしかならないオシムに、

いきなりアジアカップ優勝を「ノルマ」としようとする。



一体これはどういうことかと思いながら、私も内心は、理解できなくはなかったのだ。



きっと日本のサポーターも心が折れてしまったのだ。

あのドイツの代表は、胸を張ってサポートできない、誇りをもてない、

そういう代表に見えてしまったからだ。



心にぽっかり穴が空いてしまった。

それを埋める何かを、とても切実に求めてしまうのだ。



心に傷を持った人間が、「荒れて」しまうこと。

それまでとは人が変わったようになってしまうことは、

残念だがしばしば見られることだ。



私たちはこの1年、ずっと「それ」を抱えてきた。



2006年以前と同じ気持ちでサポートできた人は、

いったい、どれだけいるのだろうか?



何かわざと白けてしまったり、心理的に距離を置いたり、

忘れようと努力してみたり、やけに人に突っかかってみたり・・・



しかし、

それはむしろ正常なことだと思う。



「あの」後では・・・



あの後の1年間がそうであるのは、あたりまえのことだろう。



私は、このアジアカップで、オーストラリアと対戦できたことを、本当に本当に感謝している。



私事になるが、私は昨日の試合を、

1年ぶりに日本代表のユニフォームを着て観戦した。



1年前と日本チームは、

同じだろうか?変わっていただろうか?一つになれていただろうか?

相手よりも走っていただろうか?

「誇り」を持てる、私たち日本人の、代表だっただろうか?



あの大きな円陣を見たとき、

中澤が手を叩いて叫んでいる姿を見たとき、

高原の得点後のほえる姿を見たとき、

最後のPKの後の中澤を見たとき、

私は少しだけ涙が出た。



私は彼らに一言言いたいと思う。

「おかえりなさい」



4位に終わってしまったけれど、

「日本代表」に、もう一度期待してもいいのではないかと思う。