小説という妄想の書物には、
どこにも無いはずの答えが書かれていたりする。
だから私は、
答えの無い問いに直面したときには、
小説を読むことにしている。
???
いや、ただの習慣かも知れない・・・中毒か???
そこには・・・
深くて、美しくて、醜くて、いいかげんで、
とても人間的な答えが書かれている。
小説は本当に面白い。
もしも残りの人生で、
小説かテレビか、どちらか一方を選べといわれたら、
私は迷わずに小説を選ぶだろう。
それにしても・・・
小説はなぜあんなにも面白いのだろうか。
映画化されたものなどは、大概原作に負けている。
ストーリーの奇抜さ・・・
登場人物のカッコよさ・・・
流れるような文体・・・
まあ、小説が面白いのには
たくさんの理由があると思う。
中でも・・・私の一番のお気に入りは、
現実には絶対にあり得ないはずの会話。
ありそうなんだけれども、
現実には絶対に起こりえない会話のやり取りだ。
例えば・・・
伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」という小説の中に、
こういうやり取りが出てくる。
主人公と、ある探偵との会話だ。
主人公「探偵というからには、助手や事務員がいるんですか?」
探 偵「仕事はひとりでやるものだ」
主人公「ビートルズは四人でやってましたよ」
探 偵「だから解散しただろ。ボブデュランは永遠に解散しないぞ」
主人公「そりゃそうですよ」
というものだ。
何気ない会話だが、
こんな会話が現実世界で行われることは
絶対無いと、断言できる。
なぜならば・・・この会話には間がないからだ。
考えるための間。
将棋でいうところの考慮時間だ。
当たり前の話だが、
こんな何気ない会話に考慮時間などというものはない。
だが、考慮時間無しに
この会話を成立させることは難しい。
まず、主人公の・・・
「探偵というからには、助手や事務員がいるんですか?」
という問いかけに対して、
探偵の答えは・・・
「仕事はひとりでやるものだ」というもの。
カッコいい決め台詞だ。
私もどこかで使ってみたい。
気が利いたセリフではあるが、まあ、ここまでは普通の会話だ。
だが、その探偵の答えに対して、
主人公はこう切り返す。
「ビートルズは四人でやってましたよ」と。
こんなにも面倒くさくて、へそ曲がりで、
それでいて気の利いた切り返しは、普通の人間にはできない。
主人公は
決して頭の切れる設定ではないのに、
この切り返しの見事さはどうだろう。
そして、更に驚くのは・・・その後の探偵のことば。
「だから解散しただろ。ボブデュランは永遠に解散しないぞ」
ですって!!!!!!
「仕事はひとりでやるものだ」の切り返しに
ビートルズが出てきたら、普通はそこで降参である。
にもかかわらず・・・この探偵は、ボブデュランで応戦している。
ここで必要なのが考慮時間なのだ。
私だって・・・
会話と会話の間に30分ほど時間をいただけるのであれば、
この程度に気の利いたセリフは考え付くかもしれない。
しかし・・・
この人たちは
会話の中で瞬時に切り返しているのである。
人間の頭脳では到底不可能だ。
その、
異次元の切り返しに対して、
主人公が最後に言うセリフ、
「そりゃそうですよ」 はないでしょう・・・(^_^;)・・・
「あなたの異次元の切り返しには恐れ入りました」
・・・と降参するべきなのです。
あり得ない言葉を使って、
いかにもありそうなストーリーを作り上げる。
それが小説の面白さの正体ではないかと・・・
私はそう思うのです。