ここのところ、チョット腰が痛い。
運動不足!?!
はたまた、Footballのやり過ぎか・・・
さて・・・
ビートたけしは才人だ!
そして・・・
ビートたけしは、
芸人であると同時に経営者なのだな、
と感心してしまった。
それは・・・
あるテレビ番組で、
こんなことを言っていたからだ。
「人は縛りがあるから頑張れる」
私もその通りだと思う。
ただ頑張れ!と言われても・・・
人はどう頑張っていいのかが解らない。
ルールを決める事によって、
ルールに従って頑張る人が現れ・・・
そして、
同時にルールを破るために頑張る人が誕生するのだ。
私が感心したのは、
その後にビートたけしが言ったことばだ。
「芸術家も、企業家も、
ルールに立ち向かってルールを破るのが仕事。
でも・・・違うところがある。
企業家は自分はルールを破っても、
社員にはルールを守らせないといけないということ。」
なるほど・・・と唸ってしまった。
正直・・・ビートたけしの言葉に、
これほど感心したのは初めてである。
それは、たぶん・・・
彼が、
普段は経営者としての顔を
見せないようにしているからだと思う。
でも・・・ついつい出てしまったのだろう。
彼の本音とも言える苦悩が。
あれほど
自由奔放にしている人でも、
周りの人間には、
きちんとルールを守らせている。
いや、守らせなくてはならないのだ。
そうでないと、組織運営は成り立たない。
そのことを、
きっとどこかで痛感したのだろうと思う。
私は、
昔から何かに縛られる事が大嫌いだ。
決められたルールに従って、
決められたやり方で努力をする。
それが、
嫌で、嫌で、しょうがないから
務める先々で裁量権を欲し・・・
そして、
自ら会社を立ち上げたのである。
もちろん・・・
社長になったからといって、
自由になれるわけではない。
社長である事による自由と、
社長であるが故の不自由とを比べると・・・
圧倒的に、不自由の方が多いと思う。
だが・・・その不自由は、
自分で選択した不自由だ。
誰かに、
決められた不自由ではない。
自ら選んだ自由と、
自ら選んだ不自由。
それを、
何よりも大切にしているという点において・・・
創業社長と芸術家は、
かなり近い精神構造なのだと思う。
ルールは自分で決め、
自分の意志において守る。
そして・・・
時には、
自分で決めたルールを
自分自身で破ってしまう。
それが、
どんなに不便で、不自由だったとしても・・・
それこそが、
自分の存在価値なのだと信じているからだ。
私もそうだった。
ただひとつ・・・
私自身、経営者には向かないと、
今でも痛切に感じていること・・・
それは・・・
自分以外の人間をも、
枠にはめるのが嫌いな事である。
私は、
自分がやりたくないと思うことを
他人にやらせる事ができない。
「自分はルールを破るけれども、社員はルールを守れ。
私は社長であるけれども、諸君は社長ではなく社員なのだ」
その一言が言えなかった。
そして・・・今も・・・
きっと、言えないだろう。
自分が守る必要のないルールでも、
社員には、守らせなくてはならない。
それは・・・
人として、
どうなのかという問題ではなく・・・
社長として、
果たさなくてはならない責務なのだと思う。
そもそも・・・
経営者と社員とは、
最初から異なるルールで動いている。
そんなことは・・・解っていた。
解っていたのだけれども、できなかった。
「なぜ社長だけが特別なのですか?」
・・・と社員から聞かれた事は一度もない。
ただ・・・自分自身が、
その問いに対する答えを持っていなかっただけだ。
経営者と、
社員とに分かれるのではなく、
みんなで経営する会社。
ルールは、
自分たちで決めて、自分たちで守る。
それで成り立つ会社が、
理想なのだと確信していた。
だがそれは・・・
社会にとっての理想でも、
社員にとっての理想でもなく・・・
ただ、私にとっての理想でしかなかった。
企業家は、
理想と現実の、
両方を持ち合わせていなくてはならない。
私の経営者人生は、
それを確信するに十分な長さだろう。
自分は・・・
やはり社長には向いていないのだと思う。
誰にも縛られたくないし、
誰も縛りたくない。
それは・・・
芸術家には許されても、
社長には許されない・・・わがままなのである。
さて・・・
理想と現実と・・・
そして、残り15年ほどを
新たな継続性を・・・
見出そうとしている、今日此頃なのである。