BIGな台風が二連発・・・(・_・;)
皆さん、おかわりありませんか・・・
被害に遭われた方・・・謹んでお見舞い申し上げます。
さて・・・
人は経験することによって、
出来ることが増えていく。
一人で買い物に行けるようになったり・・・
電車に乗れるようになったり。
あるいは・・・
料理や後片付け、
洗濯物なんかも出来るようになる。
経験することによって、
出来なかったことが出来ることへと変わり・・・
その・・・積み重ねによって、
一人前の人間に育っていくのだ。
だが、その反面・・・
人は経験することによって・・・
出来ないことも増えていく。
例えば・・・
恥ずかしい経験をすることによって、
人前で大きな声が出せなくなったり・・・
木から落ちて怖い思いをすることによって・・・
高いところに登れなくなったりもする。
そう考えると・・・
経験というのは、
出来ないものが出来るようになるために
必要なプロセスであると同時に・・・
出来たことが、
出来なくなるきっかけを作り出している要因だとも言える。
・・・(・_・;)
人は経験することによって出来るようになり・・・
経験することによって出来なくなるのだ。
考えてみれば・・・当たり前のことなのだが・・・
この当たり前のことを理解していないがために、人間は・・・
本来持っている能力の
何十分の一しか発揮できずに終わってしまうのだ。
痛い思いをすることによって・・・
次から危険なことをしなくなる。
これは、
一般的に学習と呼ばれている。
脳が学習することによって、
似たような危険を回避するようになるのだ。
熱い鍋に触らなくなったり、
蜂を素手で捕まえなくなったりするのである。
もちろん・・・
この脳みそによる学習は
生きていく上で必要不可欠なものである。
何回も、何回も、同じ過ちを繰り返していたら・・・
命がいくつあっても足りないし・・・
成人する頃には、
全身傷だらけになってしまうだろう。
だから・・・
この仕組みは、
生きていくために必要なものなのだ。
必要ではある。
だが、それに盲目的に従ってはならない。
人は、知らず知らずのうちに・・・
自らの脳みそによって、
間違ったジャッジを下されているのだ・・・
ということを知るべきだ。
脳学者によると、
脳みそは楽をするように出来ているという。
同じことを何回も考えなくてもいいように・・・
「これは前に考えたことだから答えは同じ」
・・・というジャッジを下してしまうのだ。
だから・・・
怖そうな顔の人を見ると危険を感じるのである。
(^^)ww
もちろん・・・
顔が恐いからといって、
いきなり人を殴ってくるわけではない。
だが・・・
過去に経験した怖い出来事によって、
その善良かもしれない怖い顔のおじさんは
危険人物の烙印を押されてしまうのである。
(^_^;)
私は潜在的な脳みそのジャッジを
すべてにおいて否定しているわけではない。
怖い顔のオヤジには、
近づかないほうが無難だとも思う。
だが・・・
私たちは、
その脳みそのジャッジによって、
かなりの束縛を受けているのだ・・・
ということを自覚しなくてはならない。
それは・・・
自分自身の限りない可能性を・・・
狭めている最大の敵でもあるのだ。
似たような経験に関して、
脳みそはいちいち考えなくなる。
ということは・・・
私たちは、
生きていろんな経験をしていく中で・・・
知らず知らずのうちに、
本当は正しくないかもしれない判断基準を
脳みその中に作り上げているのだ。
本当のことを言うと・・・
過去の経験と、
これから未来に起こることには・・・
関連性など、ほとんどない。
過去に失敗したから・・・
また失敗するとは限らない。
過去に上手くいったから・・・
今度も上手くいくとは限らない。
だが・・・
私たちは、
その当たり前の事実を
脳みそによってかき消されている。
やっても意味がない・・・
やるだけ無駄・・・
どうせ上手くいかない。
・・・そういうジャッッジを
自分の意志で下していると勘違いしている。
本当は・・・
経験という自らの記憶に
束縛されてしまっているだけなのだ。
まだ、何も経験していなかった頃の自分。
その時に持っていた可能性。
本当は・・・
今でも、
同じだけの可能性をみんな持っているのだ。
ただ・・・
「そんなところに可能性はない」
・・・という脳からのメッセージに・・・
私たちは、
すぐに従ってしまうのである。